ヴィンセント・ローズウォールの死
「ヴィーにいぢゃんいっぢゃやだー!」
イヴェットがヴィンセントの腰にしがみついて号泣する。
今日はヴィンセントの出立の日である。
タウンハウスの玄関で、平民のような旅装に身を包んだヴィンセントと向き合うは彼の弟妹。
彼らには細かい説明が出来たわけでは無い。そもそもヴィンセントの症状を正確に理解も出来ている訳ではないし、説明を始めるとすぐに何かを悟るのかイヴェットが泣き出すのだ。
「イヴ……ほらヴィーにいちゃんこまってるよ」
ウィルフレッドが双子の妹をたしなめた。だが彼の青い瞳も涙に盛り上がり、泣き出す寸前といった様子であった。
男女の違いがあるとは言え、よく似た双子である。髪の長さこそ違えど、同じ質感の金の髪。ただウィルフレッドの瞳は青く、イヴェットの瞳は翠であった。
ヴィンセントは屈み込みイヴェットの顔を拭ってから2人を抱きしめる。
「ウィル、イヴ。お父さまとお母さまの言うことをよくきいて、ローズウォール家をたのむ」
「はい、にいさま」
「…………ぐすっ……ん」
「遠くからウィルとイヴが元気に成長することを祈っているよ」
「にいさまが、えいこうをつかまれんことを」
「にいさまが、すこやかであらんことを」
ヴィンセントは2人の頭の間に顔を埋めた。
「……ありがとう」
ヴィンセントは抱きしめた手に一度強く力を込め、
やがて立ち上がった。
次いでトゥーリアが前に出る。彼女はヴィンセントを抱きしめた。
「さようなら、ヴィンセント。健やかにね」
「ありがとうございます。お母さま」
トゥーリアは耳元で囁く。
「今年の冬にはウィルとイヴを連れて会いに行くわ」
ヴィンセントは頷いた。
「ヴィンセント、あなたに“力”の、“運命の輪”の加護あらんことを」
「母さまにあらゆる良きものの祝福あらんことを」
互いに祈り、トゥーリアはアルマの前へ。
「アルマ、よろしくね」
「かしこまりました、奥様。奥様もお身体健やかであられますよう」
ヴィンセントの後ろに控えていたアルマが淑女の礼を取る。
トゥーリアは笑みを浮かべてアルマに抱き着いた。
2人は主人と使用人では無く、友のように別れを惜しむ。
「ヴィンセント」
最後に父のユリシーズが彼の名を呼んだ。
ユリシーズは魔術礼装、魔術士としての正装を着込んでいる。元々王国の魔術師団に所属していたため、軍服をベースとしたデザイン。腰には魔術剣でもあるサーベル、胸元にはローズウォールの秘術たる薔薇魔術の媒体でもある赤薔薇。
「はい。お父さま」
「今この時を以て、ヴィンセント・ローズウォールをローズウォール家嫡男より外し、継承権を剥奪するものとする」
「はい」
「また、対外的には病死したものとして扱う。
以後ヴィンセントはローズウォールの姓を名乗ることを許されず、当家の庇護を得ることは叶わない。
ただ、アルマを連れてトルメッゾの別荘にそこの管理人という名目で5年間住むことを許可する」
ヴィンセントは紳士の礼をとって言った。
「はい。多大なご厚情、感謝いたします。ローズウォール伯爵」
「これを持て」
ユリシーズは胸元の薔薇をヴィンセントに渡す。
ヴィンセントが薔薇を持つと、ユリシーズは一歩下がってサーベルを抜く。
剣が閃き、銀光が走る。薔薇の花、上半分が斬り落とされ、花弁が散った。
ヴィンセントに傷は無い。だがその身が斬られたような衝撃を受けた。
ローズウォール家の紋章でもある薔薇を斬られた。つまりヴィンセント・ローズウォールは今ここに死んだのだと悟ったのだ。
「さらばだヴィンセント」
ユリシーズは剣を鞘へと納めて踵を返す。
「ありがとうございます。……さようなら!」
涙声でヴィンセントが言い、アルマと共に家を後にする。
ローズウォール伯が治めるフリウール地方は、スティバーレ王国の王都ラツィオから北北東におよそ450km。街道を行けば500kmを越える旅だ。
本来であれば王都と北部の大都市をつなぐ〈転移門〉を通れば速いが、それだとヴィンスとアルマのみが北部へと向かったという公的記録が残ってしまう。
そこで2頭立て4輪の幌馬車が用意された。
ローズウォール家を示す薔薇の家紋をつけた箱馬車ではなく、行商人のようなそれで北へ向かう。
ヴィンセントはアルマの指示により馬車が止まっている間は身体のストレッチ、食後は1時間ほど馬車と並走することとなった。
それ以外の馬車での移動中や雨の日は魔導書を読み、揺れのひどい時は瞑想に主な時間を割いた。
そして1月以上かけてフリウール地方へ。領都ウーディネへは寄らず、その手前を流れるタリアメント川に沿って北上する。
北方には雄大なる山々が連なり、それが段々と大きくなる。季節は春から爽やかな初夏へと向かい、柔らかな緑の草原は段々と色を濃くした頃。
馬車はローズウォール家の別荘へと到着した。
タリアメント川の源流の1つ、カルニケ山の麓にある小さな村、トルメッゾを少し越えたところに建つ瀟洒な建物。
ヴィンセントはこの別荘に来るのは3度目であった。
そしてこれから彼が15歳になるまでの5年間近く、ここが彼の住処となるのであった。