第171話 保管庫
永遠とも思われるような静寂が包む一室。
広くはないが、布団もあるし書き物ができそうな机と椅子もある。
しかし、無駄な装飾は一切ないのっぺらぼうの壁に、灯りは机の上にある電球のみ。
窓もないため、まるで独房のようにも思える場所だ。
その中で一人、アイナは何もせずただ椅子に座っている。
布団に横になって眠りについてもいいのだが、さすがにそんな気楽にはなれない。
今日は特別作戦出立日の前夜。
アイナの最後の夜なのだから。
ちょうど二十四時間前にアイナ達『エンゲルス』はこの場所、帝国軍本部の地下に移動を命じられた。
アイナ達はこの作戦の要であり、もし作戦遂行が不可能なトラブルが魔法士達にあった場合、多大な損害を被ることになる。
そのため、『エンゲルス』に傷一つつけることのないように、最も安全な場所で厳重に保管されるというわけだ。
アイナ達を外敵から守ってくれていると言われれば聞こえはいいが、指令書の『保管』や『移動』という無機質な言葉から、完全に武器として扱われていることを感じた。
ただ、武器庫かなんかに押し込まれ、銃器や火薬とともに夜を過ごすのかと思いきや、思いのほかちゃんとした部屋だったのは意外だった。
虎の子であるアイナ達にストレスを与えないためだろうか。
アイナはこの空気穴もあるのかどうかも分からないような密室の部屋で、思いを巡らせている。
今日に限らず、この一ヶ月間のアイナ達は密室に閉じ込められていたようなものだった。
外の状況など全く知らされていない。
世間がどうなってるのかとか、何が起こって何が起こっていないとか。
そんなもの、暗い部屋で呪文を唱え続けているアイナ達には分かりようもないことだ。
少し前まではルビアが頻繁に会いに来てくれて世間話をしてくれたのだが、ここ数週間は来なくなってしまった。
きっと忙しいのだろう。
世間話をしに来てくれた時、イノ達との話もよくしてくれた。
忙しい原因がもし、イノ達と仲良くなったことで生じたのであれば、これ以上に嬉しいことはない。
「イノ……」
唐突な呟きは、無機質な響きづらい室内に吸い込まれていく。
アイナは扉の外をぼーっと見つめた。
彼は今何をしているのだろうか。
どうしているだろう。
笑っているだろうか、悲しんでいるだろうか。
できることなら、彼には笑っていて欲しい。
けど、それができないことをアイナはよく知っていた。
いつもそうだ。
自分から率先して、痛みを引き受けようとする。
今までの特別作戦の全てにおいて、イノは誰よりも隊員と親身に接し、誰よりも傷ついていた。
それでも、仲間に心配をかけまいとそれを押し殺す。
人一倍強い責任感と信念、そして仲間に対する思い。
それをずっと心の奥底に置き、眉間の皺を増やし続けている。
どうしてあの人は、あんなにも優しいのだろう。
もう明日死ぬ自分のことはもう忘れて、自由に生きていてくれたらどんなに嬉しいことか。
私は、彼の鎖なのだ。
兄が残した、イノだけの鎖。
ワークスはイノに、アイナを頼むと言って家を出て行った。
それはある種呪いの言葉だ。
私はイノに守られ続けてきた。
イノが敷いてくれたレールを、イノにしがみつきながら歩いてきた。
エルステリア人魔法士として戦場に駆り出されないように、魔法技師になるよう勧めたのはイノだ。
人種の壁を超えて帝国の魔法技師になるために私も自身も努力をしたが、それ以上にイノが行った努力の量は計り知れない。
魔法技師となってからも、第七班に配属された後も、イノは私を守り続けた。
地区『ダンテ』で腫れ物になっていた時も、イノは矢面に立ってくれた。
イノは殴られて、私が殴られることはほとんどなかった。
こんなにも。
こんなにも私は、何もできない無能で、イノに寄生するだけの無力な人間。
私が生きているだけで、つながりが彼を束縛していたのだ。
…………
でも、それも明日まで。
私はイノの信念の礎の一つとなり、イノの元を旅立つ。
やっと私の手から、イノを解放できる。
それは、なんと素晴らしいことなのだろう。
アイナは、殺風景な天井を仰ぎ見た。
空気を大きく吸って、取れない胸のつっかえを少しでも取り除こうとする。
その時だった————
「どーーーーーーん!!」