第9話 まずは友人から
「どういうつもりだ?」
イノの目が鋭く光る。
その目は明らかにルビアを疑うものであった。
「どんな理由があれど、公爵令嬢が自らこの工廠の末端に足を運ぶのは不自然だ。あんたのやり方がどうなのかは知らないが、本当は別の目的があるんじゃないのか?」
「ちょっと……イノ!」
イノの勘ぐるような言葉を、アイナが非難する。
だが、イノはルビアに対する警戒を解かず、言葉を続ける。
「この際だから正直に言うが、俺はあんたたち貴族のことを信頼できない。必ず裏があって、俺達を利用しようとしているんじゃないかと考えている」
淀みなく、彼はそう言い切った。
ルビアに何か別の思惑があると思い、彼は疑っているのだ。
イノの言葉に、彼らはみんな目を伏せる。
貴族は時に横暴なものだ。
権力を振りかざし、平民に無理を強いることもあっただろう。
貴族との間にどんな過去があったのかを、ルビアは知ることができない。
だからこそ、貴族ではない彼らがそう思ってしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。
「そうか……」
ルビアは、少しだけ肩を落とす。
だが、挫けるつもりはない。
私が目を逸らすわけにはいかないのだ。
ルビアは意を決し、ルビアはチェスを進める手を一旦止めた。
そして、対面に座るイノを真っ直ぐと見つめ直す。
「君達は、身分で人を判断する人間、だったということか?」
「!!」
突然の鋭い刃物のような言葉に、イノ達は目を見開いた。
空気が引き締まるのを肌で感じる。
「確かにそんな穿った目で見られているようでは、私としても専属契約など願い下げだ……だが、君達はそんなに小さい人間なのか?」
上流の人間と帝国民との溝。
それは、確かに私と彼らの間に存在する。
だが、ルビアはこんなことで、挫けるつもりはなかった。
「人は、どこまでいっても人だ」
ルビアは深く息を吸って、彼らに話し始める。
これは、私の好きな言葉だ。
「確かに私は貴族だ。だけど、その前に君達と同じ人間なんだ」
身分が違うだけ、生まれた家が違うだけ。
ルビアと、目の前にいるイノ達は、同じ人間という種族だ。
「貴族だからどうとか、そのように考えないで欲しい。ありのままの私を見て欲しいと思っている」
私は話術があまり得意ではない。
まわりくどいことも、嫌いだ。
だから、自分の思いを正直に伝える。
「そ、そんなことで、俺達があんたを信じられると思って————」
「信じて欲しいという思いだけで、私は君達と分かり合えると思っている」
ルビアの真っ直ぐとした言葉、強い信念を持った言葉に、イノは次の言葉が出なくなる。
単純なことだ。
人を信じるということに、これ以外のものは何もいらない。
保証書だとか、担保だとか、そんな野暮なものは必要ない。
何よりも重要なのは、信頼する心。
それは帝国だけじゃない、この世の全ての人間が持ち合わせているものだ。
身分が違っても、人種が違っても、考え方が違っても、必ずその心は胸に秘められている。
その心を共有することができれば、争いなど起こらない。
戦争で人を傷つけ合うことなんて、起こり得ない。
私は、世界の平和のために、この信頼する心を皆に共有したい。
その可能性を、最初の可能性を、目の前にいるこの四人に確かに感じていた。
「————と言っても、私がすぐに信頼できないのは理解しているつもりだ。すぐにそんな関係になれるとも思っていない。だから、これから私とともに過ごしていく中で、私を見極めて欲しいんだ」
ルビアがイノ達を魔法技師として見極めたように、イノ達はルビアを信頼できる人間かどうかを見極める。
それには、時間が必要だ。
武器の調整をしてもらう過程で、行動を共にし、意見を交わし合う。
客と魔法技師という関係ではなく、パートナーのような関係。
ルビアはそんな関係になれればいいと考えていた。
それが、ただ信じ合える関係となれる第一歩だと。
「それって……」
イノが目を丸くしている中、セシリアが口を開く。
「単純に、友達になりたいってこと?」
セシリアの発言に、ルビアの思考が止まる。
友達、という言葉を初めて聞いたような気がした。
言葉の意味は知っていたが、その言葉を自分自身に使われるのは初めてだったからだ。
それを聞いた途端、顔の表面が熱くなるような感覚に陥った。
「言わせるな……恥ずかしいだろ」
ルビアは小さい声で言う。
顔を真っ赤にしているルビアを見て、アイナがボソッとつぶやく。
「か、かわいっ」
アイナのその言葉で、セシリアは吹き出した。
「アッハハハハハハハ! ほんとだーー! めっちゃかわいい!」
セシリアとアイナは笑い出した。
ルビアの顔面の温度は上昇する。
「ふむふむ、これが萌えというやつですな!」
「いや気持ち悪いこと言うなよ」
「なんでぇ!?」
オスカーが訳の分からないことを言い、セシリアに突っ込まれる。
「ねえ、イノ! 試しにやってみようよ」
「……専属技師にか?」
未だに困惑しているように見えるイノに、セシリアが提案する。
それに、アイナとオスカーが賛成した。
「やってみたい……」
「相手は公爵令嬢ですからねぇ、利益も期待できます!」
イノ以外の三人が、前のめりでルビアの専属技師になることを推してくれている。
顔は熱いままだが、胸にも何か温かいものが広がっていた。
イノは今日何度目かというような、大きなため息を吐いた。
「分かった。やるよ」
イノはルビアの提案を受け入れた。
三人から歓声が上がる。
ふと、イノの方を見てみると、表情が少し穏やかになっていた。
ルビアも自然と笑顔になる。
これが私の第一歩、世界を知るための一歩だ。
そして、ルビアは目の前のチェスの駒も、また一歩進めた。
「隙あり!」
ルビアは大きく手を振り上げる。
そして顔を上げ、笑顔でイノを見つめた。
「チェックメイトだ」
イノは盤上をよく眺めた後、なぜか魔石を眺め、そして目を閉じた。
「参りました」
「やったああああああ!」
教室に歓喜の声が上がる。
ルビアは心の底から喜びを表現していた。
あまりの嬉しさに教室内で小躍りしたくなる気分だ。
この嬉しさは軍で叙勲を受けた時よりも嬉しいかもしれない。
もちろんこれは、彼らが専属技師になることを受け入れてくれた喜びも入っている。
ルビアは今日のことを一生忘れないかもしれない。
それくらいの嬉しさだった。
しかし————
「ん?」
喜びを噛み締めている中、ルビアは周囲の様子がおかしいことに気づく。
イノは悔しそうにしているわけでもなく、なぜか、真剣な表情でオスカーとセシリアと喋っていた。
「なるほどな、『ルーク』と『ナイト』が早めに取られると、対処しきれないみたいだ」
「そうですね、十分な学習ができていると思ってたんですけど、まだまだ試行回数が足りないんですかね」
「チェスって天文学的な数の勝利パターンがあるんでしょ? それを、網羅するのはやっぱりキツかったんじゃないの?」
その様子は、負けを分析して次勝つための方策を練るといったものとは少し違った。
敗者の取る態度ではない。
「あの……」
ルビアがよくわからない状況に困惑していると、隣から声をかけられた。
話しかけたのはアイナだ。
「多分、誤解していると思うんだけど、さっきまでのチェスは————」
アイナは申し訳なさそうに口を開く。
ルビアはその次に何を言われるのか全く想像できなかった。
「イノがチェスをしていたわけではないの」
「はぁ?」
ルビアが素っ頓狂な声が上がる。
そうは言っても、さっきまでルビアの対面にいて、駒を動かしていたのはイノだ。チェスをしていたのはイノに違いないはずなのだが。
「ど、どういうことだ!?」
「あ、言ってなかったけ?」
イノ達が困惑しているルビアに気づいた。
すると、イノがルビアのもとに歩み寄り、手に持っていたものをルビアに見せる。
「さっきまでのチェスはこれにさせてたんだ」
それは、イノがチェスの対戦中にちらちらと見ていた魔石であった。
その魔石は西日に照らされ、紫色の輝きを放っている。
「何千通りの盤面と勝利パターンをこいつに覚えさせて、魔法でチェスを打たせてみようっていう実験」
あっけらかんと、手品師がネタばらしをするように説明するイノ。
すなわち、ルビアが必死に戦い、五戦もかけて勝利を手にした相手はイノではなく、このちんまりとした魔石だったという。
信じがたいその状況に、ルビアは数秒固まったままだった。
「ほら、チェス盤の下にも小さい魔石を仕込ませてあって、これで駒の位置をこっちの魔石に転送————」
「この……」
ルビアはその体を震わせる。
彼女の顔は、また赤い彗星となっていた。
次の瞬間、教室内に彼女の怒鳴り声が響き渡る。
「この魔法オタクどもがああああ!!」