柊一真・五日目・02「ハッピーライフ」
俺と桜木さんは屋上にやってきた。
しばらくの間、無言で押し黙っていた桜木さんに俺は声を掛ける。
「いったい何があったんですか?」
「…………」
桜木さんは無言だ。
すると、突然桜木さんが俺に抱きついてきた。
「え? ええ? あの、桜木さん?」
桜木さんは俺の胸に顔を埋めている。
「桜木さん、な、泣いてるの?」
顔は見えないがどうやら、泣いているようだ。
いったい桜木さんに何があったのか。
「桜木さん、俺に出来ることなら何でもしますよ。だから、何があったのか教えてください」
俺は優しく桜木さんの背中に腕を回して抱きしめた。
「……私の大切な人が……でしまったんです」
「……大切な人?」
桜木さんの大切な人とは誰だろう? もしかして恋人だろうか?
「かけがえのない大切な人です。……その人はとても遠い所に行ってしまいました」
外国にでも引っ越していってしまったのだろうか?
だとしたら会うのは難しい。
けど、会えないわけじゃない。会おうと思えば会える。
「大丈夫です。また会えますよ、きっと」
「……本当ですか?」涙顔の桜木さんが訊いてくる。
「なんなら俺と一緒に行きますか? どんな所でも桜木さんに付いて行きますよ」
一年生の時、桜木さんにはお世話になった。
その恩を俺はまだ返していない。
これは桜木さんに恩を返すチャンスだ。
「本当に、私について来てくれるんですか?」
「ええ、どこへでもついて行きますよ」
「……ありがとう」
小さく御礼を言うと桜木さんは笑った。
やはり彼女には泣き顔よりも笑顔が良く似合う。
俺は桜木さんの手伝いが出来るだけで満足だ。
しかし、俺が思っていた展開とは随分と違った。
てっきり〝機関〟に俺達のことがバレて、絶対絶命な状態に陥っていると思った。
どうやら俺の杞憂だったらしい。
「……柊君、あの、目を瞑って貰えますか?」
桜木さんが恥ずかしそうにお願いしてくる。
「え? ああ、わかりました」
俺は期待しつつ、目を瞑った。
何を期待しているかは、言わずもがな。
これから俺のハッピーライフが始まる!!
「目を開けないでくださいね」
俺は桜木さんの手に引かれて場所を移動した。
人目を避けるために場所を移動しているのだろう。
恥ずかしがっている桜木さんはとにかく可愛い。
場所を移動すると、再び桜木さんは俺に抱きついてきた。
「あ、あの?」
「まだです。まだ目を閉じていてください」
「わ、わかりました」
しばらく桜木さんに抱きつかれた後、桜木さんは小さく何かを呟いた。
その言葉はあまりに小さく、俺の耳に届いた時にはただの音に変わっていた。
──そして俺は強く後ろに押される。
「え? うわあっ!!」
桜木さんに抱きつかれたまま俺は後ろに押されバランスを崩す。
足を後ろに下げて倒れないようにするが、花壇の段差に足が引っかかってしまう。
俺と桜木さんは抱き合ったまま倒れる。
頭と肩に屋上のフェンスがぶつかり強い痛みを感じた。
「──痛ッ!?」
頑丈なフェンスのはずだが、俺がぶつかった衝撃で外れて落下していった。
俺は右手を伸ばして屋上の縁を掴み。なんとか落ちるのを防ぐ。
左手は桜木さんをしっかりと抱きしめている。
「──うぐぐ、やば、これ無理だわ」
二人分の体重を片手で支えることは、すぐに限界を迎えた。
「うわああああああああぁぁぁぁ!?」
右手の力がなくなり、俺達は落下する。
重力から開放されて、俺は悲鳴を上げた。
俺と桜木さんのハッピーライフが始まると思ったに。
どうしてこうなった?
桜木さんの力になれると思ったに。
俺では力不足なのか?
頭の中にぐるぐると疑問が湧き出てくる。
しかし、その答えは見つからない。
このまま落ちれば、只ではすまない。
下手をすれば死ぬ。
だけど、助かる可能性もある。
桜木さんだけは守りたい。
俺は桜木さんの頭を抱きかかえる。
せめて桜木さんだけでも助かって欲しい。
俺は最後にそう思った。




