柊一真・一日目・01「黒歴史ノート」
俺が中二病を卒業して、普通の痛くない高校生になってから一年が経った。
一人暮らしなので、掃除や食事の支度を自分でやらなければいけない。少し大変だが、なんとかやれている。その分、親や家族の束縛を受けなくて済むので気楽だ。
今のご時世、インターネットさえ使えば、料理なんてものは楽に出来る。学校の授業で習うことはマニュアルへの従い方。レシピというマニュアルに従って料理を作ることなどマニュアル人間の俺には造作もない。でも最近は少しサボっている。
昔の俺はマニュアル人間を見下していた。だが今やマニュアル人間最高! とまで思い始めている。先人達の敷いてくれたレールの上をのほほんと進むのも悪くない。
そんな風に、俺は至って普通の高校生ライフを送っている。
朝、俺は適当にクラスの連中にあいさつをしながら、自分の席に向かう。
中学の時は、無視されていたから、あいさつなんてしたことがなかった。
でも今は違う。俺は紛れもなく普通の高校生だ。
ああ、今日も清々しい良い天気だな~。と普通の幸せを噛みしめ自分の席に座る。
一息ついていると、隣から人の気配を感じた。
ゆっくり振り返ると、俺のすぐ側に女子が立っていた。
俺は「うわぁっ」と間の抜けた声を上げる。予想外に近くて驚いた。
まるで俺に話しをするために近づいたと思わせるほどの距離だ。
俺は普通の高校生なのだが、女子の友達は一人もいないという現状である。
中学の時の失恋のショックから、なんとなく女子とは距離を置いている。だから、いきなり女子が近くに接近してきて驚いてしまった。
「金曜日はごめんね。柊くん」
謝りながらも、俺を満面の笑みで見下ろすその人は天音綾花<あまねあやか>だった。腰まである長い黒髪から、ほのかに甘い香りが漂ってきてドキリとする。
「お、俺の方こそ、ごめん」
つい反射的に謝ってしまった。
すぐになんのことだろうと考え、あることに思い当たる。
先週の金曜日、廊下で天音とぶつかり、鞄の中身をぶちまけてしまったのだ。たぶん天音はそのことを謝っている。
しかし、ぶつかった時にも謝ってるし、わざわざ週が明けた後にさらに謝ることでもない。
だが一つだけ心当たりがあった。
天音とぶつかった時、天音の口と俺の口が当たってしまった。
あまりに衝撃的な出来事に、久しぶりに魂が抜け出すという感覚を味わう。
この感覚は中学時代にフラれた時以来だった。
数十秒間、二人ともフリーズする。
その後、何事もなかったかのように散らばった荷物をかき集めた。
そしてお互いに軽く謝って、その場を別れた。
やはり気にしているのだろうか?
ファーストキスだったのか? いや、キスというよりも歯と歯がぶつかっただけだからキスではない。それにあれは事故だからノーカウントだ。
俺はそう思っているが、天音は違うのかもしれない。
俺の方から、ちゃんと謝りに行くべきだった。
天音の方から謝らせてしまって、なんだか悪いことをした気分になる。
俺は少し下げていた頭を上げ、天音の顔を見上げた。
さきほどと変わらず笑顔を向けてくる。
笑顔で俺を責めているという、感じではない。
むしろ嬉しいことがあった時のような笑顔だ。その笑顔をなおも俺に向ける。
「……なにか用?」
俺は天音の意図が分からず困惑していた。
天音が俺の問いに反応し、身じろぐ。
その瞬間、背中に隠し持っていた黒いモノがチラリと見える。
「これ、柊くんのだよね?」
ジャジャーン! とそんな効果音が鳴ってもおかしくないぐらい大げさに、天音が隠し持っていた黒いノートを俺の目の前に差し出した。
俺の体に衝撃が走る。
一瞬だが呼吸も止まり、動きも瞬きさえも止まった。
天音の持つ黒いノートは紛れもなく俺のものだ。
俺が中学の時に書いた黒歴史ノート<マイブラックヒストリーノート>。
またの名は異世界終末旅行記<パンドラズ・レコード>。
実に中二病らしいとても痛い内容が書かれている。
ノートは結局、中学卒業をするまで書き続けてしまった。さすがに高校に入ってからは書いていない。
何度も捨てようと思ったが、結局捨てられず近くに置き続けていた。
「……柊くんのだよね?」
固まっている俺に天音がもう一度問いかける。
ちょっと小首を傾げて、ちょっと不安げな表情がとても可愛い。
俺は思考する。
俺が元中二病だということは、できるだけクラスメイト達には知られたくない。
もし知られたら、中学時代のような生活になってしまう可能性がある。
それだけはなんとしても回避しなければ。
ノートの表紙に俺の名前は書かれていない。だが中には書かれている。
天音が中を読んだかどうかは分からない。だがここで否定してノートの持ち主をあちこち探し回られたら被害が拡大する。
俺が取るべき選択は一つだけだ。
「……俺のだけど」と努めて平静を装い答える。
「はいっ、これ」
天音に黒歴史ノートを渡される。
俺は次に発せられる天音の言葉を心を落ちつかせて待った。
もし中身を読んでいたら、何かしら言うはず。
「きも」「頭大丈夫?」とかそんな感じの。
天音一人に変な奴だと思われるのは仕方ない。口止めして、被害が拡大しないようにお願いしよう。
「良かった。それじゃ」
それだけを言って、天音は俺の席から去っていった。
何かヒドイことを言われるだろうと構えていたが、何も言わずに行ってしまった。
もしかしたら天音は中を見てないのかもしれない。
そうじゃなかったら、あんな笑顔はできない。俺がもし逆の立場で、ノートの中身を見ていたら、間違いなく引きつった笑顔になっている。
俺の黒歴史が誰にも発覚することなく、被害はゼロで済んだみたいだ。
そのことに胸を撫で下ろしつつ、ノートを自分の鞄にしまった。




