第131話 ダンテ園
ルビアに連れられて向かった先は、エルステリア人の地区、『ダンテ』だった。
この街は相変わらず静かだ。
『ダンテ』の人達は皆、『レグルス』の賑やかな雰囲気とは対照的に、随分とひっそり暮らしている。
店なんかも一応出ているが、大声で客引きする者は一人もいない。
活気があるとは言い難かった。
二人は無言でその道を歩き続ける。
ルビアは『ダンテ』の中央に向かっているようだった。
『ダンテ』の中心部、そこには大きな広場がある。
そしてそこには、大きな女神像が置いてあった。
エルステリア人達が作った、『サン・ミッセル王国』の象徴とも言える『女神アルテナ』を模した石像。
最初の人間、そして最初の魔法を作ったとされる女神である。
これをこの広場に置いているのは、光の民族達のせめてもの抵抗のようにも思われた。
女神像の全体が見える位置まで近づくと、その下で誰かが手を振っているのが見える。
それは、見覚えのある人物だった。
「ルビア〜〜! イノ君〜〜!」
ウラ・イステル。
背伸びして大きく手を振っているのは、『喫茶店イステル』を経営しているウラだった。
アイナの前任の『エンゲルス』隊長、クルト・イステルの妻である。
イノが彼女を目にするのは、実に三ヶ月ぶりであった。
クルトが作戦を果たしたあの日以来、イノはあの喫茶店には訪れていなかったからだ。
行きづらかったというのもあるし、イノ自身、自分のことで精一杯だったので行く余裕もなかった。
だからこそ余計に、久しぶりな感じがする。
「ウラさん……」
なんだかんだ久しぶりに会った彼女の姿は、外見に変化があった。
お腹が、膨れていたのである。
まだ目を見張るほどではないが、それでも確かに膨らみが見えていた。
妊娠していたのは三ヶ月前から知ってはいた。
だが、このような分かりやすい変化を目にすると改めて実感する。
彼女の中にいるのだ。
彼等の子が。
「ウラーー!!」
ルビアはウラに走り寄り、抱擁を交わした。
クルトの亡き後、二人の関係は複雑な状態にあると思っていたが、いつの間にこんなに仲良くなっていたのか。
そんなことも、イノは知らなかった。
「イノ君も、久しぶりね」
「……」
イノは返事を返そうとして、結局言葉が出なかった。
ウラはそんなイノに何も言わず、ただにっこりと微笑む。
「さて、行きましょうか」
ルビアとウラは行くところが決まっているかのように歩みを進める。
彼女の手は未だイノの手を離さず、そのまま引っ張られ続けていた。
どこに向かうつもりなんだろうか。
イノは行き先も知らぬまま、ただ二人の後をついていく。
『ダンテ』の中央広場からしばらく歩くと、この辺りでは少し大きめの施設が見えてきた。
それは、どうやら孤児院みたいだった。
「あ! 喫茶店のおばさんだ!」
「おばさんはやめなさい! まだそんな歳じゃないんだから」
ウラの元に子供達が走り寄る。
その子供達は、エルステリア人のみならずサラメリア人も混じっているようだった。
入口の表札には、地区の名前をそのまま用いて、『ダンテ園』と書かれている。
それを横目に見つつイノは、ウラとルビアに連れられて中に入った。
こじんまりとした古い建物だった。
この十数人の子供達を養うには少し手狭なくらいだろう。
だが、子供達はこの小さいスペースでも存分に体を動かし、仲良く遊んでいた。
人種の違いなど関係なく。
そこに国境も差別も何もなかった。
「……ここは?」
「『ダンテ』園、この地区唯一の孤児院だ。行き場のなくなった子供達をここで引き取っている。ウラに教えてもらって、私もよく来るようになったんだ」
帝国は戦争中であり、情勢は不安定だ。
様々な原因で子供が捨てられることは少なくない。
イノだって捨て子なのだ。
アイナの両親が拾ってくれなければ、イノもこのような孤児院に入っていたのだろう。
この孤児院は、そんな行き場の失った子供達を引き取っているところのようだった。
エルステリア人もサラメリア人も、あるいは混血でも関係なく。
ルビアも荷物を置いた後、子供達の輪に混ざっていった。
子供達がルビアも存在にも気づく。
「あー! 変な喋り方のお姉さんだ!」
「変な人だー」
「変なおばさんだー」
「ちょっとー! やめてよー!」
蜘蛛の子を散らすように逃げる子供達と、それを涙目で追いかけるルビア。
ルビアは完全に子供達にからかわれていた。
そんな顔も、できるんだな。
普段は騎士の口調で自分を律している姿を見ているので、あんなルビアの姿を見るのは新鮮だった。
「おやおや、また新しい人がきたんじゃのう」
一人置いてかれたイノの元に、誰かが話しかけてきた。
その人物は背の低い老人だった。
濃褐色の帽子を深く被り、杖をつきながらこちらに歩いてくる。
そして、老人は帽子を取り、イノに一礼した。
「この国の現実にようこそ」