第十六話 未熟者
彰介は目の前の世界を疑った。来なければよかったという考えと、来た方が良かったのかという考えが頭の中で交差し合う。
「そこの小僧。度胸試しなら別の場所でやれ」
近所の高校生が肝試しに来たのだと竜哉は勘違いしたらしい。人が、奏衛門と薫が床に倒れている現場を見られても彼は一切動揺しなかった。どうせこんな子供に見られても、恐怖のあまり他人に洩らす事はないだろうと言うかのような態度だ。竜哉と二人の男の拳は鮮血で紅く染まっていた。銃火器を使わず、己の手で二人を壊した証拠。
こんな時、何て言えばいいだろうか。
彰介は懸命に思考を張り巡らせるものの、適切な言葉は浮かばない。こんな光景は生まれて初めて見たものだから仕方ないだろう。
「……来ちゃったか」
床に倒れていた薫が立ちあがる。足がふらついていて今にも転倒しそうな勢いだ。
「すいま……」
彰介が謝ろうとした時だった。薫はいきなり彰介を床に押し倒し、そしてそのすぐ後には拳銃の発砲音。何が起こったのか、彰介は全くわからない。
「この子には被害を加えないで」
薫はそう言った。銃弾を彰介に向けて放ったのは敦吉。彼からは邪魔なものだから排除する、と言わんばかりのオーラが漂っていた。しかもさっきまで倒れていた人間の動作とは思えない薫の動きは評価すべきであろう。
「これを見られちゃ困るんだよ。もちろんお前も同じ事だ」
敵陣に侵入するのならそれなりの覚悟が必要。生半可な気持ちで行ったらすぐ殺される。薫と奏衛門たちはそれなりの心構えがあっただろう。しかし彰介に関しては自らの衝動に身を預けて乗り込んだ。これが大きな差、大きな間違い。
敦吉が再度引き金に指を伸ばし銃を発砲。薫は彰介を庇うかのように自ら銃弾に当たりに行った。弾はちょうど右肩辺りに命中。しかし彼女は唸り声一つも上げない。
「あ、あの……、肩……」
我ながら情けない声だと彰介は思った。体に力が入らず、声すらまともに出ない。手が震え、足も震え、必死に抑えようとしても無理だった。初めて真の恐怖を味わったような気がする。
「平気、こんなの慣れてるから」
いくら慣れているとは言え、人間の体は脆い。でも薫は右肩から流れ出る血には一切無視し、その場から立ち上がった。息を荒くし、体はすでに疲労困憊。そして彰介は何をすればいいのかわからない。
「ったく、ボロ雑巾みたいになっても立ちやがって……」
竜哉も彼女の妙な耐久力に頭を抱えた。でも見た目からしてもう体は壊れる寸前。なら叩き続ければ良い、と竜哉は判断して行動に出た。猛烈な速さで空を切る蹴り。竜哉は薫に当てるつもりだったのだが、それを邪魔した人間が一人。
彰介だ。
薫の代わりに彰介が竜哉の蹴りを喰らった。角度もスピードも、申し分のない攻撃。そのせいで閉じかけていた傷口は大きく開いた。しかも、傷を作った時以上の激痛が彼の体を駆ける。
「……無駄な事はしないで」
冷たく放たれる薫の声。必死に彰介は腹を押さえて痛みを堪え、そのせいで何も答える事は出来なかった。何しろ息をする事自体が出来ないのだ。
口の中が血で滲む。気分も悪くなってきた、胃液が逆流しそう。目の前がぼやける。自分でもこの妙な感じを抑えられそうにない。こんな辛い経験をしたのは初めてだ。
「もういい。君は帰っていなさい。ここはね、君みたいな子が来るところじゃないの」
薫はそう言うが、決して歩ける状態ではない。自らの足で立つ事さえ今の体では相当な集中力を必要とする。
けど何故だろうか、無理だとわかっていても彰介は壁に体重を預けながらも歩いた。薫に圧されたのか、それとも命の危険を感じたからだろうか。
「無様な姿だ」
竜哉は彰介の姿を見て鼻で笑った。
彰介は二階へと繋がる階段へ着いたところだった。三階だけ電気が灯されているこの建物だと、正に闇に向かう為の坂のようにも見える。
彰介はゆっくりと階段に足を伸ばしたのだが、頭がろくに回らないせいだろうか、距離感が掴めずそのまま足を踏み外して踊り場へと転がり落ちた。不思議と痛みが感じられない。ついに感覚すら麻痺してしまったか。
暗くて何も見る事は出来ない。転んで立ちあがる事も出来ない。歩く事も、体も動かすことさえ出来なくなった。だけど自分が床に倒れている感覚はある。まだ生きている証拠。
ふと自分の右腕が浮かんだような気がした。誰かが右手を持ち上げている。それと共に二、三人の足音が通り過ぎてい行った感じがする。
ついに頭もおかしくなったか、と彰介は思った。
「ごめんなさい……」
誰かに謝られた。毎日聞いてる声。毎日聞いてる女性の声。
「……蓬奈、か……」
言う事の聞かない口を意地でも動かした。蓬奈の声のお陰だろうか、突然安心感と言うものが彰介を優しく包み込む。
何でお前が謝るんだ。こうなったのは全部俺のせいだ。色々と蓬奈に言いたいことがあったのだが、それは叶わない願望。さっきの一言喋っただけで、異常なほどの疲れが襲った。体力が回復しない限り無理な事だ。
蓬奈はまだ何かを言っていた。けど、何を言っていたかはわからない。既に意識が途切れていたから。
最期まで働く人間の五感って聴覚らしいようですよ。
だから病院をテーマにしたドラマとかで、「○○さん! しっかりしてください!」って言うのはこの為だったんですね。
今思えば自分が無知なだけですけど……。
それと、二話でこの小説は幕を閉じる予定です。一作品として、一小説として形になれたらな、と思います。