第110話 姿
「ルビア・アマデウス・ニューロリフト……!」
ペートルズは噛み締めるようにルビアの名前を呟く。
ルビアはアイナと同い年で、ペートルズから見れば、まだまだ年端もいかない弱輩だ。
それでもルビアに対し強く出れないのは、彼女がニューロリフト公爵の令嬢だからである。
「何も分かっていないのは貴様の方だ」
ルビアは人差し指をペートルズに向ける。
こいつは友人であるアイナを傷つけた。
それに対して、静かに怒りを膨らませていた。
「この七人のエルステリア人魔法士は戦略魔導兵器、すなわち帝国軍の虎の子だ」
少し前のルビアだったら、友達を傷つけられた怒りを真正面にぶつけ、この男をその場で殴りつけていただろう。
だが今は、自分の立場を分かっていた。
そんなことをすれば、自分もアイナも立場が悪くなるだけなのだ。
いつまでもガキじゃいられないと、イノが教えてくれた。
「それを傷つけるということは、軍の最重要兵器に傷をつけ、使い物にならなくする危険を伴っている。つまりは軍への叛逆だ」
そこまで思考を巡らせずとも、自分の口から正論が出てくる。
腹の底は煮えたぎっていたが、頭は驚くほど冷静だ。
大事なのは自分が正しいと思うことを疑わないこと。
非力であるイノがあんなにも強く立ち振る舞えるのは、自分の中に何よりも正しい理を持っているから。
だから、正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言うことができる。
私がそんなイノに勝つことができたのは、今まででただの一回だけだ。
だから、私もイノみたいに。
理論と私の正義だけで、アイナを救ってみせる。
「そ、そんな! 私は作戦成功のために部隊員達に指導を————」
「頭を足で踏みつけにすることが貴様の家の指導方法なのか? それが本当に隊員達のためになると思っているのか? もしそうなら、私が貴様の成長のために頭を踏んでやってもいいんだぞ」
「ぐぬぅ……!」
ペートルズは顔を歪めている。
もとより反論させるつもりは微塵もなかった。
このまま観念して謝罪するまで責め続ける。
そう思っていたのだが、そこでルビアの肩に手がかけられた。
「ルビア、もういいよ」
ルビアを止めたのはアイナだった。
彼女はこめかみあたりから血を流し、少しふらつきながら立っている。
「アイナ……」
怪我をしている……
立っているのがやっとじゃないか……!
心配するルビアに対し、アイナは笑顔を見せる。
肩を掴む手が、アイナのものとは思えないほど力強くて、ルビアは何も声をかけられなかった。
「確かに、私は頭がおかしいかもしれない……」
アイナはルビアの前に出て、ペートルズと向かい合う。
その光景にルビアが、ロベルトが、マルゴが————『エンゲルス』の全員が、固唾を飲んで見守る。
「出来損ないかもしれない……それでも————」
アイナは室内に響き渡るくらいの音を立て、踵を揃え姿勢を正す。
そして、風を切るほどの勢いで右手を額まで持っていき、胸を張った。
「私には信じる人がいます!」
それは、見事な敬礼だった。
ルビアが見た中で、どの軍人よりも強く、綺麗なものだった。
「私は、命を賭して! 帝国のために必ず作戦を全うします! 誰のためでもない! 私の信じる人のために!!」
その言葉に誰もが圧倒させられた。
小さな体からは到底考えられないほどのエネルギー。
他人に、周囲に影響を与えうる存在感だった。
室内に静寂が走る。
ぽかんと口を開けていたペートルズはハッと我に帰り、咳払いをする。
「……フン、分かっておれば良いのだ」
ペートルズは鼻を鳴らした後、身を翻して儀式場を出て行く。
張り詰めていた緊張が解けていった。
「ルビア……!」
アイナがルビアの方を振り向く。
少し見ない間に逞しくなったその顔を見て、ルビアは今すぐにでも言ってあげたくなった。
イノ達が、アイナを救うべく、動き出していると言うことを。
だが、言えなかった。
「私、強くなるから。あなたみたいに……!」
以前は、こんな顔をしなかった。
交流した期間はそこまで多くないが、ルビアにとって彼女は、イノの背中にいつも隠れているような引っ込み思案な女の子だった。
イノを信じる心が、アイナを強くしている。
彼女にイノが動いていることを伝えること。
それは彼女の信念を捻じ曲げる行為にも思えた。
そもそもアイナを救うということそのものが、覚悟を決め強くなったアイナにとっての裏切りとも言える。
それでも、イノは選んだんだ。
アイナを裏切ってでも、彼女を救うことを。
「……うん」
アイナに対し、ルビアは返事のみを返す。
今のアイナに、何も言う必要はない。
待っててくれ。
きっと彼が、この残酷な現実から救い出してくれるから。