母と子
5日ほどでヴィンセントの右手は再生し、10日もすると包帯も取れて動くようになった。
だがしばらくは経過を見ることと、おそらくは特殊体質の研究のために王宮にとどめ置かれた。1月ほどしてやっと家に戻されたのだった。
ユリシーズに連れられて王都のタウンハウスへと戻る。
早速向かったのは母の部屋である。
「おかあさま、かえりました」
異様な部屋であった。
鋼鉄の扉を抜け、また扉。
部屋全体が鋼鉄で覆われていて、家具は最低限のベッドと机。その家具も壁や床に溶接されていて決して動かない。
窓に硝子は使われておらず鉄格子と鎧戸。今は開けられていて庭から穏やかな風が入り、カーテンを揺らす。
高貴な牢獄のようであった。だが一方で部屋には無数の縫いぐるみやクッションなどが、敷き詰められるように置かれ、桃色や黄色などの色彩に溢れている。
「おかえりなさい、ヴィンセント。お元気かしら」
「はい!げんきです!」
ヴィンセントは右手をぐるぐると回してみせた。王宮での滞在中にリハビリをしていたこともあり、もうすっかり元通りである。
尋ねたのはベッドに座ったままのヴィンセントの母、トゥーリア。
背中にはクッションが幾重にも重ねられて身を起こしている。その腹は柔らかく大きく膨らんでいた。
部屋の隅には彼女付きのメイドであるアルマが控えている。
「あなたのお父様から聞いてはいたけど、なかなか王宮から戻って来ないし心配したのよ?」
「ごめんなさい」
「ふふ、謝ることでは無いわ。いらっしゃい」
トゥーリアはベッドに腰掛けるよう手招きでヴィンセントを招き寄せる。
歳のころは20代半ばと夫のユリシーズよりは10ほど年下、少し幼くも見える美しい顔に優しげな微笑みを浮かべている。
その肌は色素が薄く、病的にも感じる白さ。どこか人形めいたものを感じさせた。
しかし異様なのは彼女の全身が無数の魔法文字が書かれている黒い包帯で覆われていること。
それは封魔帯、犯罪を犯した魔術師が魔力を使えないよう封じるためのものであった。しかも普通であれば両腕を覆う程度に使われるそれが、顔以外の全身を覆っている。
「おかあさま、よかった」
ベッドの端に腰掛けたヴィンセントは母に抱きついた。
夫の髪に良く似た色をした金髪の頭を彼女は撫でる。
「あら、なにがかしら」
「ぼくのおとうとたち。まっててくれた」
ヴィンセントは母の腹を撫でる。
「ふふふ、ヴィンセントもお兄ちゃんになるのですものね」
今回、トゥーリアがローズウォールの領地、フリウール地方の屋敷ではなく王都のタウンハウスでの出産を選んだのは、妊娠したのが双子だったとわかったためである。
それはヴィンセントにとっても幸運であったと言えよう。事故後すぐに宮廷魔術師による診断と治療を受けられたのだから。
…………………………
そしてヴィンセントが家に戻ってから数週間後、母トゥーリアが産気づいた。
双子ゆえに時間はかかったものの母子共に無事であり、産まれた男の子にはウィルフレッド、女の子にはイヴェットと名付けられた。
「坊っちゃまも抱いて差し上げて下さい。わたしが支えておりますから」
アルマが言う。
トゥーリアから彼女の手を経て、ヴィンセントはおくるみに包まれたウィルフレッドを抱きかかえた。
頭に金だか茶色だか分からないような髪の生えた、小さくて皺くちゃの赤子。
ヴィンセントがその頬をそっと突くと、ふにゃふにゃと反応を見せる。
「はじめまして、ウィルフレッド。ぼくのおとうと」
そしてイヴェットも同じように抱かせてもらったところで、出産に疲れている母を眠らせるよう、部屋から出されたのであった。
ヴィンセントは自分の部屋に戻って呟いた。
「2人ともまほうのそしつがちゃんとある」
触った手から魔力を感じた。
感じると言うことは自分のように魔力を放出できないと言うことはない。
これは嬉しいことなのか悲しいことなのか分からなかった。
それからのヴィンセントは弟妹を大事にし、文武ともに良く学ぶ理想的な兄であり続けた。
また、魔術の学習は必要だった。魔力容量が大きいのに放出が出来ないということは、魔素が体内に溜まる一方ということである。
魔素はあまりにも偏って多いと生物や環境に悪影響を与える。人体内で魔力が多く蓄積されることを魔力過多症と言うが、幼い頃彼が体調を崩しがちだったのはそのためであった。
通常であれば放出されるはずの魔力が体内に留まっているのである。
しかし〈発火〉などの術式は使用できず、魔力を放出できないため体内で消費するしかない。
そこで肉体操作系統の強化術式を中心に学ぶこととなった。
自分の身体を力強くしたり素早くしたりする術式である。
家庭教師であったマカーリオもある程度その系統が使えたので、そのまま指導を続けられた。その後もマカーリオはウィルフレッドとイヴェットの家庭教師となるため雇われ続けることとなる。
ヴィンセントは屋敷の魔導書やマカーリオの魔導書から使いたい術式を、父から貰った自分のための魔導書へと写本していく。
宮廷魔術師のクィリーノと面識ができたため、時折宮廷に赴いて、身体の検査が行われると共に、高位の治癒魔術の写本も許された。今は使えなくても将来のために。
そうして数年の月日がたった。