スライム百珍 〜ダンジョンに棄てられた前世知識持ちの幼女はスライムを食べる百の方法を編み出す
魔女の呪いで眠っていたお姫さまが、見知らぬ王子のキスで目を覚ましたときって、こんなかんじかな?
口元にやわらかく湿ったなにかが押し付けられて目を覚ましたルールーは、ぼんやりとそんなことを考えた。つまり率直に言うと不快だった。
もにゅもにゅと顔のうえでうごめく奇妙な質感。とっさに両手でそれをつかみ、がばりと起き上がる。ぷるぷるとした、水のかたまりのようなスライムだった。その体越しに向こう側が透けて見える。
こんなに透明なスライムはずいぶん珍しい、とルールーのなかの「知識」がいう。
だがルールー自身にとって大事なのは、それよりもその先の光景だ。土と岩しかない。周囲を見回すと、薄暗く果ての見えない洞窟のような空間に、彼女はいた。ひとりぼっちで。
…………棄てられた。
「知識」と彼女自身の記憶が早々に答えを出す。警戒はしていたつもりだけど、あのどろどろに煮詰まった濃いシチューもどきの中に、何か薬でも混ぜられたのかもしれない。眠っている間に移動されて、この場所に棄てられたようだ。両親に。
ルールーはぐっと下唇を噛んで、感情を抑え込む。
子棄ては貧しい家庭の常套手段だ。養い口を減らさなければ、やっていけないことも多い。それ以上に、両親が彼女を恐れているのは知っていた。
ルールーが生まれつきもっていた容姿が、最初の原因だった。真っ白い髪、紅い瞳、そして陽光にすぐただれる肌。どれも自然に生まれつくもので、他者には有害なものではないと「知識」はいうが、同時に、その「知識」が多くの人間が自分とは異なるものを怖がり排斥しがちなことも教えていた。なにより、そのひ弱な体のために、ほとんど家にこもっているしかない。貧しい家にとってはかなりの重荷だ。
だから「知識」でもって役に立とうと頑張ったのだが、生まれたときから言葉を理解し、やがて大人顔負けにしゃべりだした異彩の幼児を、両親はますます怖がった。しかも彼らが教えていないことまで、当たり前のように知っていて披露する。それが、この世界のことだけではなく、どことも知れない、ただ確実にこの世界よりも発展した「異世界」の知識にまで及んでは、もう手に負えなかった。
複数の「前世知識」持ちというギフトが、彼女を最初の社会である「家」から究極にはじき出した。
ルールーは自分のいる空間をもう一度見回す。天井さえよく見えない暗がり。地面は床と呼んでいいほど整地されている。壁際にはわずかに一角を照らすだけの不思議な火。ただの洞窟ではない。
ダンジョンだ。
村の近くにはない。
わざわざ山を越えたのか。それほどに遠くに彼女を追いやりたかったのか。ぎゅうぎゅうと胸のつまる思いを、ルールーは手の中のスライムに押しつける。「知識」はあっても、彼女の肉体も精神も生まれてまだ六年もたっていない。血色の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれる。
やるせない悲しみと嘆きを、スライムはだまって『吸収』した。
+++
「おなか、すいたな……」
散々に泣けば、気持ちも落ち着く。なにより幼い体は正直だ。晩ごはんにシチューもどきを食べたのが、実際何日前かわからないけれど、いくら飢えになれた貧しい村の子どもでも限界がある。
何か食べる物が必要だった。それに喉も渇いている。
まわりには、石くれのほかはなにもない。どこからここに落ちたのかもわからないのは、ダンジョンの入り口が一方通行のせいだ。出口はかなり時間をかけて探す必要がある。ひとまずモンスターの気配はないけれど、だからといって生命の危機は変らない。
装備……着ている服はいつものみすぼらしい薄いシャツと裾のやぶれたズボン。ぜんぶ親や隣家の子どもからのおさがりだ。足元もいつもどおり、裸足だ。ポケットに固い殻の木の実とちょっときれいな石が入っていたけど、どれも食べられそうもない。
立ち上がってすこし歩いてみても土床ばかりで、生き物の気配どころか、何かがある気配もない。
あるとすれば…………
ルールーはあらためて手の中のスライムを見た。最初はけなげに彼女の涙を吸っていたスライムだが、途中からもうええやんと言わんばかりに涙をはじくようになり、その表面は濡れていた。もうぷるぷるもしていない。その中に、たっぷりとたまった液体のもの。
「…………」
ルールーはもにゅもにゅとした表面に今度は自分から口をよせてみた。まずはちろっと舌をだして、上っ面をなめてみる。しょっぱい。
スライムは無害無毒。
ひとが生きていくには、なにより水が必要。
「知識」の背中をおされて、ルールーはえいやっとそれを噛んでみた。木の根や古いなめし皮だって食材になりうる村で生きてきたのだ。幼女とはいえ顎のちからは強い。上下の前歯で、ごりごりとすり合わせるようにして、皮をちぎる。
にゅるっと何かが口のなかに入ってきた。やわらかいかたまりの、水、だ。
ルールーの経験からたとえるなら、冷えたシチューの煮凝りのよう。「知識」は、飲むゼリーみたいだという。栄養を補給するためのゼリーで、どこかの世界ではそれを常食としている人たちもいたらしい。
そんな知識などなくても、なめらかに喉をすべりおちて、渇きと飢えをいやしていくそれはいまの彼女に必要なものだった。本能のままにルールーは、透明なまるいモンスターにかぶりついたまま、必死にぢゅーぢゅーと吸い出す。まるで母乳に吸いつく赤ん坊のようだったけれど、彼女が気付くことはない。
ぷはっとようやく口を離したのは、満たされたのと、呼吸が続かなくなったから。けぷ、と赤子のように軽いげっぷを出して、ルールーは自分のお腹を撫でる。ふくらんだそれは、スライムがそのまま移ったみたいだ。
すっかりしぼんだスライムの皮を手に、幼い捕食者はにこにこと笑う。なんだかとっても元気が出た。
+++
ダンジョンはスライムの巣といってもいい。彼らはダンジョンのどこにでもいる。ダンジョン中で落ちているごみを吸収し、回収して、ダンジョンの秩序を保つ。故に、掃除屋と呼ばれている。
だから服や食べ残したスライムをえさに、釣ることができる。
よいしょっと。
床に放置したごみめがけてやってきたスライムを無事ゲットして、ルールーは今日も一日の糧を得た。水を運ぶより簡単だ。
「さあ、きょうも一日がんばるぞ!」
そう自分で自分をはげまして、ルールーは歩き始める。探検の目的は出口を探すこと。ダンジョンの入り口から飛ばされるのは、地下一階とは限らない。そして最初の階に出口があるとも限らない。とりあえずこの階を全部見て回って、それから上か下か外に出る階段を見つけるしかないのだ。
あいかわらず服はぼろぼろで、足元ははだしだが、右の手には今日のごはんを小脇にかかえ、左の手には壁からもぎとった松明を握っている。壁の灯りを「知識」はエフェクトだといったが、ルールーの目にはただの火だ。えいやっと体重をかけてもげば、決して消えない松明が手に入った。
火を手にしたから人類は強くなった。
だからルールーも大丈夫。
幼女は勇ましく歩き出す。
+++
最初の「階段」を見つけたのは、ダンジョンで目覚めて三日目のことだった。
普通なら先人が行く先表示を記してくれるものだが、この階段にはなかった。「行って戻って」ができるものもできないものもあるのが、ダンジョンの階段の厄介なところだ。
そしてダンジョンでは下るほどにモンスターが強くなる。
しかしこの土ばかりのフロアではスライム以外には小さな野ネズミくらいしかおらず、ルールーはあまり危険を感じなかった。それにどうせ進むしかないのだ、とえいやっと足を踏み出す。その瞬間、ちらりと別の不安がよぎった。
外に出たときに、お昼だったらどうしようかな。
陽を嫌う肌は、その瞬間だけでも赤くただれて熱を出すだろう。あの苦しさをおもって、ルールーはぎゅっと目をつぶる。痛いのも苦しいのも、いや。
そのせいだろうか、目を開けてもそこはまだダンジョンの中だった。
そのことに残念なような、ほっとするような気持ちで、灯りを動かす。今度は少し水っ気が多いフロアで、壁に苔が生えている。灯を反射して、ほんのりとやさしい光を放つその緑色をつまんでみた。苔じゃなくって藻、だろうか。みずみずしくて、ちょっと青臭いけど、食べられなくはない。熱さましに飲まされていた草の汁よりは、ましだ。
もしゃもしゃと藻をはみ、手持ちのスライムで流し込む。このスライムはちょっと酸っぱくて、それが青みをいい感じにごまかしてくれた。「知識」が陽にあたれないルールーには緑のものや酸っぱいものが必要だというので、もぐもぐ食べ続ける。
そうして立ったままの即席ごはんをとりながら、ルールーは悟らずにはいられなかった。
このダンジョンの中のほうがわたしには過ごしやすいんだ。
+++
ルールーはスライムを育ててみることにした。
たまたま野ネズミの死骸を吸収して大きくなるスライムをみつけて、スライムも成長するのだと気づいたのだ。なにより目の前でネズミを吸収したばかりのスライムをそのまま啜るのはなんとなくはばかられて、しばらく藻を食べさせることにした。
スライムは雑食だが、生きているものは食べない。
なのでルールーがいったん摘まんできた藻を、ふりかけるようにして与えた。すうと表面にしみこんで、その透明な体のなかで分解してしまう。それも動物が胃液で溶かすようにぐちゃぐちゃのどろどろにして飲み込むのではなく、見えないほど小さな粒に分解して溶かし込んでしまうのだ。
見ていてちょっと楽しい。
そしてスライムは食べたものの魔力によって多少色が変わる。野ネズミを吸収しても透明なままだったが、藻には魔力があったらしい。うっすらと濁った程度だが、色が付いていた。
魔力がある植物は薬になる。魔力を回復させるほか、毒やしびれなどの状態異常を直したりもする。
ルールーは藻を多めに食べようとおもった。
スライムの飼育、スライムによる魔力判定にくわえて、さらにルールーが発見したものがある。
火による調理だ。
このフロアには、こわされた宝箱があった。スライムが片づけないということは、もともとはこのダンジョンの設備だろう。再度設置されていないのは、管理廃棄された証だ。いまだにスライム以外のモンスターがいないのも、それを裏付ける。
ルールーにとって重要なのは、その宝箱がいくつかサビた金具がついている以外は木製だということ。
木材があれば、火がおこせる。
あったかいごはんが食べられる。
幼女はにんまり笑うと、まず木材を細かく砕き、さらに枯れた藻を集めた。あとは灯りから火種を移せば簡単だ。
赤々とした火が踊り出すと、ますます笑みが深くなる。スライムがどこかに行ってしまわないように抱え込んだまま、金具のついた木材をとり、金具に火があたるように調整する。
スライムの表面は熱に強い。ただあぶっただけでは中には熱が伝わらないので、むしろつるっと逃げられてしまう危険がある。だからルールーは熱くなった金具をその内側にえいやっと差し込んだ。とたん、じゅうっ!!と沸騰する。
野ネズミと藻を吸収したスライムのスープは、すすと金属の香りがしたが、ひさしぶりにあったかいものを飲めたので、幼女はじゅうぶん満足だった。
+++
十番目の階段を見つけるころには、ルールーはすっかりこのダンジョンライフを楽しんでいた。階段の法則も見えてきて、限られた範囲ならフロアの出入りもできそうだ。そしてひときわ広いフロアで、スライムの出てくる泉をみつけたとき、外への出口を探すのは後にして、ここに拠点をつくろうと決めた。
「知識」が引きこもりだのトラウマからくる逃避だのとささやいているが、それよりも幼女の心をとらえたのは、目の前のスライムの無限の可能性だ。
スライムは皮も中身も食べられるし、それだけでも体が元気になる。味にあきたら、他のものをスライムに与えてから食べれば、すこし風味が変わる。
新しいフロアにはすっかり食べなれた藻のほかに草木もはえていて、すみっこのじめじめにはキノコ、そして虫やネズミもちょこちょこいる。そしてそのままでは食べられないものもいったんスライムが分解すれば問題なくなるのが良い
スライムの特性もわかった。
スライムは死骸等を『吸収』する。そのときにその死骸からいろんな要素を取りこむので、その体には栄養がたくさんつまっていることになる。
ただ『吸収』には限界があって、いっぱいまで吸収し終わったスライムはそのうちにダンジョンのどこかへ消えてしまう。
逃さないためには檻などで囲んでも無駄で手で捕まえておかないといけない。
スライム同士はくっついていると、いつのまにか合体してしまう。そうすると通常より大きくなる。
スライムには色つきがいる。『吸収』したものが特に強烈なものだった場合に色がつくようで、白やピンク、黄色、緑、黒などいろんな色になる。そういう色つきはそれぞれに味の特徴があった美味しい。
あとスライムの中身を吸いきったあとの皮は放っておくとぱりぱりになるのだが、乾く前ならこれが合体の要領でくっつくこともわかった。
石を砕いて作ったナイフでいくつもスライムを切り開いて、皮をつなげておいておく。ぷるんぷるんの水の毛布みたいだったそれは、乾くと一枚のすりガラスみたい。脆いけれど、これをもっとうまく加工できたら、テントが作れそうだな、とルールーは夢想する。
創意工夫の中でスライムの皮を二枚にはぐことができるようになると、夢想はすこし現実に近づいた。内側の皮だけを取り出して、草の繊維と合わせてやわらかくなるよう融合させて、革と紙のあいのこのようなものを作る。スライム布と名づけたそれは、幾度もの試行錯誤を経て、最終的にテントと新しい服になった。
ルールーには生まれつきの「知識」がある。それを誰かに伝えるのは義務のようにふるまっていたけれど、ほんとうはただ楽しかったのだ。どんな大人よりも多くのことに答えられることが。
けれどこうして体を動かして、新たな発見をするほうがずっと楽しいと知る。誰かに披露しなくとも、発見と知識は融合して、血肉となって手足の先までまわっていく。
ルールーは成長する。それは気持ちだけの話ではなかった。
『吸収』を終えたスライムたちを追いかけていくうちに「ゴミ捨て場」を発見する。スライムが『吸収』しない、侵入者の置いていったもの、武具や防具、ダンジョン探検用のものが山と積まれている場所だ。おそらくそこには侵入者たちだったものそのものもあったと思われるが、ほとんどスライムが吸収しきったのだろう。残っているのは金属製のものばかり。
小さなナイフに、歓声をあげる。この角つきの立派な兜はひっくり返したらきっと鍋になるだろう。胴当ても鉄板に。レイピアは焼き串にしよう。
生きることは食べること。
本能と知識と自身の好奇心の欲するままに、モンスターであるスライムを倒し続け、その吸収したものまですべて食べ続けたルールーは、おかげでその身のうちにどんどん経験値がたまり、尋常でないレベルあげが進んでいることには気が付かなかった。
+++
古いダンジョンへの入り口を見つけた馬鹿どもが、死体の廃棄場に利用しているという。
無視できない噂に、久しぶりに舞い戻ったかつてのダンジョンマスターは、廃棄されたダンジョン内に住まう存在に気づいて驚愕した。
おいおいなんだありゃあ。
モンスターなど存在しないダンジョン内で、レベルを上げている人間がいる。
それも子どもだ。
この場所に迷い込んだのか、棄てられたのか。
みすぼらしい服装のまま、松明とナイフという貧相な装備でスライムを狩っている。
なるほど唯一のこっていた掃除屋を食らって生き延びたらしい。
「強制排出」ボタンにかかった手を止めたのは、スライムを飲み干す子どものどこか満足げな笑みだった。
たくましく、いささか楽しげにサバイバルする姿にマスターもつられて笑った。
ダンジョンとはかくあるべし。
かつてマニュアル片手に攻略をこなす冒険者どもに嫌気がさしてダンジョンを鎖した。そんなマスターのやる気を取り戻すには十分な姿だった。
+++
ルールーは視界を横切った白い物体に、二度見した。一本の角のはえたウサギがいた。はじめてのスライム以外のモンスターだ。真っ白い毛並みに赤い瞳は、なんだか自分に似ている。
そこに宿る敵意に気付いても、まったく怖くない。それどころか、奮い立つのを感じた。灯を置いて、ナイフを構える。「知識」よりもずっと有効な本能が、獲物を前に活躍していた。
一角うさぎの角を溶かし込んだスライムスープにうさぎ肉を合わせるのが、ルールーの定番の晩ごはんになるころ。
外では「かつて鎖されたダンジョンが復活した」……そんな話が冒険者たちの間で噂されるようになっていた。
+++
「おいクズ、ちんたら歩いてんじゃねーぞ」
「は、はい!すみません!!」
叫びながら駆け足になって、なんとかメンバーに追いつく。肩に食い込む荷物の重さに顔をゆがめ、荒い呼吸でなんとか足を動かしながら、ミリオはしみじみ後悔していた。
ダンジョンなんて潜るんじゃなかった。
けどいまさら逃げ出すこともできない。
ミリオは駆け出し冒険者だ。ふだんはちまちまと採集依頼や害獣駆除でランクを稼いでいる、ほんとの底辺冒険者。一方、ほかのメンバーはみな最低『銅』以上のランク持ちで、リーダーは若いながらに『銀』を持つ剣士だ。このあたりの冒険者グループでは今一番ノっている。
そんな彼らだから、近くの山に「復活」した不思議なダンジョンの話を聞いて、いちばんに攻略しようと名乗りをあげるのも当然だ。そこへ、ミリオはみずから荷物運び兼道案内として志願した。ミリオは冒険者には珍しく読み書きができる。昔からダンジョンにはあこがれていたので、この鎖されたダンジョンの攻略書も読み調べていた。そこを売り込んだ。
けれど実際にもぐってみたダンジョンはまったく別物だった。はじめはみな、年下で経験の足りないミリオをそれなりに可愛がって助けてくれたのだが、道案内役として役立たずだと分った途端、あからさまに邪魔者扱いだ。荷物持ち兼雑用係兼地図作成係として朝から晩まで身の回りの世話をしてできるだけたくさんの荷物を運んで、それでも罵倒が飛んでくる。
それでも食らいつくしかないのは、出口が見つからないからだ。まさかダンジョンで正真正銘の「探査」をすることになるなんて、思ってもみなかった。
未踏破のダンジョン内部は冒険者たちが自ら試行錯誤して「踏破」しなければならない。それは常識であるが、ここ何十年も新しいダンジョンなんて発見されてこなかったのだ。彼らの前提から抜け落ちていたのも、やむを得ない事だった。
出口のある場所すらわからない状況に、最初はチーム全員が殺気だち、ミリオは身の危険さえ覚えたが、リーダーがおさめた。つまり、
「よく考えろよ、つまりここはまったく手つかずのダンジョンってわけだ。1フロア踏破するだけでもかなりの報奨金が出るぞ。しかも未踏破ならダンジョン中の宝箱が俺たちのモノってわけだ」
たしかにその通りだ。ぶらさがったニンジンにメンバー全員の眼の色が別の意味で変わるのはそれはそれで怖かったが、どうにかミリオはつるし上げを逃れた。無事ここを出て報奨金が出たとしても、おまけのミリオに分けてもらえるかどうかはわからないけれど、その経験だけでも貴重だとわかっている。
そう、どうにか覚悟を決めたはずだったが、睡眠不足と過労が彼の意気を奪っていった。課せられる雑用は多岐にわたり、かといって与えられる食事の分配はかぎりなく小さい。足元がふらふらとして、単純についていくのも難しくなった。
「ち、しかたねーな」
休憩後立ち上がることができなくなったミリオに、リーダーが舌打ちする。すみません、となんとか地面をもがきつつ荷物をささえに起き上がろうとする。その顔を蹴っ飛ばされて、メンバーが荷物をさらっていった。
「あ、すみません……?」
反射的に謝ったあと、自分の鼻からどばどばと血が出ていることに気付く。視界がゆれて立ち上がるどころか見ることもできない。荷物は遠く、メンバーたちも遠巻きだ。
「もうほんとうに使えないわね」
「まあここからはすこしは役に立つんじゃねーか」
「そろそろ大物に遭遇したいところだもんね」
笑い声まじりにそんな会話をしたあと、彼らは去っていった。待って、と呼びかける声も出せずに、呆然とミリオは己の鼻血でできた血だまりを前に座り込む。鉄の匂い。
彼らに餌にされたのだと、気づいたときにはもう、目の前にそれがいた。不穏な唸り声とともに唾液をしたたらせる狂狼の集団。
「ひいっ」
悲鳴をあげる。いまのミリオには自分の武器すらない。地図を書くのに邪魔だからとしまい込んでいた。四方を見渡すが、メンバーは魔法で気配を消しているらしく影も形もない。
そうこうするうちに狼たちは、おびえている獲物を前に警戒をやめた。ミリオの発する恐怖の匂いを愉快がるように、ぐるぐると周りをめぐる。油断している。なら攻撃の絶好のチャンスじゃないか?どうして誰も攻撃しない?助けてくれない?
彼らが獲物に食らいつきその食事に夢中になっている隙を狙うつもりかもしれないと気づいて、ミリオはとうとう叫んだ。
「助けて!!」
ざしゅっと毛皮を裂く音が応えた。ミリオの鼻先にいた狼がぎゃんっと悲鳴をあげて、倒れる。直後にまたざしゅっ!ざしゅっ!ざしゅっ!とナイフが狼たちの脳天を貫いた。
へ、とミリオが間抜けな声をもらすほど、それは一瞬の出来事だ。
「…………ねえ」
「ひゃい!!?」
振り向くと、そこにいた。
真っ白い小人……?
そんな風に思ってしまうほど、その人物は冒険者にしてはずいぶんと小柄だった。変な素材のフード付きポンチョを着ている。真っ白い毛皮の表面が透明な膜で覆われているような、不思議な素材だ。彼に「知識」があれば質感がサイバーSFちっくで世界観がおかしいと思っただろう。
その人は目を白黒させているミリオにかまわず、狼たちに深々とささったナイフを、さくさくさくっと簡単に引き抜いて回収する。その挙動は手馴れていて、モンスターランク上「B」にあたる「狂狼の集団」を一瞬で討伐した気負いはまるでない。
絶命したモンスターたちの姿に、ミリオは一瞬前までさらされていた命の危機を思い出す。自分が助けてと叫んだことも。それに応えてくれたのだ。
「あ、あの! ありがとうございました」
思い切って声をかければ、そのひとはぴくんと肩を揺らした。そろそろとミリオを振り返って、そのフードのかげから、小さな声で尋ねる。
「けが、してるの?」
「え、」
鼻をおさえる。もうだいぶ乾いているが、そのぶんみっともないことになっているだろう。羞恥に顔を染めながら、ぶんぶんと首をふる。良かったとつぶやく、その声質に、ミリオはあらためて気づく。
「あの、君は……?」
「おい、お前はなんだ?」
同時に男の声がかぶさった。チームリーダーだ。不機嫌な声のなかに警戒が隠しきれていない。
「ひとの獲物をとりやがって。どこのチームのもんだ」
まるっきりちんぴらの風情だが、外見だけは涼し気な二枚目だ。町中の若い娘が夢中になっている。しかしフードのそのひとは一瞥して、つぶやく。
「おじさんたち、嫌なひとだね」
おじさん。リーダーがぴしりとかたまった。ミリオはやっぱりそうか、と改めてその人を見る。いや、その子を。
フードの人物は、ミリオよりもよっぽど幼い、少女だった。
「子ども……?」
チームメンバーたちも驚き、ついでに珍妙なものを面白がるように群がって来る。
するとその子はおびえるように、ミリオのうしろにまわってしまった。メンバーにうながされて、しかたなくミリオがこまかく素性を尋ねる。
「君、名前は?」
「ルールー。あなたは?」
「ぼくはミリオ。ねえ、ルールー、君のチームは?他のひとはどこにいるの?」
「他にひとはいないよ」
「じゃあ君はどこから来たの?ここにずっといたの?」
「うん、わたしはここを出られないから」
「え、それはどういう……」
そのときリーダーが興奮したような声と表情で割って入った。
「お前、もしかして、このダンジョンの主か!」
「ぬし?」
きょとんとする少女を無視して、リーダ—が合図する。すぐさま黒魔法を得意とするメンバーが捕縛をかけた。魔法の縄が少女の上体をぐるぐると縛り、その自由をうばう。縄の先はメンバーの手の中。
本来は罪人を拘束して安全に移送するための魔法だ。
「な、」
言葉を失うミリオに対して、彼らはただにやにやと自分たちの「幸運」を喜んでいた。
「おもしれえ、ダンジョンマスターがこんな子どものなりとはな」
「これって捕まえたら報奨金出るのよね」
「そりゃあ出るだろうよ。ダンジョンの完全解明のためにはこいつを捕まえるのがいちばんなんだから」
そのやりとりに、ミリオは自分自身が餌にされた以上の憤りに吠えた。
「なんてことするんですか!すぐにこれを外してください!!」
「はあ?うるせーぞ、お荷物」
「そういやこいつもういっかいエサにしてみる?」
「もういいだろ、十分なお宝は手に入れたんだし」
縄の先につかみかかろうとしたミリオはあっさりと蹴り飛ばされて、床をはずんでいく。
それをみていた少女が顔をあげた。紅い目がおとなたちを睨む。
「お!おっかねー目だな、やっぱりモンスターの類か」
「わたしはいまはお外には出ないよ」
「はは、お前さんの意見なんか聞いてねーよ。お前さんは俺たちの獲物なんだから」
「黙ってついてくれば、そうね、そいつよりは楽に過ごせると思うわよ?」
少女はむうと口元をとがらせ、そして、
「ていっ」
という軽い掛け声とともに縄を弾き飛ばした。反動で黒魔法使いがたたらを踏む。あっけにとられるメンバーたち、とっさにリーダーだけが剣に手をかけたが、それより先に
「この世界の魔法ってこんな感じでいいんだ」
という謎の言葉とともに少女は手をかざし、その全員に捕縛をかけていた。
+++
ひんやりと気持ちいい何かに、むちゅ、と顔をさわられてミリオが目を覚ますと、目の前に冷たいスライムをかかえた少女がいた。
からだを起こすと、そこはまだダンジョンフロアだ。ただしあたりには倒された狼たちの死体もチームメンバーの姿もない。
「みんなは……?」
「かえったよ」
端的な説明。つまりまた置き去りにされたのだろうか? ずきずきと痛む頭をおさえながら周囲を見渡すと、複数のスライムたちがどこかへ消えていくところだった。これからどうしよう。
ぼんやりと考えるミリオに、不思議な少女ルールーが尋ねる。
「ねえ、おなかすいてない? ごはん、食べる?」
「あ、ああ、うん」
「じゃあ、ごちそう作ってあげる。今日は黒スライムとモルグ豚と金色きのこでシチューなの。おいしいよ」
何を言っているのかわからない。けれど、ついつい好奇心で肯いてしまう。
そんなミリオが、のちに『スライム百珍』という珍妙なレシピ本の共同執筆者として名を連ねることになるとは、その時点ではまだだれの「知識」にもなかった。
+++
ダンジョンに一度でも潜ったことがあるなら、ぷるぷると揺れながらすすむ透明なそいつを見たことがあるだろう。そう、スライムだ。村人ですら退治可能な最弱モンスター。ダンジョン内の掃除屋として知られていて、どれほど血気盛んな冒険者でも放置する無害な存在。
あまりに無害であまりに普遍的すぎるために、ひとはその存在を不当に評価してきた。というより、ほとんど無視してきた。
けれど私はそこに一矢を報いたい。そして声高らかに訴えたい。
スライムはうまい。
スライムは万能である。
スライムこそ人類に与えられた救済、神の恩寵、マナである、と。
<中略>
スライムには、あまり知られていないようだが、外皮と内皮がある。どちらも当然透明なので、慣れないととうまく分離できずにまとめて破ってしまうかもしれないが、丁寧に行えばすぐにできるようになるはずだ。特に十分に『吸収』を終えたスライムなら、熟れた果実の皮をむくようにつるりとはがせる。
外皮は伸縮自在だが、水分を失うとパリパリになって、魚の鱗やはがした雲母のようにもろくなる。外皮の内側にはぬたぬたとした粘性の高い部位が付着しているので、それをなめしながらうまく乾かすと比較的大きい薄玻璃ができる。これはこれで使い道が多い。
だが、まずはそのままいただこう。
外皮を外にしてそのぬたぬたと一緒に丸めると、適度なサイズにちぎることができる。外皮同士が収縮したことで「分裂」が起きるのだ。「もち」をまるめる要領だ、といって伝わるだろうか?
それはそのまま食べることももちろんできる。触感が楽しく腹持ちもする「スライムもち」だ。
味はないが、だからこそどんな味付けにも合う。その特徴を生かした調理法*もたくさんあるので、ぜひチャレンジしてほしい。*巻末P109〜参照
内皮にはスライムの本質である『吸収』を行う体液が入っている。
ここで注意してほしいのだが、吸収を十分に行っていないスライムの場合、その液体はとても酸っぱい。少量を生かすことはできるが、そのまま飲むのはおススメできないし、肌にふれるとかぶれることもあるので扱いには気を付けてほしい。
しかしこの「スライム酢」こそ、私が推奨するスライム料理の肝なのだ。
『吸収』をしていないスライムを見つけるいちばん簡単な方法はスライムの泉に行くことだ。
スライムたちが発生するその泉では、まるでビュッフェのように若いスライムが取り放題だ。ただし取るときは、トングなどで上品ぶらず、素手で捕まえること。へたな手袋や道具は吸収されてしまう可能性がある。そうなっては大損だし、だれもそれを食べたいとは思わないだろう。
ほどよいスライムを捕まえたら、用意した食材を『吸収』させる。なんでもいい、肉、魚、野菜、果物、香草。好みのブレンドを探してほしい。下ごしらえも必要ない、せいぜいトドメをさしておくことくらいだ。心配ない、スライムはなんでも『吸収』する。
ただひとつ忘れないでほしいのは、そこに必ず薬効のある魔草を混ぜることだ。それがなくてはスライム料理の一番のメリットが味わえない。
調味料? もちろん入れてもいいが、舌をごまかす必要はない。スライム料理にはその喉をすべりおちる感覚と腹落ちしたときの満足感があり、それは舌先のごまかし等に左右されるものではない。
滋養と経験値と無限の喜び。それこそがスライム料理がもたらしてくれる最高の幸福である。
〜『スライム百珍』より抜粋