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第11話 街の景色

「どうして止めたんだ!?」



 イノは、しばらくルビアの後ろ襟を引っ張って、元いた大通りの方まで戻った。


 暗く静かな裏通りから、再びガヤガヤとした中央街の喧騒が耳に入ってくる。



 イノはあの場所から十分離れたことを確認した後、引っ張るのをやめて立ち止まる。


 すると、ルビアがイノの肩を掴んできた。



「私は正義を執行しようとしたんだ。それを君が止める理由がどこにあるというのだ!?」



「……お前、あいつらをどうするつもりだったんだ?」



 イノはあくまで冷静にルビアに質問を返した。


 そんなことを聞かれるとは思っていなく、ルビアの勢いが削がれる。



「どうするって……不当な行為を取り締まって、暴力を止めさせるんだ」



「それで、その後は?」



 再び、イノに質問を重ねられ、ルビアは言葉に詰まった。



 イノは肩を掴むルビアの手を振り払う。



「お前に取り締まられた反動で、あのエルステリア人労働者の扱いがより酷くなるとは思わないのか?」



「そ、その時はもう一度取り締まる。改善が見られないようなら、彼らの会社に対しペナルティを課すことも考えよう」



「それで、そうした後はどうなんだ?」



「その後って……」



 イノはルビアの正義を執行したその後のことを問うていた。


 つまりは、エルステリア人の労働者が、あの環境から解放された後どうなるのか。



 しかし、ルビアからはなんの返答も帰ってこなかった。



 イノは溜め息をついて、懐から煙草を取り出す。



「そこまですれば、いずれにせよあのエルステリア人はその会社にはいられなくなるだろう。そうしたら、お前はどうやって彼の生活を保障するんだ?」



 今の時代、職を失うということほど残酷なことはない。


 ただでさえ賃金が少ないエルステリア人ならば尚更だ。



 彼らにも養わなければならない家族がいる。


 明日を生きるのに必死なエルステリア人労働者にとって、働く場所が無くなってしまうのは絶望的だ。



 であれば、どれだけ不当な扱いを受けようと、泥水をすすろうとも、今の場所に縋り付いていなければならないのだ。


 根本的に何かが変わらない限り、今の状況が変わることはないだろう。



 イノは煙草を口に咥え、後から取り出したライターで火をつける。



「お前は、彼が助けを求めているように見えたのか?」



 空に煙を吐きながら、イノは追い討ちをかけるようにルビアに問う。



 そうは見えなかったはずだ。



 むしろ、彼はほっといて欲しかったのだろう。


 自分が我慢すれば、全部丸く収まると思って……



「……ちょっとは、考えてくれ」



 イノはそう言うと、ルビアに背を向けて歩き出す。



 まさか、これほど世間知らずだったとは……



 この国の状況、労働環境、身分や人種による差別。


 いくら世情に疎くても、この街で暮らしていれば嫌でも目につくものだ。



 どれだけ温室育ちなのか。


 それとも、そういったものから遠ざけられて生きてきた?



 いずれにせよ、こんな調子でパトロールなど続けていたら、数秒ごとに立ち止まってトラブルに顔をつっこむことになってしまうだろう。


 到底、付き合ってられない。



 お客様には悪いが、専属の契約内容は見直しとさせてもらおう。




「————だけど」




 イノが見切りをつけようとしていた時、ルビアが口を開いた。


 そして、少し俯き加減だった顔を上げる。



「それは……あの人を見捨てていい理由にはならない」



 後ろからぶつけられた言葉に、イノは咄嗟に立ち止まり、彼女を見る。


 彼女は曇りのない透き通った瞳で、淀みのない凛々しい面持ちで、ただ真っ直ぐとイノを見ていた。



 いや、見つめていたのはイノではない。


 その先にある何かを見ている。



 イノには彼女の視線が、それくらい遠くの、光の先にあるように感じられた。



「同じ光景を目にしたら私は何度でも助ける。それが私のやるべきことだ」



 ルビアは強い足取りで歩き始め、イノを瞬く間に追い越していった。



 胸を張って歩くその後ろ姿を、呆気に取られながら見つめる。



 な、なんなんだ……


 これだけ丁寧に説明してやったのに、全部無視された。



 何があってもねじ曲がらない信念。


 一貫して自分の正義を貫く強い心。



 光のように、障害も何も無視して突き進む。




 覚えがある、この心の中の(もや)




 やっぱり、俺はこの人が————




 苦手だ。





 *





 ルビアに続いて、イノは中央街『レグルス』を歩き回った。


 あの後は運が良く、特にこれといったトラブルは起きなかった。



 ルビアはイノがあれだけ冷たく突き放したのにも関わらず、まるで何もなかったかのように『レグルス』の道や建物のことを聞いてきた。



 この先はどうなってるんだとか、この店は何を売ってるんだとか。


 何の気兼ねもなしに、子供のように次々と聞いてくる。



 話しかけるなオーラは彼女には効かなかったようだ。




「今日はこれくらいにしよう」




 ルビアは唐突にパトロールの終わりを告げた。


 いつの間にか太陽は橙色に燃えて、大地に沈もうとしている。



 気づけば随分と歩き回り、中央街『レグルス』の外れの方まで来ていた。


 イノ達が着いたのは、『レグルス』の北西にあり、街を一望できる展望台だ。



「ふわ……風が気持ちいいな」



 ルビアは手すりの前でうーんと伸びをする。


 眼下には夕暮れ時で落ち着いた雰囲気の『レグルス』の街並みが広がっていた。



 清々しそうなルビアに対し、イノはこの一日で随分とストレスを溜め込んだ気がした。



 街のいかなるトラブルにも首をつっこみそうで気が気じゃなかった。


 まるで子供のお守りである。



 決して、魔法技師のする仕事じゃない。



 イノはルビアの後ろで小さく溜め息をついた。



 タバコが吸いたくなるな。


 イノは懐に手を突っ込んで、箱を取り出そうとする。




「なあ、君には夢はあるか?」




「え?」




 唐突な質問にイノは目を丸くする。



 いきなり何を言い出すんだ。


 夕暮れのこのエモーショナルな風景に当てられたのか。




「私にはある」




 どう答えようか迷っていると、ルビアが先に口を開く。



 彼女はずっと、海に落ちていく太陽を見つめていた。




「私の夢は、世界を平らにすることだ」




 世界を平らにする。



 ルビアが言いたいのは、人々の価値観を『等しく、平らに』したいということだろう。



 この世界にはさっきのような、差別や(いさか)いで溢れている。


 身分や人種、考え方の違いのせいで、力の弱いものが虐げられる。



 それがこの街の、ひいてはこの国、この世界の現状だ。


 目を背けようとしても背けられない、世界の闇の部分。



「だから、その考えの違いをなくしたい。そうすれば、争いはなくなるだろう?」



 みんながお互いのことを分かり合えば。


 手を取り合えば。



 戦争などしなくて良いはずなのだ。



 みんな同じ人間なのだから。




 彼女の言いたいことは分かる。


 彼女の叶えたい願いも。



 だが、現実と照らし合わせれば、それはあまりに夢物語だ。



 それでもルビアは、この世界の闇を前にしても、光り輝く希望を胸に抱いていた。




「だからこそ、私はいつかこの国を出て、この世界を見てみたい」




 そして、全世界の人たちに伝えたい。



 様々な国を旅して、色々なものを見て、色々な人と出会って。



 そして、伝えよう。



 みんな、手を取り合うべきだと。




 ルビアは、そんな子供が考えそうな大きな夢を、純粋に語っていた。



 茜色の空を見る彼女の後ろ姿が太陽に重なって、赤く、燃えるように輝く。




 改めて思う。



 俺はこの人が苦手だ。




 彼女は貴族で、世間知らずで、所々に自己中心的なところが垣間見える。



 他人の目など気にせず、その場の空気など気にせず、自分の信念を貫き続ける。




 まるで光のように真っ直ぐ突き進み、周囲を巻き込んでいく存在が苦手だった。




 だけど、今の時代にはこういう存在が必要なのだろう。




 子供のように自分の夢を追いかける。


 誰かを信じて、人のつながりを信じる。



 こんな世の中になっても、純粋な心を持ってそれをやり続ける。



 辺りを照らす光のような存在だ。



 それが、今の時代には絶対に必要なんだ。



「なんて。子供みたいな夢を語ってしまったな」



 ルビアはイノの方に振り返ると、照れ臭そうにはにかむ。



 彼女の話を聞いている間に、太陽は『プライオル海洋』の先に落ちていった。


 日の光が生み出した黄金色の余韻が残る空には、ぽつぽつと星が見え始めていた。



「だが、君が思ってる通り、私はまだまだ世間知らずだ」



 ルビアは整った長い赤髪を、くるくると指先に巻きつける。



 案内がなければ、ろくに道も歩けない。


 トラブルに何でも首を突っ込みたがる大馬鹿者だ。



 だから————




「だから、またこうして付き合ってくれないか? 私の子供のようにわがままな希望に」




 手の仕草をすばっと止めると、ルビアは真っ直ぐとイノを見つめ、誠実に頼み込んだ。


 太陽はとっくに隠れているというのに、イノの目には彼女が光り輝いて見えていた。



 ————やれやれ。



 依頼主の頼みとなれば、断ることなどできない。




「————暇な時でよければ……」




 今度はイノが少し照れ臭くなって目を逸らした。



 すると、ルビアは顔が徐々に満面の笑みになっていく。




「本当か!? じゃあ、また明日な」




「へ? 明日!?」




 明日って言ったか?



 聞き間違いじゃなくて?



 イノの耳が悪かったことを信じて、ルビアに確認しようと前を見た。



 だが、そこにはもう誰もいなかった。



「またな〜〜!」



「お、おい、ちょっと————」



 ルビアはとんでもないスピードで走り去っていった。



 その場にはポカンと口を開けたイノだけが、またも取り残される。




 な、何なんだよ……



 こっちの事情なんかお構いなしか。




 やっぱり————



 俺はあいつが苦手だ。




 専属なんて、受けるべきじゃなかったかもしれない。




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