放逐
――大同盟暦112年春
ヴィンセントが10歳の誕生日を迎えた翌日のことであった。
彼は話があると両親に告げる。5歳になるウィルフレッドとイヴェットはノルベルトや従者たちに預け、部屋には両親と母に付き従うアルマだけだ。
ヴィンセントは本題から切り出した。
「父上、ぼくを放逐してください」
ピシリと空気が固まる。
「……なぜだ」
「ぼくではお父様の秘術、ローズウォール家が魔道伯たる力を継げません。ウィルフレッドは魔術が扱え、魔力量も多いです。その時に長男のぼくが嫡男として残っていたら継承で問題になると考えました」
トゥーリアの前に置かれたティーカップがカタカタと揺れ、ひび割れた。
「……うむ、続けなさい」
「はい、ローズウォール家が、王国の端、それも東方の魔界に近い側を領土として与えられているのは王国の盾となるため。そのための広域殲滅魔術を使えることがローズウォール家の地位を支えています」
ユリシーズはこの5年間、宮廷魔術師の一部と秘密裏にヴィンセントの魔力放出能力を向上させられるか研究してきた。だがそれは叶わなかった。
一方、弟のウィルフレッドはヴィンセントほどの魔力容量は持たないものの、充分すぎる魔力を有し、魔力放出力、魔力制御など問題なく魔術を扱えていた。
「イヴェットもまだ魔術が使えませんが、あの子は……間違いなくすごい才能があります」
「ほう」
「そうなの?」
トゥーリアが尋ねた。ウィルフレッドの優秀さは誰が見ても明らかだ。だが、イヴェットについては年相応の天真爛漫な娘であると両親は共に思っていたからである。
「はい、あの……ここで言うことは秘密にしてください」
そう言ってヴィンスは視線を壁際へと流した。
控えていたメイドのアルマが頭を下げる。
ヴィンスは口を開いた。
「イヴェットは魔術師ではなく、真の魔法使いの才能があります」
息を呑む音。
真の魔法使い。人類守護神より授けられた、魔素を操る技術体系化された魔術とは異なる力を持つ者。
「……なぜそう思った」
「イヴェットを怒らないで下さいね。あと僕が言ったのも秘密ですよ」
「ああ」
「隠れんぼや追いかけっこしている時、あの子は庭の茨に隠れても一切傷を負わないし服が解れもしないから」
ユリシーズは額を叩き、トゥーリアはまあ、と楽しそうな声をあげた。
「一度のみの偶然というわけではないのだな」
「はい。魔女の卵なのか、ローズウォールの薔薇に親和性があるのか。何か神秘的な力を持ってます。
だから……僕は放逐されても問題ないかなって」
ユリシーズはため息をついた。イヴェットの件は後で調べねばならないが、嘘をつく意味もない。
それにしても優秀だ。ヴィンセントが10歳でここまでの理解力を有しているとは。だがそれ故に自分の置かれている境遇までわかってしまっているのか。そう思った。
故に嘘で誤魔化すようなことはしなかった。
「その通りだ、ヴィンセント。いつか私たちはお前を廃嫡し、ウィルフレッドを後継者に据えねばならないだろう。
だが、お前を放逐する気はないぞ。お前が優秀なのはどの家庭教師も口を揃えて言う。文官としてローズウォールの代官となるなり、どこか婿入りできる貴族家を探しても良い」
「それは、お母様が悲しまれます」
「……なぜだ?」
ヴィンセントはしばし言い淀み、それでも決然と言った。
「『わたしがちゃんと産んであげられなかったから』『呪われ子の子はやはり呪われ子だった』そんなことを言わせたくないんです」
トゥーリアの前のカップが砕け散った。
「トゥーリア……」
彼女は悲しそうに瞼を伏せた。
実際、社交の中でそういう噂は耳に入る。ローズウォール家は王国の外様の貴族だ。元々ユリシーズは王国民ではないため、歴史ある王国の貴族たちからの悪意は強い。
「それにぼくも、ぼくの魔法で身を立てたいと思います。魔力容量だけならウィルフレッドにもイヴェットにも負けない。それを捨てて文官になろうとは思えないです」
「そうか、……そうか。どうする気だ?」
「決闘士を目指します」
ふむ、とユリシーズは思った。貴族の長男がなすべき進路では無い。だがヴィンセントに取って悪くはないかもしれぬ。
悩む間にトゥーリアが声を放った。
「アルマを連れていかせなさい」
「それは……」「奥様……」
「あなた、アルマ以上に適任はいないわ」
「それは確かにそうかもしれんが、君の身の回りのことはどうするんだ」
ヴィンセントの母、トゥーリアはなぜ『呪われ子』なのか、なぜ封魔帯に身を包んでいるのか。なぜカップが割れ砕けたのか。
彼女もまた歪な魔女であるからだ。彼女の正式な二つ名は捻る者トゥーリア。
ヴィンセント同様に膨大な魔力を有し、使える魔術は唯一、〈念動〉のみ。そして一切の制御ができないのだ。王国最強の一人とも噂される魔女にして出来損ないの魔術師。
「もちろん不便になるわ、でもヴィンセントのことを心配して過ごす方があなたに迷惑をかけると思うの。アルマになら任せられる」
ユリシーズは唸った。トゥーリアに仕えられるメイドはアルマしかいない。
だが、トゥーリアの〈念動〉がストレスや不安によって暴走しやすいこともまた事実だった。
「アルマ、5年間よ。ヴィンセントを決闘士になるのに充分なように鍛え上げてちょうだい。もし貴女からみて才能がないのであったら、叩きのめして連れ戻して」
ユリシーズは深いため息をつき、頭を下げた。
「わたしからも頼む。トゥーリアにはできるだけ不便をかけないようにしよう」
アルマはスカートの裾を持ち上げ、淑女の礼をとった。
「畏まりました、奥様、旦那様。ヴィンセント坊っちゃまをお預かりさせていただきます」