第十一話 前夜
その日の夜の事だ。彰介と明樹は大蔵山の屋敷へと招かれた。
二人は屋敷の門をくぐり、そこに並んでいた厳つい顔をした大蔵山家の内弟子の五人組に出迎えられる。五人は野太い声で彰介たちに挨拶をし、広間へと案内をした。広間は旅館のように隅まで手入れが行き届いていて、汚れという言葉とは全くの無縁な部屋。長いテーブルには鮮やかに彩られた料理が広がっていた。
「ようこそ。二人ともこの部屋に来るのは初めてだっけ?」
広間に奏衛門がやってくると、まるで操り人形のように内弟子たちは一斉に頭を下げた。とても素早い動きで全く隙がない。
「君らもここで食べる?」
「いえ、別室で済ませます」
内弟子たちは広間を出てどこかへと行ってしまった。明樹は遠慮も無しに座布団の上に座り、「早く食べようよ」と駄々をこねる子供のような口調で催促をし、テーブルの上に肘をつく。
「蓬奈が来るまで待ってて」
この家に着いてからもう十五分ほどは経つのだが未だに蓬奈の姿は見えなかった。また部屋で寝ているのか、それとも勉強か。
「彰介くん、蓬奈の部屋を見に行ってくれない?」
なんで俺なんだろう。別に不快な気持ちは抱かなかったが、彰介は思った。
言われた通り蓬奈の部屋へと向かう途中、広間の隣室から何やら話し声が聞こえてきた。
「なぁ、あの話本当なのかな?」
「さあな。でも郷鈴会って裏世界じゃ凄い大企業だから本当じゃないか?」
何の話だかよくわからない。でも郷鈴会という組織が話のネタだという事だけは把握。裏世界というのは彰介にとって胡散臭いものでしか無い。特に興味は持たず、そのまま蓬奈の部屋へと向かった。
扉を軽くノックして部屋に入ると電気が点いていない暗い空間が広がっていた。彰介は手探りでスイッチを探し、明かりを照らす。
「寝てるのか?」
「……何?」
素っ気ない返事だ。蓬奈は布団の中に入り込んでいて、まるでみの虫のような状態。
「ご飯が出来たぞ」
「私いらない」
寝起きだから食欲が湧かないのだろうか、遠くで蚊が鳴いているかのような小さい声で答える。
「そうか。じゃあ腹減ったら来いよ」
彰介が部屋から出ていこうとしたのだが、蓬奈が呼び止めた。何か用でもあるのかな、と彰介は蓬奈の近くへと寄る。
「疲れた……」
「え?」
何言ってるんだこいつ。いつもの蓬奈らしくない。彰介は蓬奈に返答をする言葉が見つける事が出来なかった。何を言えばいいのかわからない。何を言うべきなのかわからない。
「もう死にたい……」
最初は冗談かと思ったのだが、口調からして明らかにふざけている雰囲気は感じられなかった。本気だ。本気でさっきの言葉を口から吐いたのだ。でもそのお陰で彰介は見つけることが出来た。蓬奈に対する返答を。
彰介は半ば力尽くで蓬奈を体を掴んで、ベッドから起こしあげた。そして蓬奈の右頬を平手で叩いた。いきなりの出来事に思考が追い付かず、蓬奈はそのまま床に倒れてうずくまる。
「そんな言葉、簡単に口から出すなよ。死ぬだなんて馬鹿の使う言葉だ」
自分でも驚くほどの冷たい声だった。そして蓬奈は顔を隠すようにして彰介に目を向けない。
震えた声で彼女は言った。
「彰介までこんなこと……」
その後も何かを言いたそうだったが、途中で言うのを止めた。蓬奈の右頬は赤く腫れ、痛みを堪えるかのように必死に手で押さえていた。
いくらなんでもやり過ぎたかな、と彰介は内心反省する。相手が男なら容赦なく顔面を殴るけれど、今回は女だ。もしかしたら自分の予想以上に力が入り過ぎたのかもしれない。
「その……。ごめんな、悪かった……」
「もういい、出てって!」
今までにない迫力。もうここまで来たら何を言っても会話にはならない。彰介は蓬奈の部屋から出て行った。閉じた扉を背に彰介は座り込み、大きく息を吐く。
「手出しちゃった……」
ついさっきやった行動を思い出すだけで自分に腹が立つ。そしてふと昔の事を思い出した。
それは小学生の頃だ。彰介と数人の男子児童がケンカをし、最終的に暴力沙汰になったことがある。ちょうど蓬奈がそれを見てケンカの仲裁に入り、暴力はと延々叱られたことがあった。昔から父親とその内弟子の暴力行為を見てきたから、そういうものは以後嫌いになったのだろう。
蓬奈の言った「彰介までこんなこと……」とは、このような意味も含まれていたのかもしれないと、ろくに回らない頭で彰介は考えてみた。
ダメだ。何も考えられない……。
翌朝、学校へ行くためにバスに乗ったのだが蓬奈の姿はなかった。きっと向こうが時間をずらしたのだろうと思い無駄に頭を動かすのは止めようとしたのだが、学校で偶然会ったらどうしよう、下校するときはどう接しよう、などとずっと考え事をしていた。
でもそれはあくまで考えに過ぎなかったのだった。
最近もよく色んな方に評価や感想の依頼をさせて頂いています。
そしてよく修正をしているのですが、大々的に第四話の一部のシーンを全て書き直しました。
なのでもう一度読み直すと「あれ? 物語が変わってる?」と思われるかと思いますが、ご了承ください。