アルマの手記
そして幾度となくヴィンスは土を舐めさせられてからの夕刻。屋敷の食堂にて、ヴィンスの前には大皿が置かれている。
厨房から鍋を持ってきたアルマがそこに大麦の粥を盛っていく。粥には赤い豆が散らされていた。
「残さずお食べ下さい」
「今日の糧を得たことを22柱の人類守護神に感謝します。いただきます」
簡易の祈りを捧げてヴィンスはスプーンでそれを持ち上げて口に。
……ヴィンスの顔が歪む。
「残さずお食べ下さい」
アルマは繰り返した。
「……はい、師匠」
もそもそとスプーンを口に動かし続ける。アルマは粥の上に、焼いた鶏胸肉の切り身を置いた。
「ヴィンスは考えが甘いのです」
「……甘かったですか」
アルマは同じものを自分の皿の上に盛って対面に座った。そして粥を無表情に口に運ぶ。
「ヴィンス、今日1日しか見ていませんが、あなたは10歳の決闘士見習いとしては充分にやっていける素質がある」
「……全然、手も足も出ませんでした」
ヴィンスは俯いた。
「当たり前です。いくらヴィンスが天才とはいえ、10歳に負けたらメイドの立つ瀬がありません」
「……いや、おかしくない?」
「冗談です。まあ、こう見えてエルフですから長く生きているのですよ。貴方のお祖父様より歳上ですから」
ヴィンスが身を起こしてじっとアルマを見る。
アルマの長く伸びた褐色の耳がゆらりと揺れた。
「じゃあ何の考えが甘いんですか」
「あなたが家を出て決闘士養成所に入ってやっていけると思っている事ですよ。言っておきますが、養成所の粥はもっと不味いですよ」
うえっとヴィンスは舌を出した。
「平民と奴隷も混じる不衛生な環境に、量と栄養価だけはある不味い食事、貴族のヴィンセント坊ちゃまに耐えられるはずはないのです」
頭角を表せば虐めも受けますしね、アルマはそう思ったが、口には出さなかった。再びヴィンスが項垂れたからだ。
彼女が机の上に左手を出すとその上には小さな壺が。右手を壺に入れて中身をひとつまみ。塩である。それをヴィンスと自身の粥の上に振りかけると塩の壺は掻き消え、代わりに胡椒挽きが。がりがりと回すと薄っすら黒い粉がかけられた。
「食べなさい」
ヴィンスは粥を匙でかき混ぜ、口に運ぶ。
「……美味しい」
「それはようございました」
夜、ヴィンスが寝た後。
アルマは自室の机で本にペンを走らせる。
『112年3月25日
午前中は別荘の清掃と必要な食材等の確認、不足の補充のため村で買い物。
昼食は村の食堂にて。
戻って戦闘訓練。
夕刻は魔術訓練を自習してもらい、私は夕食の準備等家事。
夕食は決闘士養成所風の食事。
夕食中及びその後は戦闘訓練の振り返りなど。
入浴。
就寝。
購入した食材等の品目と価格については別途記載。
本日、ヴィンセント坊っちゃまに決闘士としての訓練を開始いたしました。
彼は今日よりヴィンセント坊っちゃまではなく弟子のヴィンス。わたしは師として厳しく指導に当たらねばなりませんし、この手記でもヴィンスと記載することにいたします。
さて、ヴィンスですが10歳というと決闘士見習いの下限の年齢です。
いわゆる見習い1年生と比した時、ヴィンスは体格も悪くないですし、頭の回転は比べるべくもない。根性もある。
魔力は極大で、放出ができないという大きな欠点はあるにしても、この時期の決闘士見習いはそもそも大半が魔法の素質を有するだけか簡易の魔術を扱えるだけで、実戦で使えるような者はまずいません。
短縮詠唱で〈治癒〉を含む戦闘に使えるレベルの術式を複数使用できるとあれば、その有利さは圧倒的ですので。
でも。
決闘士養成所に行っていたら15歳のデビュー前に死んでいたでしょう。
あるいは治癒できないほどの傷を負わされて不具となっているか。
運が良ければ見目も良いですから、どこかの貴族に買われ、飼われることとなっていたかもしれません。
わたしは養成所出身ではありませんがよく知っています。あそこは嫉み渦巻く場所です。
まあ当然でしょう。あそこの卒業生は互いにとって将来の敵になるわけですから。明らかな強者は排除したほうが良い。結託して卑劣な手段でヴィンスを潰しにかかるでしょう。
貴族の子として育った彼に、それに抗するしたたかさは無いと見ます。
とは言えちゃんとした師につかせる訳にはいきません。
ローズウォール家のヴィンセントとして闘技場に立つのではないですから。
その流派や金の出どころからヴィンスがローズウォール家の死んだはずの長男とすぐにばれてしまうでしょう。
故にトゥーリア奥様がわたしをつけられたのはご慧眼であると言えます。
ただ奥様が魔力を暴走させていないか、暴走させた場合にお止めできるかが不安です。
代わりのメイドは上手く紅茶を奥様のお好みに合わせられるか、封魔帯を上手く巻けているか、そして奥様を恐れないかが心配なのです。
話をヴィンスに戻しましょう。
わたしが師となることに関しては異存ありません。彼が決闘士となるとして考えられる最善手でしょう。
ですが。
わたしは腕前には自信がありますが、あくまでも剣舞士であり念動士なのです。
ヴィンスは組技系か打撃系かはまだわかりませんが格闘士であり、術式も強化術士の系統でしょう。
その技について、その術式についてわたしが指導することはできないのです。
それ故に。
ああ、ヴィンセント坊っちゃま、それ故に。
わたしがあなたにできることはただ一つのみ。
恨んでも構いません、嫌われても構いません。
わたしはあなたが決闘士として立つまでの間に、万の敗北を刻みつけます。
それが闘技場での無敗に繋がることを信じて。
ただそれのみが、わたしに出来ることだから』