第101話 再起動
「ちょ、ちょっと待てルビア!」
イノはルビアに腕を引っ張られる。
日はすっかり落ち、濃い藍色の宵闇が空に広がっていた。
そそくさと帰宅する人間の波に逆らいながら、街灯がつき始めた大通りを突き進んでいく。
ルビアが向かう先は、イノの職場、『ベックス工廠』である。
イノはそのまま、工廠の中に無理矢理連れ込まれた。
そして辿り着いたのは、第七兵器開発部、通称『第七班』。
ルビアは思いっきり、教室の引き戸を開けた。
「え!? ルビア!?」
教室の様子は今朝とほとんど変わっていなかった。
机や椅子が、ガタガタに散らかりっぱなしである。
何かしらの作業の途中だった第七班のメンバー、セシリアとオスカーは目を丸くしてルビアの方を見る。
「ひ、久しぶりだね。どうしたの……?」
突然の来訪に動揺している。
二人はルビアが掴んでいる腕、そしてその先にいるイノに視線が移っていった。
「イノ……」
名前を呼ばれたが、顔を直視できずに背けてしまう。
今朝にあんなことがあった後で、普通に接しろという方が無理な話だ。
「————で、どうされたんですか? なにか依頼でも……?」
オスカーがルビアに用件を聞く。
ルビアはそんなイノ達の様子を知ってかしらずか、単刀直入に言い放った。
「私の依頼はただ一つ————アイナを助けることだ」
「……!」
それは依頼というより、宣言のようであった。
突然のルビアの依頼内容に、二人とも唖然としている。
「アイナを助けるための新しい魔法を作る!それが私からの願いだ!」
ルビアの迫力に、セシリアとオスカーは息を呑んでいた。
アイナを助けるための。
アイナが死なずに生きて帰ってこれるような。
そんな魔法を作る。
そこまで言われて、ルビアが何を言っているのかを理解できないような馬鹿ではない。
「本気なの……? イノ」
セシリアは真剣な表情で目線を再びルビアの手の先に移し、イノに問うた。
イノは久しぶりに、セシリアの顔を見たような気がした。
さっきまで、ずっと地面を見ていたから。
だが、もう下を見るのはやめだ。
ルビアもセシリアもオスカーも、そしてアイナも————
自分のできることを探し、そこに向かっている。
俺も、皆を見習わなければならない。
明後日の方向へ向いていた進路を元に戻して、前に進む。
イノはセシリアの真っ直ぐとした目を見返して、その決意を表明した。
「————ああ、今度こそアイナを助ける」
ルビアに言われたからじゃない。
自分で、決めた。
言葉数は少ないが、それで十分だった。
「イノ……!」
すると、セシリアがイノの方に近づいた。
俯き加減の彼女の顔は、少しだけ震えているようにも見えた。
「ずっと、あたしもオスカーも、それをずっと待ってたんだから……」
噛み締めるように言葉を紡ぎながら、セシリアはイノの前に立つ。
そして、イノの胸に拳を軽く突き当てた。
「……まだ、許したわけじゃないから」
セシリアはほんの少し潤んだ目でイノを見つめる。
だが、何よりも強い思いが宿った目だ。
オスカーもイノに真剣な目で、訴えてくる。
ここにいる全員が、アイナを救うことをまだ諦めていなかった。
その目に応えなきゃいけないと思った。
「ああ————それでいい」
イノは目を閉じ、深く頷いた。
一人で全て解決しようとした。
誰も傷つけたくなかったから、自分だけが傷つけばいいと思ったから。
だが、それは仲間を信頼していないということになる。
ルビアに言われて、ようやく目が覚めた。
イノはルビアの手を離し、前に進み出る。
そして、教壇の上に立った。
「これから俺達がやろうとしていることは————革命だ」
これまでどれだけの天才達が頭をひねりつくしても、今の特殊魔法に代わる魔法を作ることはできなかった。
『エンゲルス』の人達を救うことができなかった。
クルトを救うことができなかった。
これは、現在のサラメリア人とエルステリア人の関係をひっくり返すことにもなりうる革命。
そして、イノ達の悲願であった。
「作戦で使用する兵器の納品期限は残り一ヶ月、俺達には時間も、知識も、技量も足りていない。それでも————」
イノは力を込めて握っていた拳をピンと伸ばす。
そして、深く、頭を下げた。
「それでも————俺と一緒に、やってくれるか?」
それは、今までプライドを捨てて地面に頭を擦り付けてまでした懇願よりも、何よりも誠実なものに感じた。
なんの思惑もなく、ただアイナを助けたい、という思いからくる願いだった。
イノからの頼みに最初に声を上げてくれたのは、オスカーだ。
「最初からそのつもりですよ! リーダー!」
オスカーは拳を上げて、イノの決意に応えてくれる。
セシリア、そしてルビアも、教壇に立つイノを真っ直ぐと見つめ、頷いた。
ありがとう。みんな。
イノはこんなにも恵まれていたのだ。
イノには仲間がいたのだ。
絶望して、みっともなく喚いていた自分が、馬鹿みたいだった。
まだ、希望はある。
「よし! 駄目で元元というやつだ。死んでもアイナを助けるぞ!」
見ていろ、運命とやら。
ここからだ。
あとは突き進むだけだ。
必ず這い上がって、正しい未来を勝ち取ってやる。