第98話 帝国を救った魔法学者
「まったく……学習しないのかね、君は」
悪趣味な装飾やオブジェクトが並ぶ部屋。
紙を捲る音だけが聞こえてくる、イノの嫌いな時間だ。
いつも通り、テーリヒェンは設計書を斜め読みした後、空中に放る。
音を立てずに空中をただよい、バラバラになった紙は滑るようにしてイノの足元に落ちた。
もう、こんな仕打ちにも慣れてしまった。
イノの作ったものを蔑ろにされたところで、今更何も思うまい。
拾うのが面倒くさいと思うくらいだった。
「もっと真面目にやったらどうだね」
テーリヒェンはイノに吐き捨てるようにそんなことを言う。
そんな態度にも、反発する気にすらならない。
イノの様子に、テーリヒェンは大きく溜め息を吐く。
「君の大切な仲間なのだろう?」
テーリヒェンは設計書とは別に、自身の机に置いてあった書類を手に取る。
書類を見た時、テーリヒェンからうっすらと笑みが溢れたようにも見えた。
その書類にはもちろん、今回の『エンゲルス』、すなわちアイナのことが載っているのであろう。
「今回もVIPの方達に君の仲間の勇姿を見てもらうんだ。少しは君の仲間とやらの生き様をよりよく見せてやったらどうだね?」
テーリヒェンは、手を頭の後ろで組みながら、イノに提案する。
相変わらず、魔法の見栄えを気にしているようだった。
そんなテーリヒェンに対し、イノは当たり障りのない回答をするだけだった。
「……善処します」
「ふん、つまらん男だのう」
テーリヒェンはつまらなそうに顔を背ける。
いつまで経っても成長しない、この男の考え方には呆れる他なかった。
ギルベルトやスドー、軍の内外から言われているだけある。
この男には未来がないと。
一生、この地位で使い潰されるのだと。
「そういえば、今回の『エンゲルス』隊長、君の仲間という彼女の経歴を見て少し驚いたのだよ」
テーリヒェンは思い出したかのように書類に目線を戻し、ペラペラとめくる。
そして、該当のページを見つけ、それをイノに向けて見せる。
「あの————ワークス・パップロート氏の血縁だったとは」
ワークス・パップロート。
イノの幼馴染にして、アイナの兄。
そして彼は、帝国に魔法の革命をもたらした天才魔法学者だった。
「ワークス・パップロート、帝国に魔法の革命をもたらした者」
アイナの兄であるワークスは五年前、豊富な魔法知識と魔法士としての才能を買われ、帝国軍に新魔法開発要員として招集された。
そこで、ワークスは当時の帝国の魔法に触れ、疑問を抱いた。
この国の魔法は、おかしいと。
このままでは、帝国に未来はないと、ワークスは危機感を持った。
そして、彼はとある魔法革命を起こす。
魔力主義から、魔法原理主義へ。
魔法の価値は各々の魔法の強さで決まるのではなく、その根本を理解し操作することで真価が決まる。
ワークスは、帝国で初めて魔法原子論を唱えた学者だったのだ。
「わしも奴のことは知っているが、何がすごいのか分からんな。今でもわしは、奴が何かしらの狂信者なんじゃないかと思っている」
学がないのか、それともそんなにエルステリア人が嫌いなのか、テーリヒェンはあくまで否定的な態度を取っていた。
当初は人種の問題もあり、ワークスは迫害を受けていた。
帝国に染み付いた思想とは、真逆のことを言い出す人間は、狂っているとしか思われなかった。
誰一人として、ワークスに耳を貸すものはいなかったのである。
しかし、ワークスのとある発明が帝国を救った。
魔法原子論が当時の魔法戦の在り方を大きく変え、戦況を大きく覆したのである。
それによって、ワークスは認められた。
ワークスの主張によって、魔法に革命が起こり、帝国が進展したのである。
それによって、帝国民のエルステリア人を見る目も変わり、人種差別も当初と比べれば少なくなった。
ワークスは帝国民にとっての救世主、そしてエルステリア人にとっての希望の光となったのだ。
「しかし、皮肉なものだ」
テーリヒェンがイノの元に歩み寄る。
そして、笑みを浮かべて言うのだった。
「自らが作った魔法で、自らの妹を殺すことになろうとは」
下卑た笑顔がイノの目に焼き付けられる。
敵軍の大魔法、クーダルフ人の召喚魔法に対抗して作られた、戦略魔導兵器、『ライト・ピラー』
特別作戦を立案したのは、最高司令の息子、ヴィルヘルム・アマデウス・ニューロリフト。
そして、その特殊魔法を開発したのが、ワークスだった。
つまりワークスが、イノの幼馴染にしてアイナの実の兄が、この残酷な現実を作り出した張本人なのである。
「君が働いている工廠————その七番目の教室で作られた戦略魔導兵器こそが、この帝国を救ったというわけだ……自らの同胞を犠牲にしてなぁ」
『ライト・ピラー』こそ、近年の帝国において最も偉大な魔法発明なのである。
ワークスはこれにより、敵魔族軍を退け戦況を覆し、帝国を危機から救った。
自分と同じ血の色をした、七人のエルステリア人の命を使うことを選択して————
イノは幼い頃のワークスを知っていた。
彼がどんな人物なのかも、彼の家族同然であったイノは分かっているつもりであった。
しかし、そんな選択をしなければならなかった当時の彼の気持ちは分からない。
いったい何を考えていたのかも。
今となっては、帝国を救ったワークスの魔法が、イノ達とエルステリア人達を苦しめている。
そして遂には、実の妹であるアイナに牙を剥いていた。
どうしてこんなことに————
すると、そんなイノの内心を知ってかしらずか、テーリヒェンが悪意が滲み出ているような笑顔でイノの顔を覗き込んできた。
「同胞のみならず、自分の大切な家族を爆弾にするとはどんな気分なんだろうなぁ」
ねちねちとした言葉をイノに投げかける。
イノを精神的に追い詰めようとする、テーリヒェンの機嫌は良さそうだった。
イノから暗い感情が漏れ出す。
封印したはずの、押さえ込もうとしていたものが、溢れ出そうとしていた。
「なあ……実の兄が作った魔法で、その妹を殺す気分というのは、どんなものなのかねぇ?」
下衆な顔がイノの視界に無理やり入り込んでくる。
この男を殺せば、どれだけ楽になるだろう。
アイナがこんなことになってしまったのは、誰がなんと言おうとこの男が元凶だ。
それがイノの幼馴染を侮辱し、アイナを軽んじ、イノの悪感情を刺激する。
爆発寸前だった。
この男を、殺せば————
「……私には、分かりかねます」
そこまで考えて、イノはやめた。
今暴走してしまうことほど愚かなことはない。
何もかもが水の泡になってしまうのだから。
イノの返答を聞いたテーリヒェンは、すっと真顔に戻る。
「ふん、まあそうだろうな。そんな帝国の英雄とやらも、今は行方も知らない脱走兵だ。気持ちも何も分からんわな」
テーリヒェンは身を翻して席に戻る。
偉大な魔法士となったワークスは、現在行方がしれない。
死亡や亡命など様々な説が唱えられていたが、真相は闇の中だ。
かつての幼馴染の真意を問うことはできない。
イノが黙っていると、テーリヒェンは手で追い払うようにイノに指図する。
「下がって良いぞ」
「……失礼します」
イノは礼をした後、テーリヒェンの部屋を出て行った。