第180話 翌日
「どうしてアイナが殺されないといけないんだ!?」
ルビアが机を叩きつけ、大きな音が教室内に響く。
その衝撃でイノの机の上にあった書類が勢いよく飛び散った。
日が登って随分経つと言うのに、外は曇天の空に覆われて薄暗い。
雨がツンツンと教室の窓を叩き、水滴が間隔を空けて付着している。
飛び散った書類も、今日の湿度でほんの少し柔らかくなっていた。
「……ったく、誰が片付けると思って————」
「答えろっ!」
ルビアがイノの方に身を乗り出してきた。
白いシャツにブラウンのベスト。
整った長い赤髪がイノの前で揺れる。
公爵令嬢で、凛々しき帝国軍のエースらしい、気品のある姿。
それが荒々しく動く彼女の様子からは、煮えたぎるような怒りに満ちているのが分かった。
「帝国軍上層部がそう決定づけたんだ……アイナの死刑を」
「馬鹿な……!」
あまりの憤りに、ルビアの顔が歪む。
そんな様子のルビアに、イノが怒り返すこともできない。
冷静に答えるしかなかった。
だが、イノの作業服には強く握りしめたような皺が残っている。
「いつ決まったのだ!? そんな理不尽な話……!」
「ついさっき、書類で一方的に通達が来た次第だ」
お前が満面の笑みで教室に入り、帰還を報告してくれたのと同時にな。
イノはそう付け加えると、濁ったような空に目を向けて深くため息を吐く。
イノ、セシリア、そしてオスカーはいつも通り支度をして、いつもと変わらない業務をするつもりであった。
そこに訪れた突然の吉報と凶報。
アイナが無事、特別作戦から生還したということと————
アイナが、死刑に処されるということである。
第14次特別作戦から一日経過した。
アイナ達、『エンゲルス』は予定通り作戦を決行。
敵魔族軍の侵攻を地上部隊が止めている間に、部隊は帝国軍輸送機にて上空一万メートル付近を移動。
敵軍中央直上に到着した後、『エンゲルス』は降下を開始。
魔導決戦兵器、『ライト・ピラー』を使用して魔族軍を殲滅する予定であった。
しかし、『ライト・ピラー』は発動しなかった。
この魔法特有の天を突く光の柱は観測されず、その代わり、青い円状の衝撃波が観測された。
結果として、敵魔族軍大半の無力化に成功。
それでいて、アイナ達、『エンゲルス』も全員無傷で帰還することになった。
決死隊である『エンゲルス』が全員無傷で生還した理由は言うまでもない。
イノ達が持ちうる全てを注ぎ込んで作り出した魔法。
『リヴァイアズ・ティアドロップ』
高出力短波長量子線により発生する魔素核分裂。
一つ一つの因子が周りに影響を及ぼし、それが次の因子へと、連鎖的に反応する。
最終的にそこにあった魔素構成は全く別の姿へと変貌を遂げる。
術式が崩壊する。
ワークスがイノに残したヒント、そこからイノ達の知識を全て結集し、導き出した。
この世界に変革をもたらす原理だ。
それによって、イノ達は特別作戦、エルステリア人の呪いからアイナを救い出した。
世界を再構築するための、初めの一歩になる。
そのはずだったのだ。
「それが、どうしてアイナにそんな重罰が……?」
周りに散らばった書類を拾いつつ、オスカーは重要な問いを投げかける。
皺が伸び、すらっとしたスーツのような彼の作業服は、彼の几帳面さがよく表れている。
丁寧な作業を最も重視している彼らしいものだ。
「まあ、俺達が思っていた通り、お偉いさん方は保守的な頭でっかちの人間だったんだよ」
椅子に体重を預けるイノ。
だが、その表情は苦悶に満ちている。
結局のところ、イノ達の想定通りだったというわけだ。
ひたすら夢を追いかけた。
そして、死の物狂いで夢を実現した。
その後に残ったのは現実。
アイナ達『エンゲルス』は、完全に予定外の魔法を使い、作戦に反した。
しかもその魔法は、軍が認可もしていなければ、碌に試験もしていない代物だ。
そんなものを、こともあろうか軍で最も重大な作戦である特別作戦で使用したのである。
帝国軍上層部、もとい保守的な貴族達から見れば、それは正気の沙汰ではない。
今回の件に関して、アイナに厳罰が下されることは、正直当然と言われても仕方がなかった。
もしここでアイナの罪が免れるような国なのであれば、作戦前日に軍本部に忍び込むようなことはしなかっただろう。
「そんなのってないだろ……せっかく魔法が成功して、アイナの命が助かったのに」
自分の机を掴み、体を震わせているのがセシリア。
その作業服には黒いシミや汚れが至るところに付着しており、元々の薄鈍色がどこかにいってしまっている。
魔法道具や機械いじりが好きなセシリアらしい作業服ではある。
アイナに一番寄り添っていたのはセシリアだ。
任命された時も出発する時も。
それ故に生還したことが分かった時に、一番喜んでいたのはセシリアだった。
そして、死刑宣告がなされて最も落ち込んでいたのも彼女だった。
セシリアだけじゃない。
この数ヶ月間、アイナを助けたい一心でただ頑張ってきた。
敵魔族軍を殲滅しつつ生還する。
それが、アイナを救い、元の日常に戻ることのできる唯一の手立てだったのだ。
それが、全部自己満足だったとでも言うのか。
立ち上がっては、何度もこの国の現実に打ち倒される。
誰もが寄ってたかってアイナを殺そうとせんばかりに。
「到底、納得できん……!」
ルビアが沸き立つ怒りを隠さずに、散らかった椅子と机を掻き分けて自分の軍服を拾う。
そして、半ば乱暴に引き戸を開け、教室を出て行った。
ルビアがいなくなった後の教室は、やけに静かであった。
「……行っちまったな」
ルビアが感情を荒立たせるのは久々だ。
血相を変えて、彼女が向かっていった先はなんとなく予想がつく。
「憤慨した彼女を見るのは、これで二回目ですね」
オスカーは勢いよく締めすぎた反動で半開きになってしまった教室の扉を閉めに行った。
彼の指す一回目とは、恐らくクルトが特別作戦に出発した日のことだろう。
大隊の前に立ち塞がって暴れたあの時のことを思うと、何をしでかすか分からない怖さが少々あるが、多分大丈夫だろう。
彼女もあれから成長している。
「理不尽なことが許せないんだよな……」
イノを叱ってくれた時、彼女の感情に怒りは見えなかった。
そんな彼女がこんなにも怒りを露わにしているのは、この一ヶ月と少しの間、イノ達の精一杯の頑張りを見てくれていたからだろう。
人の頑張りや努力、そして強い思いは、必ず報われるべきだ。
きっと、彼女はそんなことを思っている。
(どこまでもあまっちょろい奴……)
努力が必ず報われるとは思わない。
努力の分だけ自分の糧となるが、それが必ず結果に繋がるわけではない。
そう、重要なのは結果だ。
魔法開発の世界でも、現実世界でも。
重要視されるのは結果。
動くものができなければ、魔法が発動されなければ、いかに精巧な魔石だの魔法道具だのを作ったところで、その魔法技師は無能の烙印を押されるだけ。
努力の量、費やしていた時間を問わず、どこかのタイミングで勝手に判断され、一定の評価をもらう。
良いも悪いも、そこだけで決まってしまう。
今回のイノ達の死に物狂いの努力がもたらしたのは、魔族軍を殲滅しつつ、アイナを生還させるというもの。
イノ達が誰よりも待ち望んでいた結果だ。
そして、アイナ達が軍旗違反ということで、罰せられてしまうのもまた結果。
これは、イノ達の努力が足りず、期間内に魔法を完成させられなかったせいだ。
あらゆる過程の末に、あらゆる結果がある。
イノ達ができることは、これらの結果を受け止め、次の過程に繋げるということ。
来るべき時に、より最良の結果を得るために。
そのサイクルが、魔法技師としてのイノ達の生き方なのだ。
「————さて、やりますか」
イノは体重を預けていた椅子から、勢いよく立ち上がった。
そして、何も書かれていない黒板の前に立ち、白チョークを手にする。
「や、やるって何を?」
「うん? 決まってるだろ。というか、俺達はまだ成し遂げていないじゃないか」
これまでに、いくつかの結果は出た。
だが、最終的な結果を出すにはまだ早い。
イノ達はまだ過程の途中なのだ。
「アイナを救い出すぞ」
ただ、アイナを救い出すだけ。
今までと比べれば、これほど簡単な要件もない。
イノは颯爽と黒板にチョークを走らせ始めた。