天使
教祖さまが言った。
「君達!
君達は!
成人して社会に出ても、社会人にはなるな!
破壊人になりなさい!」
右隣で心酔するような目で頷くメガネの少年を見ながら、茶髪の少年が言った。
「おい、ゴシ……。帰ってもいいか?」
しかしゴシと呼ばれた少年は教祖さまの言葉に夢中で聞こえていないようだ。
仕方なさそうに茶髪の少年は左隣に話を振った。
「帰ろうぜ、ココロ」
「なんで? ケンタは面白くない?」
ココロと呼ばれた少女はそう言いながら振り向いた。
うっ、と一瞬、眩しそうな顔をし、ケンタと呼ばれた少年は答えた。
「面白くねーどころじゃねーよ。なんだよコレ、反社の集まり?」
周りは松明の炎を模したオレンジ色のライトで怪しげなムードが演出され、200人ほどの信者達が気味の悪い微笑みを浮かべて立ったまま、教祖さまの言葉に心酔している。
白い髪に白い髭のいかにもインチキ臭い仙人のような教祖さまは、大袈裟な身振りと喋り方で、破壊人とは何であるかを語った。
「人間が生きることに意味はない! 国家という名の化け物はそこにつけこんでいるのだ! 金、仕事、娯楽、快楽、幸福! そうした生きる意味を人間に与え、人間を支配し、管理する! 騙されるな! 国家は我々の敵だ! これを破壊し、人間の自由を取り戻すのが……」
「おい」ケンタはココロの手を繋ぐと、引っ張った。「帰るぞ」
「あん。なんか面白いとこなのに」
少し抵抗したが、ココロは引っ張っられるままに怪しげな会場を出て行った。
「やべーだろ、アレは」ケンタは会場を出ると、すぐに帰り道を歩きはじめながら、並んで歩くココロに言った。「ゴシの奴、『面白い集まりがあるから体験してみないか?』なんて言いやがって。完全にあぶねー集会じゃねーか」
「うん。まー、危ないけどね」ココロは笑いながら言った。「本気じゃないでしょ。ゲームみたいなもんだよ、アレは。そう思えば面白かったな」
「何? お前、ああいうの好きなの?」
「まぁ、暇潰しとしちゃ面白いでしょ? ロックなケンタくんこそああいうの好きかなと思ったけど? ロックと反抗はセットでしょ?」
ココロの透き通った瞳に見つめられ、ケンタはうっ、と声を漏らして黙り込む。暫く二人で明るい夜道を黙って歩いた。ふいにココロが口を開く。
「あ。まだこの時間なら、お店開いてるなぁ」
「店?」
「うん、あたしのバイトしてるカフェ。喉渇かない? 一緒に行かない?」
「え」ケンタの顔が思わずニヤケた。「それってデート……みたいな?」
「ただの幼馴染みでしょ」ココロが笑って軽く流した。「べつについて来ないならあたし一人で行くけど」
「いや、行くよ!」ケンタはなぜか怒ったような調子で言った。「女の子一人で夜道歩かせたら危ねーだろ!」
ココロがアルバイトしている店は住宅街と繁華街の間の静かな場所にあった。『カフェ てんにん』と緑色の看板に白く抜かれた文字が柔らかい。
「いらっしゃいま」
扉を開けて入って来たココロの顔を見ると、背の高い若い男の店員が挨拶を最後まで言わずに明るく笑った。ココロもとても嬉しそうに笑ったのをケンタは見逃さなかった。
「いらっしゃいま。林原さん。今夜はお客さんだね」
水を運んで来たさっきの店員に、ココロは懐いた猫のようにすり寄るように聞いた。
「テンシさん、今夜一人なのぉ? 他のバイトはぁ? 店長はぁ?」
「見ての通りお客さん少ないからね、店長奥で寝てる」そう答えてからテンシと呼ばれた店員は、ケンタのほうを見て聞いた。「彼氏?」
激しく首を横に振りながら、ココロが答える。「幼馴染みの吉岡健太くん」
「どうも」店員は爽やかな笑顔をケンタに向けると、自己紹介した。「淳美天士です。林原さんのアルバイト仲間の大学2回生」
艶のある長い髪を後ろでくくり、やたらと爽やかな笑顔をするテンシをケンタはなぜか自分でもわからず睨みつけた。
「面白い集会に行って来たんだよぉ~」
ストローで掬ったダルゴナコーヒーを舐めながら、ココロが言った。
他に客がいないのでココロの隣に座ってテンシは話を聞いていた。
「へぇ? コスプレかなんかの? 俺、そういうのあまり興味ないからなぁ……」
そう言っていかにも愛想笑いといった微笑みを浮かべるテンシのことを、ケンタは白けた顔で無視しようとしながらいちいち横目で睨みつけていた。
「コスプレじゃないよ。えっと……何教だったっけ?」
ココロがケンタに聞いたが、ケンタも答えられなかった。あまりに興味がなさすぎてそんな宗教団体の名前なんか覚えていない。ケンタはクリームソーダを飲みながら無言で首を横に振った。
「宗教なの?」テンシがココロに聞く。
「うん。なんかね……」ココロは仰々しく教祖さまの真似をして見せた。「君達は社会人にはなるな、破壊人になりなさい!」
テンシの爽やかな笑顔がすうっと消えるのをケンタは見た。
「ああ」とテンシは言った。「そういうの、あるね」
「知ってるんスか?」ケンタは聞いてみた。「もしかしてああいうの好きな人とか?」
「いや」テンシは答えた。「とてもバカらしいと思うよ」
なんだ、とケンタはがっかりした。エキセントリックなとこ見つけたと思ったのに。ココロが幻滅するようなところはっけーん♪ と喜んだのに。
笑顔に戻ったテンシにココロが「でね」と話しかけようとしたが、遮られた。テンシが続けて話しはじめたのだ。
「バカらしいよ。破壊人は教祖さまに従ってなるものじゃない。自分の意志で、破壊人にならなければ」
「は?」
「へ?」
ココロとケンタの目が点になった。
ぽかんと口を開けて自分を見つめている二人に気づくと、テンシはアハハと笑い、言った。
「なんてね。冗談、冗談」
「ここでいいよ」ココロは立ち止まり、ケンタに言った。「送ってくれてありがとね、遠回りなのに」
「気をつけて帰れよ」ケンタはそう言うとすぐに背を向けた。
しかし少しの時間を置いてすぐに振り向く。既に歩き出しているココロの後ろ姿を眺める。その後ろ姿はケンタを振り返ることはなく、やがて角を曲がって見えなくなった。
家に帰るとケンタはすぐに自室に籠り、ベッドに身を投げ出した。
角を曲がるまでのココロの後ろ姿が頭にこびりついていた。
「白だな」ケンタは一人で呟いた。「アイツを一言で言い現すなら、白だ。いや、純白だ」
吉岡健太は林原真心のことを物心ついた頃から知っていた。アパートの隣室に住む同い年の娘で、幼い頃はいつもケンタが近所の友達と遊ぶ中にココロもいた。小学校も同じで、同じクラスになったことはなかったが、廊下等で会うたびに手を振り合った。
中学校に入ると同時にココロは親の都合で別の町に引っ越して行った。ケンタは「そっか~」程度で特別残念にも思わなかったのだが、高校に入るとその入学式でココロに再会して驚いた。たった3年見ない間にすっかり綺麗な女になっているココロにたじろぎ、話しかけることも出来なかった。それだけ変わっているにも関わらず、最初は気づかなかったなんてこともなく、見た瞬間にココロだとわかったことにも驚いた。ココロのほうから話しかけてくれていなかったら、今、こんな風に一緒に遊べる関係にはなれていなかったかもしれない。
ココロの家は昔と違い、今は少し離れてしまった。そのことが一層、むしろココロを恋しくさせていた。
「はうぅ~……」ケンタはベッドに仰向けになり、情けない声を出した。「今日も言えなかったよぉ~」
泣きそうな顔を上げ、ケンタはスマホを手に取った。
ココロの写真を見るつもりで電源を入れると、ニュース速報が入っていた。
『(謎の強盗?) 昨夜8時頃、◯◯市××町の棚橋 秀樹さん宅に不審者が押し入った。
しかし犯人が何も盗んだ形跡はなく、ただ棚橋さん夫婦は心神を喪失しており、
二人の幼い娘の目の前でペットのウサギ三羽を絞め殺した上で首を切り、娘達に
食べさせようとしていた。子供の激しい泣き声に近所の人達が駆けつけ、長女の
証言により強盗事件であることが判明した。同時刻頃、不審な男が近辺を彷徨い
ているのを目撃したという報告もあった』
結構近くだな、とケンタは思い、変な事件だなぁと続けて思ったが、しかしすぐにココロの写真を開いた。
『決めた』ケンタは強く思った。『明日、学校に行ったら、必ず告白する! 必ずだぞ!』
ケンタとココロを含む五人で夏フェスに行った時の写真だった。白い上着にショートパンツ姿で姿勢よく立ち、麦わら帽子の下で天使のような顔が笑っていた。
『……でも、告白するきっかけは?』写真を熱く見つめながら、いつものようにまた考えはじめてしまう。『どうやって切り出す? いきなりはなんか不自然じゃね?』
そしてベッドの上を左右に何度か転げ回ると、ぴたりと止まり、声に出した。
「絶対だぞ!」
「あたしのLINEのアドレス、教えてたっけ?」
不審そうに首を傾げながら、ココロはそれでも嬉しそうに階段を下りて入って来た。
暗い地下室はランプの明かり一つだけで照らし出されていた。その中心に立って、淳美天士はいつものように爽やかな笑顔を浮かべた。
「こんな夜中に呼び出して悪かったね」
「ううん。親にバレずに出て来るのがちょっとドキドキしただけ」ココロは声に期待を込めて、テンシに聞いた。「で? 何? 急な用事って」
「うん」テンシは立ったまま、ココロを座らせることもせずに言った。「君に僕らの巫女になってほしいんだ」
「巫女?」ココロは意味がわからないまま、笑った。「テンシさん、コスプレ興味ないんじゃなかったの」
「その服……」テンシは白いTシャツにミニスカート姿のココロを足先から首元まで舐めるように眺めながら、聞いた。「ポケットはある?」
「え?」ココロは一瞬きょとんとし、自分の身体を見回した。「ポケットは……ない……けど?」
「じゃ、脱いで」
「は?」
ココロの笑顔が凍りついた。
華奢な身体に似合わないテンシの逞しい掌が、有無を言わせず胸のほうへと伸びて来た。
いつもと変わらない朝がやって来た。
いつもと変わらない通学路をケンタは自転車を漕いだ。しかし今日はいつもと違う日になる予定だ。未来の妻との交際開始記念日になるか、人生最初の失恋記念日になるかは、まだわからない。
教室に入るとゴシがやって来て、言った。
「なんで昨日、いなくなっちゃうかな。面白くなかった? ココロちゃんとどこ行った?」
黒縁丸メガネの奥の目が怒っていた。
「知らん。……ココロ、まだ来てないのか?」
ケンタは教室を見回した。なんだかいつもと違っていた。朝礼前だというのに担任教師と、生活指導の萩原がいて、ココロと仲のいい女子生徒達と何やら会話をしていた。
やがて二人の教師はケンタのところへ来ると、聞いて来た。
「吉岡。昨夜、林原と一緒だったそうだな」
「え? あ、はい」
「林原が昨夜家に帰ってから行方不明になったらしいんだ。何か知らないか?」