第12話 治安維持業務
お嬢様のお守りという業務を行った後、イノは工廠に戻って通常業務をやらなければいけなかった。
開発にはノルマというものがあり、割り振られた仕事はきっちりこなさなければならない。
ここ二日間、初日と同様にルビアに呼び出されており、イノは無駄に体力を消耗していた。
路地裏に入っていっては道行く人に事情聴取をしており、イノにとってはいつ彼女が相手に殴りかかるんじゃないかと気が気じゃなかったものだ。
既に日は暮れ、夜の帳が下りてきていた。
第七班の教室の明かりは煌々と室内を照らしているので、集中して作業をしていると、窓が黒く染まっていることに気づかないものだ。
女性二人は早上がりだ。あまり暗くなってから帰らせるのも危ないし。
従って今は、男メンバー二人で本日の残作業を片付けている。
「この試験が正常で通ったら帰るのです……」
「それやめろ」
しばらく帰れなくなるフラグだぞ、それ。
オスカーが魔法処理装置と睨めっこしている間に、イノは手元を見て、自分の作業が終わったことに気づく。
副リーダーの方の作業も終わりそうではあるし、なんとか今日のノルマは終わりそうだ。
イノは帰り支度をするために席を立った。
その時、けたたましい音をあげて、教室の隅の黒電話が振動した。
イノとオスカーは顔を見合わせた後、電話に近いイノが黒電話の受話器を取る。
「もしもし」
イノはその受話器から衝撃的な声と要件を耳にした。
「嘘だろ……」
*
「よく来たな」
寝静まる帝国の街の上で、氷のような月が冴え渡っている。
電話で一方的に告げられた待ち合わせ場所には、今日の昼にもイノを呼びつけた赤髪の女性。
帝国軍准尉で公爵令嬢、ルビア・アマデウス・ニューロリフトであった。
「勘弁してくれよ、何時だと思ってんだ」
時刻は二十三時。
電話で呼び出す時間としては、あまり常識的とは言えない。
これだから貴族は嫌なのだ。
ルビアの身勝手さに、イノは頭を抱えそうになる。
「すまないな。今日中に手がかりを見つけてしまってな。いても立ってもいられなくなったんだ」
そんなイノを前に、ルビアはケロッとした表情をしていた。
というかお嬢様はこんな時間に街をうろついててもいいものなのだろうか。
そんな杞憂に縋りたくなるくらい、今のイノは帰りたい一心だった。
「先日、暴行にあっていたエルステリア人を見ただろう。そんな弱き者を不当に扱う組織に見当がついた。彼を助けにいく」
そして、今日の夜の目的も、正義感の強いルビアらしいものであった。
イノは思わず溜め息を吐き、目の前のルビアに鋭い視線を向ける。
「前にも言ったはずだ。そんなことしてもいいことないって」
「それに対して私も言ったはずだ。それは弱き者に手を差し伸べない理由にはならないと」
それに、この町の安寧を脅かす組織なのだとしたら、治安部隊として動くのは別に間違っていないだろう。
イノの睨みを物ともせず、ルビアはもっともらしい事を言ってのける。
「俺はその治安部隊とは一切関係ないんだが?」
「しょうがないではないか。君に私の武器を預けていたのだ。持ってきてもらわねば困るだろう」
そう言って、ルビアはイノの手に持つ剣を指差す。
ルビアの獲物である『ヒート・ブレード』
最初に持ち込んでもらった後から、いくつか調整を加えており、それでイノ達が預かっていたのだ。
「ほら、そんなに嫌そうな顔をするな。それを渡してくれさえすれば、帰っていいから」
ルビアは手を差し出す。
普通に渡してそのまま帰ろうと決めていたのだが、ふと聞いてしまった。
「あんた、一人でその組織とやらに乗り込む気か?」
「ん? そのつもりだが」
その返答を聞いて、イノの頭の中に大量の雑念がよぎった。
ルビアが勝手に一人で行くって言ったんだし、俺には関係ない。
それに彼女は軍のエースだし、ただの街のごろつきなんぞに遅れを取らないだろう。
でも————
もし一人で行かせてなんかあった場合、最後に会ったのは俺なんだよな————
イノはぐあーと唸りながら、天を仰いだ。
そしてまた、大きな溜め息をつく。
「いや、俺も行くよ。その武器が正常に動作するかを見届けないと気持ち悪いからな」
思いついた適当な言い訳をそのまま口から出し、イノは剣を渡さずにルビアの横を通り過ぎる。
そのまま、目的地に向かおうとした。
「おい、民間人を介入させるわけには————」
「俺達は魔法技師である前に、帝国に認められた魔法士だ。正当な理由さえあれば、街中でも魔法を発動しても良いことになっている」
治安維持以上に正当な理由も無いだろう。
イノはルビアに背を向けたまま、夜の街を暗闇の方に歩き出した。
顧客の依頼だ。
サービス残業も仕方あるまい。
「要は、自分の身は自分で守れるってわけだ」
*
中央街『レグルス』の外れ。
街の中心から離れれば離れるほど、建物の雰囲気は暗く、そして風化していく。
イノ達が訪れたのは、そんな寂れた空気の中でも異質な存在感を放つ廃工場であった。
壁に罵詈雑言が何色ものペイントで描かれていたり、窓が全て割られていたりと、この辺りの地域の治安が如実に表れていた。
「いかにもな場所だな」
帝国の薄暗い部分を象徴している。
貴族の国であった帝国は、今も当時の格差社会の名残が残っていた。
生まれた家で生活が豊かかそうでないかがはっきりと決まり、その貧富の差は決して埋まることはない。
それでも、『レグルス』の近くにいなければ碌な仕事がない。
新たな仕事を得るために都市から出ようとしても、『アルディア』の外はもう安全じゃない。
それに加えて、同盟によるエルステリア人の移民だ。
歪みが発生しないわけがない。
こういった理由で、中央街『レグルス』を囲むようにスラムが形成されているのであった。
特に、『アルディア』の北側は闇社会の温床となっている。
「まずは、調べてみないことには始まらない。行ってみよう」
イノ達は人を寄せ付けまいとする雰囲気の廃工場に近づいていく。
ある程度近づいてみると、壁の奥から物音が聞こえてきた。
忙しない様子で、荒々しい指示の声が飛び交う。
あまり穏やかな雰囲気ではなさそうだ。
イノ達は工場入り口の扉の前に張り付いた。
「————鍵がかかっているか。やむをえん。剣を貸せ」
「おい待て、そんなもんで扉を壊そうものなら音で気づかれるぞ」
「どうして我々がこそこそしなければならない」
「中に何があって、何が行われているか分からないだろうが、あくまで調査なんだろ? 慎重に、静かに中に入るんだよ」
イノに言い返され、少しむすっとするルビア。
この辺りは世間知らずのお嬢様が出ている。
「では、どうやって中に入るのだ?」
慎重に、静かに。
扉を壊す方法はいくらでもある。
イノは懐からあるものを取り出した。
手のひらサイズのその物体は朱色の魔石がついており、入り口の扉の鍵の部分にすっぽりとはまった。
イノが魔力を込めると、機械音が鳴り出す。
すると、ジ————ガチャ、という妙な音を立てて、扉が開いた。
「なんだこれは? どうやって開いたんだ?」
「鍵内部のシリンダーピンをバーナーで焼き切ったんだ。そのための装置」
「おいおい……なんでそんなもの作ってあるんだよ」
ルビアがジト目でこっちを見てくる。
うーん、あんまり覚えていないな。
でも、鍵をなくして家に入れなくなることはそれなりにあるのではないだろうか。
決して疾しいことに使おうとしていたわけではない。
魔法でセキュリティがガチガチの公爵家邸宅に住んでいては分からないことなのかもしれないが。
なるべく音を立てないように扉を開け、工場内に入る。
外から見たその工場は世紀末のような荒れ様であったが、中も同じようなものだった。
室内はそれに加えて空気も澱んでいる。
入ってすぐに、横から人の気配がした。
すぐに脇に隠れ、その人影を確認する。
「さっさと運ばんか」
「ひい」
会話をしているのは、ガラの悪い男とエルステリア人労働者であった。
怯える金色の民を追い立てて、木箱に入った何かを運ばせている。
「金属音……それと火薬の匂いだ」
いや、どんな耳でどんな鼻してんだ。
イノには何も聞こえないし、何も香らないが、五感が研ぎ澄まされているルビアが言うならそうなのだろう。
そして、もう一人の労働者が運んでいるのは、木箱に詰め込まれた白い粉だ。
「あれからは妙な香りがする……これは確定だな」
やはり、後ろ暗い事をしていたか。
ルビアは渋い顔をする。
そして、次の瞬間には、体を前傾姿勢にして物陰から出ようとしていた。
「ちょちょい、何しようとしてんだ」
「悪党どもを懲らしめるに決まっているだろう」
「あくまで調査なんだろ!? 自分で全部なんとかしようとするな。こういう時はまず通報だろうが」
またもやむすっとしながら、ルビアは通信魔法で応援を呼ぶ。
この時は本当に嫌そうにしている気がした。
応援を呼んでいる間も、ルビア達は賊の一挙手一投足を注意深く監視する。
すると、エルステリア人達と悪党は、荷物を持ったまま奥の巨大倉庫に向かっていった。
そこには、何人もの無法者達が集まっていた。