第114話 光の記憶
教室で意識を失ったイノは、夢を見た。
いや、夢というより、これは過去の記憶だ。
過去の、十年くらい前の記憶。
サンミッセル王国の辺境、あたり一面に緑の敷物が広がっているような、自然豊かな土地。
アイナとワークスの実家、パップロート家。
イノとアイナ、そしてワークスが育った家だ。
幼い頃に捨てられ、この家に拾われたイノは幼少期の間をパップロート家で過ごしたのである。
その時、イノはワークスの部屋にいた。
いつものように、二人で魔法学の研究をするためだ。
二人で魔法についての意見を交わし合うことが、日常となっていた。
『イノ、知ってるかい?』
その部屋は魔法道具や魔法学論文の山で、ほとんどの生活スペースを埋め尽くしてた。
十二歳の子供部屋とは思えない部屋だった。
その部屋で、十二歳のワークスがイノに尋ねる。
『光魔法は、実は何よりも強力な魔法なんだ』
え? 一番強い魔法は火属性の魔法だろ?
ワークスと共に魔法学を勉強していたイノはすぐに反応した。
基本属性の中で、火属性が最も強力であり、汎用性もある。
人間の繁栄は炎から、この説を何人もの魔法学者が提唱していた。
イノがそのようにワークスの主張に反すると、ワークスは首を振る。
『いいかい? 神は太陽を作り、人々に光を与えた』
ワークスはイノに話しかけつつ、窓から空を眺めていた。
青く、どこまでも広がっていくような澄んだ空の中に一点、煌々と輝く太陽がある。
イノはワークスのそんな様子を黙って見ていた。
『神が与えてくれた光によって、大地、植物、動物、そして人間達はそれを吸収し、活性化してきた。光によって活性化した者達は、さらに周囲に影響を及ぼし、緑が増え、果実は熟し、人と動物達は繁栄してきたんだ』
それは世界の歴史だよね? もう学校で習ったよ。
と、イノは少し自慢げにワークスに話す。
イノ達が通っていた学校の授業で、その辺りのことは勉強していた。
だが、それが今更なんだっていうんだと、イノは疑問に思った。
すると、ワークスは窓から目を離し、こちらに振り向いた。
エルステリア人特有の黄金の瞳は、まるで太陽を閉じ込めたかのようにきらきらと輝いていた。
『イノ、この神話が意味しているのは、歴史じゃない。光の性質そのものなんだ』
世界の歴史が、光の性質そのもの?
ワークスの言っていることがイノには分かりかねた。
ワークスの悪い癖だ。
自分の理論を、自分の世界の中で説明しようとする。
世界の外にいるイノ達にとって、彼の考えていることを理解するのは困難だった。
絶対に先生にはなれないなと心底思っていた。
うまくワークスの主張を咀嚼できないイノに対し、ワークスは紙とペンを用意し、イノの元に近寄る。
『これを見てくれ。光はこの世の全てのものに影響を及ぼす。この世の全てというのは、厳密に言えばエレメントを形成する魔素のことだ』
ワークスはイノの元に座り、図を描き始めた。
ワークスがよく描く、円と直線。
フリーハンドなのに、イノが定規やコンパスを敷いて描く線よりも精巧だった。
そして、白い紙には一つの正円と、円に向かう矢印が描かれた。
『ここに書いてある円は魔素、矢印が光だ。光は魔素を活性化させる』
人間が朝起き、太陽の元に出て、一日のエネルギーを充電するかのように、とワークスは分かるような分からないような例えを言った。
ワークスは基本ずっとこの部屋にこもっているのだから、太陽の光などほとんど浴びないだろうに。
イノが心の中で皮肉を言っていると、ワークスは紙に更なる円と矢印を追加した。
『そして、魔素は光を放出するんだ。ほら、人間にもいるだろ? 他の人の手をグイグイ引っ張って周囲を巻き込もうとする人。同じように光を吸収し、活性化した魔素も周囲の魔素に影響を及ぼす』
周囲に影響を及ぼすとどうなるんだ? とイノはワークスに尋ねる。
すると、ワークスは目を輝かせた。
『それがぜんっぜん分からないんだ! すごいだろ!? 光には、人間と同じように無限の可能性が秘められているんだよ! 光魔法は、他の属性魔法じゃできない何かを実現できる!』
僕は、光魔法を扱えるエルステリア人として生を受けて、本当に幸せ者だ。
ワークスは胸に手を当てて、そんなことを恥ずかしげもなく言うのだった。
イノは結局、彼の言っていることが抽象的すぎて、内容のほとんどを理解することができなかった。
彼の考えていることは、やはり計り知れない。
彼の世界の中で完結し、外界の人間は何かを掴むことを許されない。
つかみどころのない男だった。
彼は、昔からずっと。
『イノ、分かったかい?』
え? とイノはワークスの方に振り向く。
ワークスはイノに指差し、イノの目を見つめていた。
『当たって、砕けてみるんだ』
当たって砕けろ。
エネルギッシュで豪快な人間が使いそうなセリフ。
ワークスの性格自体はそうではなかったが、彼が研究をしている時に口癖のように言っていた言葉だ。
その言葉はまさに、ワークスの研究に対する姿勢を表していた。
『守りたい人がいるならば、可能性を掴むんだ、イノ』
さもなくば、道は開かれない。
彼が一点に指すその指は、当時のイノではなく、今のイノに向けられているような気がした。
ワークスはそう言い残し、部屋を後にした。
「ハッ……!」
イノは覚醒する。
窓の外から薄く太陽光の帯が入り込んでおり、小鳥の囀る声が朝を知らせていた。
硬い机の上で寝ていたせいか、ほんの少し頭痛と倦怠感が残る。
イノは机に覆い被さるようにしていた体勢から、なんとか体を起こした。
今の夢は……いや、記憶か。
随分と昔の記憶だった。
ワークスの研究室————と自称していたただの部屋で、ワークスの仮説をよく聞いていたんだ。
よく思い出してみれば、あの仮説はほとんどが正しく、今になってやっと世界の魔法技術の最先端に位置しているのだから、ワークスの魔法学者としての化け物ぶりがうかがえる。
いや、きっと彼の言っていることは全て正しいのだろう。
まだ、誰も発見できていないだけで、ワークスの考えていたことは魔法の全ての真実だ。
あの時言っていた光の性質だって————
「光の性質……?」
ワークスはなんて言っていたっけ。
光は人間みたいに無限の可能性を秘めている。
その可能性を掴めと。
それは光が————
「まさか……!」
イノは目を見開いた。
本当にそんなことが……
イノが何かを確実に掴んだと思った、その時————
「イノーーーーー!!!」
勢いよく教室に誰かが入ってくる。
そこにいたのは目に大きな隈を作っているセシリアだった。
その手に、キラキラと輝く石を手にしている。
「できたよ……! 光を閉じ込められる魔石!」
セシリアはそれだけ言って力尽きたのか、その場に倒れ込み寝息を立てた。
イノの足元に転がったその石の輝きは、イノ達の希望を照らし出していた。