第15話 隠していること
「邪魔するぞー」
第七兵器開発部の事務室、もとい教室のドアがノックもなしに開かれる。
入ってきた人物はルビアだった。
「また来たのか……」
教室で書類仕事をしていたイノは呆れた表情をする。
最初に訪れたあの日から、ルビアはほぼ毎日ここに顔を出すようになった。
第七兵器開発部に訪れたあの日、高貴な人間特有の騎士のような口調も相まって、ルビアは真面目で正義感のあるできた人間というのが第一印象だった。
何かと理由をつけて勘繰っていたイノに対し、ただ信じて欲しいと真摯に頼む。
決して揺らがない強い信念には、イノも面食らったものだ。
しかし、蓋を開けてみれば、彼女はどこにでもいるような普通の女子だった。
とにかく活発なのである。
何事にも好奇心旺盛で、まるで子供だ。
彼女自身、日々の業務がある。
軍人がどんなスケジュールで働いているのかイノは知らないが、それでも楽な仕事ではないはずだ。
そのはずなのに毎日のようにここに訪れ、イノ達に会いに来る。
そして、イノを連れてパトロールに繰り出すのだ。
イノだけでなく、アイナとセシリアとの交流もだいぶ深まったみたいである。
セシリアは誰とでも仲良くなれるタイプだから分かるが、アイナが誰かにこんなに懐いているのは珍しかった。
同い歳だからというのもあるのかもしれない。
仕事終わりにも関わらず、女子三人はそこから『レグルス』の至る所に遊びに————もとい巡回に行っていた。
乗り気な二人を連れて行くのは構わないのだが、それにイノも、ついでにオスカーも巻き込まれるのは正直言ってしんどい。
明らかに専属技師としての業務範囲を超えている。
それとも、ルビアにとって専属技師は、都合よく扱っていい相手だとでも思っているのだろうか。
イノは頻繁にあちこち出かけるようなタイプではないし、体力もある方ではなかった。
巡回業務という名の街の散策に連行されるのは、イノにとってかなりエネルギーを消費する。
したがって、イノはまたどこかに連れてかれるんじゃないかと、ルビアを警戒していた。
「なんでそんな顔をするのだ」
「いや、よくそんな毎日のように来れるなと思って」
帝国士官の公爵令嬢様が頻繁に来る場所ではないし、別段、おもしろいものがあったりするわけでもない。
一体、何が目的で来るんだと、イノは訝しげにルビアを見る。
しかし、ルビアは至極単純な理由をイノに提示した。
「当然だ、私はお前と真剣勝負をするために来た。さあ早く、チェス盤をここに出せ!」
「断る」
「なんでだよ〜」
ここ二週間ほど、ルビアがここに来て最初にするのは、イノにチェス勝負を持ちかけることであった。
だが、イノ達も暇ではない。
お嬢様の遊びに付き合ってやる時間は多くないのである。
「でも、あの時はみんなでチェスしてたじゃないか〜」
「あれは立派な仕事の範疇だ。遊びでやっていたわけじゃない」
兵器運用の自動化は、早急に実現すべき大きな課題だ。
敵は召喚魔法によって作られた魔族群。
人間の代わりとして、魔族に戦わせることによって人的被害を抑えているのだ。
そんな敵に対して、人海戦術の真っ向勝負をしているのでは、戦力もコストも明らかに具合が悪い。
そのため、兵器の自動化を行い、勝手に攻撃させることによって、少数の魔法士で敵軍に対抗できるようになる。
いわば、魔法による代理戦争となるわけだ。
チェスの自動化実験は、兵器の自動化に向けての大切な一歩である。
「ちぇ……ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないか」
ルビアはブーブーと口を尖らせる。
この二週間で、これだけ砕けた態度を取るようになるとは。
第一印象からは想像もつかなかった。
「なんか本読んでいいか~?」
「お好きにどうぞ」
チェスは諦めたのか、ルビアは教室の本棚を物色し始める。
これもいつも通りだ。
イノ達の仕事中、ルビアは教室で士官の書類仕事をするか、教室にある本を読むかして過ごしている。
それくらい自分の家でもできるだろうと、イノはルビアに言ったことがあるが、家は居心地が悪いとのこと。
貴族の豪勢な家に比べてこちらの方が環境がいいというわけでもないだろうし、家が嫌ならば図書館に行けばいいのでは?
————と言ってしまいたい衝動に駆られたこともあるが、なんだか追い出そうとしているみたいで嫌になった。
「よく分からない本ばっかりだな」
ルビアが一つ一つ本棚から本を取り出しては、表紙を眺めて戻す。
魔法技術の専門書は素人には敷居が高いだろう。
イノだって、そういった本を娯楽で読みたいと思ったことはない。
「一つ、聞いてもいいか?」
「何でもどうぞ」
イノはどうせまたくだらないことを聞くのだろうと、軽くあしらう心構えをしていた。
ルビアはたくさんの技術書が本棚にびっしりと埋まっている様子を見て、率直な疑問をイノに投げかける。
「イノ達はこんな本を読んで、一体何を作ってるんだ?」
イノは突如、息が止まるような感覚に襲われた。
サラサラと動いていた手元のペンが止まる。
イノ達はまだ、ルビアに伝えていなかった。
ルビアはまだ知らないのだ。
イノ達が『エンゲルス』の魔石を開発していることを。
ルビアも帝国軍人の一人。
例の魔導兵器と『エンゲルス』のことについては、知っていて当然だ。
彼女はエルステリア人でもなんでも、弱き者に手を差し伸べる人間である。
直接ルビアの口から聞いたことはないが、彼女はこの残虐非道な作戦に、きっと反対しているだろう。
そんな作戦に、イノ達は加担している。
なんなら今、作業室でアイナ、セシリア、オスカーの三人が例の魔石の調整をしている。
人を爆弾にする魔石を作っている。
しかし、ルビアはそれがなんの作業かを理解することはできないだろう。
「……主に帝国軍の兵士が使用する魔石を作っている」
イノは当たり障りのない返答でお茶を濁した。
「へえ〜、すごいな」
ルビアはイノの返答をそのまま受け取り、素直に感心する。
そして、ルビアはこちらに笑顔を向けて言うのだった。
「イノ達の作った魔石が、きっと色々な兵士の命を救ったんだろうな」
「……え?」
ルビアはイノの元に近づき、尊敬の目をこちらに向ける。
イノの胸にちくりと痛みが走った。
「分かっている。武器を作り、それを売る人間は『死の商人』と言われてること。でも、敵を何人殺したかを考えるよりも、味方を何人救ったかを考えるべきだ」
「……」
違う、そうじゃない。
イノ達は味方を救っているわけではない。
味方の命を奪っている。
しかし、そんなことを正直にルビアに伝えることはできなかった。
「そしたら、イノも自分の仕事をより一層好きになるんじゃないのか?」
イノは俯くことしかできなかった。
自分がこの仕事を好きになることなどない。
未来永劫、そんな日は訪れないことだろう。
「これ、借りてくぞ」
ルビアは読めそうな本を見つけたのか、それを持って、教室の空いている席に座った。
空いている教室の窓から入る風が、ルビアの長い赤髪をなびかせる。
改めて、自分に問う。
このまま彼女と交友を深めてもいいのか。
この二週間、何度か彼女に真実を伝えようかと思ったことはあった。
そういう話を、他のみんなと相談したこともあったのだ。
しかし、答えが出ないまま、この関係をズルズルと引きずっている。
もし、イノ達の正体を伝えてしまったら、ルビアは傷つく。
正義感が強く、まっすぐな彼女は今まで通りにイノ達と接することはできなくなってしまうだろう。
俺は、それが怖いのだろうか。
彼女とのつながりが無くなってしまうことを、恐れているのだろうか。
そんなはずはない。
イノにとって貴族という生き物は敵だ。
自分達に、自爆魔法を作らせた憎むべき相手なのだ。
真実を伝えて離れていくようなら、それでいいじゃないか。
なのに————
イノがもやもやと考えているうちに、奥から作業を終えたチームの三人が教室に戻ってきた。
「ル〜ビ〜ア〜〜!」
セシリアがルビアの後ろに抱きつく。
「なんだ、セシリアか」
「ルビア〜、ご飯いこ〜」
「私はここに遊びに来たわけじゃないぞ? 本日も巡回業務を円滑に進めるために、専属技師である君達に協力を————」
「いいからいいから〜〜」
セシリアがいつものようにルビアを外へ連れて行こうとした
そこにアイナが加わって、賑やかな女子トークが始まる。
「ずいぶん仲良くなったんですね〜」
「……みたいだな」
オスカーが顔に付着する油をタオルで取りながら、歓談している三人を見ていた。
セシリアもアイナも気軽に話ができる友達ができて嬉しいのだろう。
イノは胸につっかえるこの思いを、奥にしまい込むしかなかった。
「何してんの。あんた達も行くよ」
セシリアがさも当たり前というような顔で、イノとオスカーを連行しようとする。
「冗談……ですよね?」
「勘弁してくれ。毎日こんなことしてたら体がもたないだろう」
今日はほんとにやめてほしい。
いつもそれに時間を割いていて、仕事が押してるだろうが。
イノとオスカーは全力で拒否の構えを取るが、ルビアはそんなものを物ともせず、二人の手を引っ張る。
「いいから! ほら立つ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれえ!」
二人の叫び声が室内に響いた後、ドアが閉じられ、誰もいない教室に静寂が訪れた。