第10話 専属契約初日
こうして、イノ達とルビアの奇妙な専属契約が始まった。
ルビアは帝国士官であり、公爵家のお嬢様。
紛うことなき上客である。
依頼金も弾むだろうし、性能のいい魔法具に触れられるという点でもメリットは多く、客観的に見れば非常にいい契約だと言えるだろう。
だからこそ、イノはルビアとの契約を承諾した。
だが、イノはこの契約をすぐに後悔することになった。
「————って、なんでこんなところに呼び出されないといけないんだ……」
場所は城塞都市『アルディア』、中央街『レグルス』のど真ん中。
昼時で大通りに並ぶ飲食店や屋台は、休憩に入った労働者を狙って自分の店をアピールしている。
まだまだ仕事は残っているというのに、どうしてこんな魔法技師の作業場とは程遠いところに連れてこられなかればならないのか。
この場所にイノを呼び出したのは、専属契約の依頼主であるルビアであった。
「決まっているだろう。今から街のパトロールをするからだ」
「何が決まっているんだよ。それが専属魔法技師とやらの仕事か?」
真紅の軍服を身に纏った正装姿のルビアに対し、あからさまに文句を言うイノ。
パトロールに付き従うなど、契約書のどこに書いてあったというのだ。
契約書的な書類すらそもそも貰っていないのだが。
ルビアはさも当然という態度でイノの文句に答える。
「私は普段から取り締まりのために武器を携帯していることが多い。ならば、普段の私を見てもらって、私に合う装備を考えてもらうのが一番いいだろうと思ったんだ」
彼女は筋が通っていると思って言っているかもしれないが、イノにとっては暴論以外のなんでもない。
これが魔法技師の仕事であってたまるか。
これだから貴族は嫌いなのだ。
彼女も根っこは、テーリヒェン大佐と同じなんじゃないか。
ぶつぶつと言いながら、イノはルビアについていく。
契約は契約なので、基本的には顧客のご要望が優先だ。
今までのテーリヒェン大佐の無茶振りに比べれば、パトロールについていくなんてのはまだまだ可愛いものである。
ルビアの巡回業務は、基本的に午後から夜にかけてやるらしい。
訓練や事務業務の合間に行うとのことだったが、頻度は多いようだ。
業務内容としては、軽犯罪の未然の防止、取り締まりである。
不審者やモラルに反する動きをしている人間を注意し、限度を過ぎれば罰を執行する。
これに関して、イノが関与できる部分は微塵もない。
ただついていくだけだ。
一体、このお嬢様は何を求めてイノを呼んだのだろうか。
疑念に満ちた視線の先では、軍帽を目深に被ったルビアがキョロキョロと辺りを見回していた。
その時————
「……!」
ルビアはふと立ち止まり、彼女の目線もある方向で固定される。
急に立ち止まるので、すぐ後ろを歩いていたイノは彼女にぶつかりそうになった。
「ど、どうしたんだ?」
「悲鳴が聞こえる……!」
「え?」
耳を澄ましてみるが、昼の大通りの喧騒に遮られて何も聞こえない。
周りの人間もそれに気づいている様子がない。
もしこの雑音の中から、何かしらの悲鳴を聞き分けているのであればとんでもない聴覚だ。
「……助けないと!」
「ちょっと……おい!」
ルビアは弾けるようにその場を飛び出していき、人混みを掻き分けて奥へと走っていった。
まじかよ……
俺はこれについていかなければならないのか……?
呆気に取られて、ルビアが走って行った先をぼうっと見つめる。
くそ、もういやだ。
これだから身勝手な貴族は嫌なんだ。
俺は————この人が苦手だ。
心の中で悪態を吐くと、イノも走り出した。
*
中央街『レグルス』には巨大な建物も多く、その建物同士の隙間によって作られる裏通りは、日光が遮られて昼でも薄暗い。
活気のある大通りと比べれば、こういった裏道はじめじめしていて誰も通りたがらない。
それゆえに、この場所はトラブルや犯罪が起きやすくなっている。
そしてとある裏道、階段状の道の中腹。
ここでもトラブルが起こっていた。
「……ったく、使えねえな」
作業着を着た強面の男が数人、道の角で縮こまっている青年を囲んでいる。
どこからどう見ても、穏やかな雰囲気とは言えなかった。
「荷物すら運べねえのか、この金目がっ!」
「ひいい! すみません……」
男の一人が青年の横の壁を思い切り蹴る。
恐怖で青年の体がより小さくなった。
青年の黄金の瞳には、涙が滲んでいる。
「はあ……やっぱりエルステリア人労働者なんて雇うんじゃなかったですよ」
「しょうがねえだろうが、こんな仕事に人件費なんてそんな多く費やしてられねえんだ」
あえてなのか、帝国民の労働者達は青年に聞こえるような声の大きさで話す。
青年の体がぶるっと震えた。
「と言っても……ちゃんと仕事してくれねえと、こっちとしても色々困るんだわ」
一人が強面の顔を青年に近づけ睨みを効かせる。
青年は恐怖に押しつぶされており、ろくに返答ができなかった。
その態度が気に食わなかったのか、その男は拳を振り上げた。
「……聞いてんのかって!」
拳を振り下ろそうとした、その時————
「そこまでだ!!」
男達の後方から、よく通る女性の声が響く。
振り向いた先にいたのは、赤い軍服を着た帝国士官。
法の番人のように仁王立ちしている女性軍人であった。
「寄ってたかって弱き者をいじめるとは何事だ!」
威勢のいい声を発し、その女性軍人はどんどんと距離を詰める。
突如として現れた国家権力に、その場にいた男達は怯まざるを得なかった。
だが————
「暴行の罪により君達を————ふわああっ!!」
彼女のセリフは途中で寸断された。
誰かに後ろ襟を掴まれて、引っ張られているようだった。
「ちょっと! イノ! 何して————」
「いいから!」
そのまま後から現れた男に引きずられていく。
やがて、二人は曲がり角を曲がり、見えなくなっていった。
薄暗い裏道には、ぽかんとした男達だけが残される。
「な、なんだったんだ……?」