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第9.5話 海の精霊②

「……ぜんっぜんいないんだけど!!」



 魔獣捜索から五時間は経った頃、へとへとになってイノ達は集合地点へと帰ってきた。


 お互い、それっぽい獲物は見受けられない。



 イノとオスカーの釣り部隊は、二人とも海中を凝視しすぎて、目がうつろになっている。


 小魚はいくつか釣ったものの、ターゲットにはかすりもしなかったのだ。


 重かった釣具用のケースが、帰りはとても軽かった。



 セシリア、ルビアの素潜り部隊の方も、指先をしわくちゃにして濡れ鼠のようになっているものの、何も成果は得られなかったようだ。


 あからさまにぜえぜえ言っているセシリアに対し、ルビアはピンピンとしていた。


 ただ、なんだか申し訳なさそうにしていた。



「そっちもだめだったのか……」



「だめだったとかっ……なんかそんな次元じゃないんだもん! ルビアが興奮で魔力が漏れ出てて発熱してるから、熱感知の魔石が使い物にならないし!」



「面目ない……」



 セシリアが地団駄を踏んでいる中、ルビアは耳を真っ赤にして顔を手で覆っていた。



 そんなに楽しかったのか。


 確かに、公爵令嬢がなんの遠慮もなく海で泳ぐなんてことなさそうだしなあ。



 まあ、それも些細な問題に過ぎない。


 それ以上に根本的な問題があった。



「……それに、こんなに広かったらキリがないよ!」



 セシリアは海を指さして訴える。



 浅瀬だけとは言っても、海は広大だ。


 目視で泳いで探すと言うのは、よく考えれば無謀である。



 その点釣りならば、広大な海域をカバーできるかもしれないが、それでもある程度ターゲットの位置を絞らなければ空振りに終わる。



 イノ達は考えが甘かったのだ。



「とりあえず、一旦戻って作戦会議をしよう」



 一向はとぼとぼと拠点の方に戻っていく。


 食料なども持ってきているので、水と栄養を補給してから、また頭を働かさなければ。



「あれ? アイナは?」



 少しおかしなことがあった。


 荷物のところに戻ってみたが、荷物を見てくれていたはずのアイナがいないのだ。


 アイナが読んでいたはずの書物がポツンとそこに置いてある。



「トイレかなんかじゃないのか? セシリア、探しに行ってくれないか?」



「うん、分かった」



 セシリアは返事をして、あたりを探しに出かけた。


 アイナは勝手にふらふらと行動するタイプではない。



 だから、その辺りにいるとは思うんだが。




 それよりも、今は目の前の問題である。



 相手は当然変異した希少生物。


 最近になって目撃情報が多発しているとはいえど、簡単に見つかるものでもないんだな。



 目測を誤った。



「リーダー……これはあてを見つけないと絶対見つからないですよ」



「うーん……」



 イノは腕組みをして、唸るような声を出す。


 このままじゃ拉致が開かないのは確かだ。



 何か『ヴォールス』に関する手がかりはないか。



「そもそも、深海の生物が、こんな浅瀬まで上がってくる理由は何なんだ? 魔獣と言えどテリトリーを抜け出すのは不自然だ」



 ルビアが首を傾げて疑問を口にする。



 ターゲットは深海、海底火山の近くに生息しているはずだ。


 そのため、どんな水圧にも耐えうる鱗、表皮を持っているという。


 だからこそ、イノが防具の素材に決めた。



 言われてみれば、確かに当然の疑問ではある。


 そもそも水上まで上がってくる必要がなければ、そんな硬質な体を持つ必要もないはずなのだ。



「えっと……ちょっと待ってください」



 オスカーが書物を懐から取り出す。


 それは、いくつかの魔獣に関する情報が載っている書物だった。


 こういう時のために、オスカーに持ってきてもらっていたのだ



 オスカーは『ヴォールズ』のページを開いてみんなに見せる。



「なになに、『ヴォールズ』は……」



 外見は最初にイノが説明していた通りだ。



 というか、イノ達がチェックしていたのは外見くらいであった。


 姿形さえ分かれば、ターゲットを見つけ、捕獲できる。



 他に手がかりはないかと、オスカーは別のページをめくった。



「最初に目撃されたのは五年前……この魔獣は肉食、深海の魚などを食べて暮らしている……で、『ヴォールズ』には捕食時に、他の生物とは違った特徴を見せる」



 オスカーの読みに合わせて、イノも書物の文章に目を走らせる。


 その先には他の生物とは違った、『ヴォールズ』の変わった生態が記されていた。



「他の生物の魔力ごと、捕食する……」



「ど、どういうことだ?」



 ルビアがその文言を理解できず、イノに問う。



 この言葉が意味すること。



 つまりは、魔力を食らうということ。



「おそらく、他の生物の魔力を吸収して自分のものにすることができる、ということでしょうか」



 オスカーが文章を解釈して、分かりやすい言葉に変えてくれる。


 おそらくオスカーの推測で正しいだろう。



 すなわち、こいつの餌は魔力を持った生物、ということになる。



「なるほど……大体読めてきた。この世界の生物で、魔力が最も強いのは、人間……」



 そう、この魔獣が求めているのは————




 人間という餌だ。




 そのために、こいつらは自分達のテリトリーを抜け、浅瀬まであがってくる。


 人間を、その人間の魔力を食うために。



 そう思うと、今まで被害報告が出なかったのが不思議なくらいだ。


 人間に害を与えると分かれば、それ相応の対処が必要になる。


 軍にこの情報を報告する必要がありそうだ。



 だが、一応、疑問は晴れ、『ヴォールズ』を捕獲する()()も手に入れた。



 次の問題は、この情報をどう生かすかだ。


 奴が人間に食いつくまで海に居続けるというのは少々気の遠くなる話である。



 この情報を踏まえ、イノが次の行動を考えていると、セシリアが遠くから戻ってきた。



「ちょっと! みんな!」



 大声で、セシリアはイノ達を呼ぶ。


 何か慌てている様子だった。



「アイナがいないの! どこにも!!」



「な、なんだと!?」



 セシリアにはアイナを探してもらっていた。


 トイレに行ったのなら、イノやオスカーが迎えに行くわけにもいかないからだ。



 だが、そうでもなく、この近くのどこにもいない……?



「本当に、どこにもいないのか!?」



「いろんなところを探してみたよ! けどいない!」



 アイナがいない。



 アイナは自分の役目を放り出して、勝手にどこかに行くような性格じゃない。


 だとすれば、ここを離れなければならない理由があったはずだ。



 何かしらの緊急事態……? 


 何かから、逃げ出した……?



 その時、イノの脳裏には、先程暴いた『ヴォールズ』の生態がちらついていた。



 嫌な予感がする。



 イノはすぐに三人の方を向いて、指示を出した。




「全員で探すぞ!今すぐにだ!」





 *





 暗い洞窟の中を手探りでゆっくり進んでいく。


 光魔法で足元を照らせているからいいものの、そうでなければ一寸先も見えないような暗闇だ。


 足場も悪く、非常に危険である。



 先に入っていったあの子は大丈夫だろうか。



 あまりの暗さに子供の安否が気になりつつ、アイナは足をできるだけ早める。



 洞窟内の環境音はほとんどない。


 湿気によって滴る水滴の音が、あちこちで聞こえてくるくらいだ。



 アイナがどんな音も聞き漏らさぬよう、注意深く進んでいると、景色に変化が現れる。


 目線の先に淡い光が漏れているところがあった。



「あそこに入って行ったのかな……」



 他に分かれ道もないので多分そうだろう。


 淡い光の方に向かってしばらく進んでみる。



 すると————



「ふわあああ……!」



 思わず、アイナの口から歓声が漏れ出る。



 その場所には、幻想的な風景が広がっていた。



 洞窟内の壁に付着している、緑色の魔石の結晶が光源になっている。


 その結晶が海水をエメラルドにし、この洞窟の開けたスポットをその色に染め上げていた。


 結晶の淡い光に照らされたところには、様々な種類の植物がちょっとした茂みになるくらいに生えている。



 洞窟なのに緑が溢れていた。



 どうしてこんなに自然が……?



 アイナは海の水が流れ込んできているところに行き、それに徐に手をつける。



「温かい……」



 まるで温泉だ。


 この温かい海水のおかげで、ここは自然豊かなのか。



 海水の温度が高いと、水中の浮遊生物が少なくなり、周囲の光の色を反射しやすくなると聞いたことがある。


 そのおかげで海水はエメラルドに輝いており、海水の温度につられてこの空間の気温も高いのだろうか。



 アイナは自分の中にある知識を総動員して、そんな推理を立てる。



 いや、私の知っているイノは、もっと思考を働かせるはずだ。



 どうして、こんなにも水温が高いのか。



 『プライオル海洋』はそこまで温かい海ではないはずなのに。



 本当に温泉かなんかが湧いているのか?


 いや、この辺りは火山地帯でもなんでもない。



 海の奥深くに海底火山があるくらいだ。



 海底火山?



 そういえば、イノ達が探しているのって……



 アイナが脳をフル回転させて、一つの答えに辿り着こうとしている、その時だった————




 洞窟が揺れた。




 ただならぬ衝撃と轟音とともに、アイナの地面が揺らいだ。



 そして、次の瞬間、アイナの背後に()()が現れた


 アイナもその気配に気づいて、おそるおそる後ろを振り向く。




 そこには、化け物がいた。



 その黒い化け物は、口を大きく開け————




 黒い炎を、迸らせた。





 ————————————————————————————————





「はあっ……はあっ……!」



 暗い洞窟に、息遣いが響く。


 顔を歪めながら、必死に洞窟内を走り続けるのはアイナだ。



 危なかった。


 まさか黒炎の吐息(ブレス)を吐いてくるなんて……


 あの黒い炎に当たってしまったら、恐らくひとたまりもない。



 あれが、私達の探していた魔獣『ヴォールス』



 アイナの目の前でその炎は放たれたが、それはアイナをとらえず、頭上を通過して洞窟の壁に当たったのだ。


 命は助かったが、その代わり、壁が崩れたことによって入り口が塞がれてしまった。



 まさかとは思うが、わざと外して退路を絶った……?


 私を焼き殺すのではなく、捕食するために……?



 その瞬間、体が震え上がった。



 怖い、どうしよう。



 アイナの体と心が、恐怖に支配されようとする。


 だが、ここで足を止めるわけにもいかなかった。



 自分で自分の命を捨てることは、最も愚かなことだとイノが言っていた。


 彼との約束を守るためにも、アイナはここで死んではいけない。



 それに、あの子供もまだ洞窟内にいるはずだ。


 あの子もここから助け出さないと、魔獣の危機に晒される。



 だからこそ、足を止めるわけにはいかないのだ。



 アイナは息を切らしながら、洞窟内を走る。


 しかし、光魔法で照らしているとは言っても、洞窟の暗闇は深い。


 道はまるでアリの巣のように入り組んでいて、もうどっちが地上に出る出口なのかも分からない。



 しばらく道なりに進んでいると、再び開けた空間に辿り着いた。


 そこは、先程魔獣に遭遇したところではなかったが、同じように空間が淡い碧色に照らされている。



 どこか出口につながるような道はないかと、アイナはそのスペースを見渡す。



 そこで、アイナは見つけたのだった。



 一人、その中央で立ち尽くす少女を。




「っ……君!」




 アイナは咄嗟に駆け出し、少女の元に向かう。


 背丈が小さく、長い黒髪を垂らしたその少女は、私の声に反応してこちらに振り向いた。



「怪我はない!? どうしてこんなところまで来ちゃったの!? こんな危険なところに……」



 アイナはその少女を叱りつけようとした。


 だが、そういうことに慣れてないアイナの声は弱々しく、洞窟の闇の中に消えていく。



 説教は後で、この子のお母さんがしてくれることだろう。


 まずはここから脱出しないと。



「さあ、帰ろう!」



 アイナは少女の手を引いていく。



 少女はアイナになすがままにされていた。


 この状況で泣き出したり、駄々をこねられたりしないのはアイナにとっても助かるが、少々不気味でもある。



 きっと、恐怖で色々麻痺してしまったのかもしれない。


 アイナはそう考えて、一層足を早める。



「お姉ちゃんはだあれ?」



 すると、少女は口を開いた。


 突然発せられた言葉に少しだけ驚いたが、アイナは前を向いたままその質問に答える。



「私は、アイナ……アイナだよ」



「アイナお姉ちゃん?」



 少女はアイナの名前を繰り返す。



 そうだよ。


 今からお姉ちゃんとここを脱出するんだ。



 アイナは不安にならないように少女に笑いかける。


 すると、少女は再び問いかけてきた。



「お姉ちゃんは迷子なの?」




「迷子って……」




 洞窟から出られなくなってしまった原因は少女だ。


 だかそんなことを糾弾しても意味はないように思えた。


 これを、無垢な子供のせいにするほど憎しみは溜まっていない。



「そ、そうだよ。私も、迷子なんだ……」



 アイナは少女の言葉を肯定した。


 迷子になっていることに違いはない。



「なんで、迷子なの?」



 少女が繰り返し問う。



「私は意志が弱くて、自信がないから、いつも迷子になってしまうの……」



 少女の問いに答えてから、違う、と思った。



 どうしてまた自分は、自分を卑下しているのだ。


 そんな自分が嫌なんじゃないのか。



 そんな自分だから、迷子になっているのだろう。



「お姉ちゃんは迷子が嫌なの?」



「嫌だよ……迷子は、寂しいから」



 無力で、やるせなくて、寂しい。



 そんなことでは、まっすぐ前を見て歩いているイノに置いてかれる。



 もう、置いてかれるのは嫌だ。


 見捨てられるのは、嫌だ……



 いや、本当にそうなのか?



 私は、イノに見限られなくて、荷物番をしたのか?


 見捨てられたくなくて、魔法技師になったのか?



 私は……



「寂しいから、一人になりたくたいから、迷子は嫌なの?」



「……違う」



 私は、そんな理由で今までイノについてきたわけじゃない。


 ただ、そばにいたいだけじゃない。



 私は、力になりたいんだ。



 イノの、みんなの力に。



 だから、自信をつけたい。


 私にできることはなんでもやりたい。



 だから、私は迷子を続けるんだ。


 自分を、見つけ出すために。



「はっ……そんなことを言ってる場合じゃない」



 何を子供に向かって悩み相談をしているのだ。恥ずかしい。


 今、私が何よりも優先してやらなければならないのは、この子と外に出ることだ。



「早く逃げよう!」



 アイナはそのこの手を引いて、走り出そうとした。



 その時、壁が爆発で吹き飛ばされた。




 奥から、黒い影が現れる。




 この広い空間を埋め尽くそうかというような、五メートルの巨躯。


 その漆黒の体の中に、赤く光る点が二つ。


 鋭い牙が見える口からは、全てを焼き尽くさんとする炎が漏れ出ていた。



 まさに、モンスター。


 アイナはその迫力に圧倒された。



 だが、固まったのは一瞬。


 自分でも驚くくらい、アイナは素早く反応できた。



 動こうとしない足を無理やり動かして、アイナは振り返る。


 そして、今まで出したことがないくらいの大声を出した。



「走って!」



 アイナは思いっきり少女の手を引く。


 その瞬間、魔獣『ヴォールス』の口が開き、炎が解き放たれた。



 さっきまで少女と話していたところに黒い炎が舞う。



『ギャオオオオオオオオオオ!!』



 魔獣が雄叫びをあげ、黒炎の吐息(ブレス)を撒き散らした。


 そして、魔獣は地響きを立てながら、大股でアイナの方に向かってきている。



 魔獣がすぐそこまで来ている。


 アイナ達を殺そうと、すぐそこまで。



「うわあああああああっ!」



 アイナは喉から悲鳴を出しながら、炎が舞う入り組んだ洞窟を走り続けた。



 後ろを振り向く時間はない。


 前に走り続けなければ、死ぬ。


 すぐ後ろに死が迫っている。



 アイナは走る。


 狭い道を、魔獣を振り切りたい一心で曲がり、突き進む。



 すると、アイナは洞窟の中に魔獣が通れないほどの狭い道を、視界の端に見つけた。



「この道ならっ……!」



 ここまで追い込まれた自分が、このような機転が効くとは思ってもいなかった。



 アイナは、その狭い道に滑り込む。


 流石に体調五メートルもあれば、この道は通れない。



 ここなら、逃げ切れる。


 とにかく一旦落ち着いて、頭を整理しないと。



 だが、考えが甘かった。



「うわあっ!」



 凄まじい轟音と共に、魔獣は岩の壁を突き破ってアイナの前に現れた。



 アイナは逃げ切れたと思い、一瞬だけ、緊張を解いてしまったのだ。


 不意を突かれたのと、洞窟を揺らすほどの衝撃によって、アイナは体勢を崩してしまう。



「しまっ……」



 アイナはすぐに立ち上がって逃げようとするものの、周りを黒い炎で囲まれてしまった。



 まずい……


 これじゃ逃げ道が……!



『グルルルゥゥゥ……!』



 目の前のモンスターは唸り声をあげる。


 獲物を逃すまいと慎重に、アイナに近づく。



 こうなっては、もう逃げられない。


 このままだと、確実に死んでしまう……!



 アイナは打開策をなんとかして探そうとした。



 何をすべきかを考えた。



 だが、体が固まって動かない。




 こんな時に、力のないアイナはあまりにも無力だった。



 悔しいと思う余地がないくらい、自分の無力さに絶望した。



『ガアガアアアアアアアッッッ!!!』



 アイナがもう避けられない位置まで近づいた魔獣は、アイナに一気に襲いかかった。



 反応することすら許されない。


 考える余地を与えない、野生生物の獲物を仕留める最後の一撃が、アイナに迫り来る。



 アイナがその時考えたのは、隣にいる少女のことだった。


 せめて、この子だけでも。



 アイナは少女に覆い被さって、固く目を瞑った。




 その時————




「ひ、ひやあっ!」




 変な悲鳴が自分の口から漏れた。



 体が宙に浮く感覚に襲われたからだ。




 アイナは固く閉じていた目を開けてみる。



 目の前にいたのは、アイナを抱き抱えて飛ぶ、()()の姿だった。




「よかった! 間に合った!」




「ルビア!!」




 長く、赤い髪をたなびかせながら、軍のエース、ルビアはアイナに笑いかける。



 何よりも頼もしい仲間が来てくれたことに、アイナは泣きそうになった。



 ルビアはアイナを抱えたまま、軽やかに着地した。



「怪我はないか?」



 ルビアはアイナの体を見て、無事なことを確認する。


 アイナは目元に涙をためながら、こくこくと頷いた。



「そうか、よかった」



 ルビアはアイナを安全な場所に置いた後、魔獣の方へ向く。


 そして、腰に携えた剣を引き抜いた。



「ま、待ってルビア! 危険だよ!」



 いくら帝国軍魔法士のエースと言っても、あのモンスターに勝てるわけがない。



 奴は遠距離攻撃である黒炎吐息(ブレス)を吐いてくる。


 そんな相手に剣による白兵戦など無謀だ。


 銃、いや大砲でも持ってこない限り、あの魔獣を仕留められない。



「ルビア!!」



「大丈夫」



 ルビアはそれだけ、アイナに告げる。


 彼女は振り向かなかった。



 ただ一点、目の前の倒すべき敵を見据えていた。



 彼女の軍人としての、そして、騎士としての強さがそこにあった。



 守るために、決して挫けず、振り返らない。



『ギャオオオオオオオオッッッ!!!』



 魔獣は雄叫びをあげ、新しく現れたターゲットに突進する。


 黒い炎を撒き散らしながら、生身のルビアに向かって行った。



 それに対しルビアは、ただ静かに、敵に剣を構える。



「私の友人に危害を加える奴は、許さない……!」



 ルビアは魔力を解放した。


 周りを圧するような凄まじいオーラが、洞窟内に広がる。



 そんな戦士の威圧を意にも介さず、魔獣は黒炎吐息(ブレス)を吐きながら、ルビアに飛びかかった。



 ルビアの眼前に魔獣の放った黒い炎が迫る。



 それがルビアに触れたかと思った瞬間————




 眩い閃光が発現した。




 何かが爆発したかのような激しい光が、洞窟内を縦横無尽に反射する。



 何かが光ったかと思ったその直後。




 魔獣が、両断されていた。




「なっ……!」




 ルビアの剣はもう、振り下ろされた後である。



 体がふたつになった魔獣は、ルビアに飛びかかった慣性のまま、彼女の後ろにぼとりと落ちる。




 何も見えなかった。



 こんなことが人間にできるなんて。



 これが、軍のエースの力。




 ルビアは剣を振り払い、それを腰元の鞘に収めた。



 そして、また、太陽のような笑顔を浮かべて、アイナの方に振り返る。




「帰ろっ! アイナ!」




 ——————————————————————————————




「アイナっ!!」



 イノの必死な声が聞こえた。


 アイナが声の方向を向くと、奥から息を切らして走り寄るイノの姿が見える。



「イノ……」



「どうして一人で行動したんだ!?」



 イノは怒っていた。


 こんなに感情をあらわにするイノは珍しい。



 イノを怒らせてしまったという事実が、アイナの胸を締め付けた。



「ごめんなさい……」



 謝罪は自然と口から出た。


 洞窟で一人になった時よりも切なくなる。



 その様子を見たイノは、ふぅっと息を吐きながら後頭部を掻く。



「全くお前は……すぐに見つけられたから良かったが」



「どうして、ここが分かったの?」



「奴が光に弱いという仮説を立てたんだ。だから洞窟にいると分かった」



 光に弱いから、深海に生息している。


 深海生物が深海に住んでいる理由は様々だろうが、『ヴォールス』に関しては太陽光から身を隠すためだったというわけだ。



 そんな生物がどうして地上まで上がってきて、アイナを襲ったのだろうか。



「これが求める進化……光が天敵……五年前……くそっ、なるほどな」



「……どうしたの?」



「あ、いや、なんでもない」



 イノが怖い顔をしながら何か言ったような気がした。


 彼は首を振って、アイナから顔を背ける。



「この洞窟に入ってからは、この魔石を使った」



 イノは懐から魔石を取り出した。


 それは、水中の温度を検知する魔石、『サーモ・スキャナー』だったはず。



 その魔石を一体どう使ったというのか。



「洞窟を調べるために、術式を作り替えた」



「!」



 魔石を作り替えた? 


 この短い期間で?



「突貫工事だったが、仕組みは一緒だ。洞窟の気温は常に一定のはずだから、妙な気温の変化があれば、そこに『ヴォールス』がいると分かる」



 検証(テスト)も何もしなかったからちゃんと動作するかは賭けだったが、と付け加えるイノ。



 すごい。


 やっぱりイノはすごいなぁ。



 アイナが何もできなかったこの時間で、イノは二個も三個も方策を考えて、それを実施した。


 洞察と実践する力が、アイナとは違う。



 やっぱり……私は————



 すると、アイナの頭の上に手が乗せられる。



「よく、生き残ってくれた」



「え?」



 イノの手がアイナの栗色の髪に触れる。


 その表情は、優しさに満ち溢れていた。



「魔獣から逃げ切れたのは、お前が生きることにベストを尽くしてくれたからだ。本当によかった」



 イノはアイナの髪をそっと撫でる。


 この世で一番の安心感に包まれ、ぽろっと目から涙がこぼれ落ちた。



「第七班には、まだお前の力が必要だ」



「うん……」



 イノが、私を必要としてくれる。


 まだ、私は未熟で、なんの力にもなれてないと思うけど。



 それでも、アイナはイノを助けたいと、強く思った。



「さて……お前ら、ちゃんと採れたか?」



 イノはアイナの頭から手を離し、魔獣の死骸の方に振り向いた。



「はい! ばっちりです!」



「大量だよイノ!」



 そこでは、オスカーとセシリアが『ヴォールス』の鱗の採取を行なっていた。


 オスカーが採ったものをイノ達に見えるように掲げる。



 その鱗は、洞窟の少ない光を反射して、きらきらと輝いていた。



「よし、目的は達成した。みんな帰るぞ!」



「ええ〜〜もう帰るのか……もうちょっと探検したかったのだが……」



「子供か!」



 なぜか留まろうとするルビアを引きずり、イノ、オスカー、セシリアは収穫物を持って洞窟を後にする。


 アイナもそれについて行こうとした。



「……はっ、そういえばあの子は!?」



 突如、アイナは思い出した。


 私は少女を助けるために、この洞窟に入ったのだと。



 アイナは振り返って、少女の影を探す。



 だが、洞窟のその空間のどこにも、その少女は見当たらなかった。



 よく思えば、ルビアに助けられた時から、アイナはあの子の存在を認識していなかった。



 あの子は、一体————



「アイナ、何してるんだ〜! 早く帰るぞ」



 すると、奥からイノが呼ぶ声が聞こえた。


 アイナは不思議ではあったが、それ以上探す必要はないように思えた。



 きっとあの子は、そういうことだったのかもしれない。



 アイナは振り返り、イノ達に追いつこうと駆け出す。



 もう後ろを振り向くことはないアイナに、洞窟のどこかから、どこかにいる少女から声がかけられる。




『君は、もう一人じゃない』





 *





 数日が経ち、イノはルビアを工廠に呼び出した。



「できたぞ」



「本当か!? 早いな!」



 古びた教室の壁に、ルビアの興奮する声が反響する。



 魔獣『ヴォールス』の鱗を使った、ルビア専用の防具が完成したのである。



 イノはオスカーに合図して、完成品を持ってこさせた。


 オスカーは防具の一式を手に抱えて、ルビアの手前の机に並べる。



「すっごおおおおおおい!」



「いい色だねぇ……!」



 改めて防具を見たセシリアとアイナも興奮している様子だ。



 魔獣『ヴォールス』の鱗は防具の素材として洗練すると、黒から青に変色することが分かった。


 よって、その防具は海のように青く輝いている。



「さ、早速着てみてもいいか!?」



「もちろん!」



 ルビアは早る手つきで防具を一つずつ手に取り、体に装着していく。


 青く艶を帯びた防具を装備したルビアは、情熱的な赤い髪色とのコントラストで非常に映えた。



 まさに、昔話の『勇者』を思い起こさせるような姿だった。



「ここまで似合っていると、がんばって作った甲斐もありましたね」



 オスカーがうんうんと頷いている。



 ルビアは全て装備をつけ終わった後、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。



「か、軽いなぁ!」



「だろ?」



 装備してみた最初の感想が防具の軽さに関するものだった。



 そこにこだわってこの装備を作った。


 鉱石などの別の素材に頼らず、ほぼ生物由来の『ヴォールス』の素材のみで作成したのだから。



 だが、ルビアの提示していたもう一つの要件は————



「なあ、イノ!」



「え? なんだ?」



「試してみていいか?」



 すると、ルビアは手を力を入れやすいように腰元で構え、拳を握った。



 そして、魔力を解放する。



「私の熱に耐えられるかどうかをだ!」



「ちょ、ちょっと待ってルビア!」



 イノの静止しようとする声は届かず、ルビアのボルテージは上がっていく。


 魔力がビリビリと唸りを上げた後、火の魔素へと姿を変え、熱となってルビアの体を眩い光で覆う。


 そして、熱を持った橙色の閃光が、教室いっぱいに広がった。



「はああああああああああああ!!!」



 ルビアは魔力を解放した。


 とんでもない爆音が第七兵器開発部の教室から鳴り響いた。



 爆発によって窓ガラスが全て割れ、中から黒煙が立ち昇る。



「ごほっごほっ……ルビア、大丈夫————かぁっ!」



 ルビアの安否を確認しようとしたイノは、とんでもないものを目にしてしまった。



 黒煙が窓から逃げていった後、その爆心地にいたのは————




 素っ裸のルビアだった。




「なっ……なっ……!」




「きゃあっ……!」




 ルビアが女の子みたいな悲鳴をあげて、その場にうずくまった。



 イノも咄嗟に目を背ける。



 まだ、お前の熱には耐えられない、と言おうとしたのに。



 よく考えれば、当たり前のことである。


 ルビアはその熱によって、魔獣『ヴォールス』を溶断した。



 溶断された魔獣の素材を使って防具を作れば、彼女の熱でそれが溶けるのは当たり前だった。



「……!」



「ちょ、ちょっと待て!」



 ルビアは体を隠しながら、イノの方を睨む。



 不可抗力だ。


 お前が話を聞かなかったのが悪い。



 イノは周りのチームのみんなに助けを求めようとしたが、女性陣の行動が早かった。



 セシリアはオスカーの両眼を潰している。


 アイナはタオルを持ってルビアの体を覆い、ルビアと一緒に鋭い視線をこちらに向けていた。



 イノはもう孤立無援になっていた。



「待て待て! 話を聞け! その防具はまだお前の熱には耐えられないが、術式を組み込めばお前の魔法にも耐えられるように————」




「この、ばぁかあああああああああっっ!!」




 頬を叩く乾いた音が、澄んだ空の中に消えていく。




 少しの皺もない青々とした夏空は、あの海の向こう側までずっと続いていた。





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