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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第二章  胸に耳をあてて
9/59

☆ 映像


 





 


 振り返ると二階建ての部室棟があった。一階の窓には黒い学生服を着た僕の姿が映っていた。


「裕樹! そこで何してるの? あおいが自習室で待ってるよ!」


 明るい、よく通る声。声のした方を振り仰ぐと、すみれが他の部員たちと一緒に裏の岩山から手を振っていた。ぼくは「ありがとう!」と大声で礼を言い、自転車置き場を横切り、すっかり葉の落ちた銀杏並木を走り抜け、図書館玄関のレンガアーチをくぐってクリスマスリースに飾られた自習室の重い扉を開けた。


 教室六個分ほどもある広大な自習室は夕陽に満ちていた。八人掛けの長机。高い天井を支える幾多の角柱。光が屈折しているのだろうか。なぜかそれらは少し歪んで見えた。

 何かに引き寄せられるようにぼくは前へ進んだ。自習室の中は温かくも冷たくもないサラサラした液体に満たされていた。まるで水族館の一番大きな水槽。呼吸は普通にできる。青い魚や白いイルカは? ぐるっと見回したが動くものはなにもない。


 澄み切ったフルートの音色が聞こえてきた。隣の芸術棟で誰かが吹いているのだろう。祈りなのか呪いなのか。不穏なメロディ。脳が痺れて、夢と現実の境界が薄れていく。


 壁際で何かが動いた。白い妖精?


「裕樹くん!」


 それはあの人の声だった。妖精に見えたのはセーラー服の胸に膨らむ白いスカーフだった。僕は透明な液体に満たされた水槽の中を泳いでゆっくり彼女に近付いた


「すみれに教えてもらったんだ。でも、なぜこんなところに?」


「これを渡したかったの」


 彼女は大きな紙袋を持ち上げた。雪だるまの絵が描かれている。


 僕は袋を受け取った。


「なんだろう。開けてもいい?」


 小さくうなずいた彼女は、ぎゅっと目をつむった。袋の口を開いて手に取ると、ふんわりとした感触の青いマフラーだった。首にゆったり巻くと胸まで覆われた。僕はそれを両手で抱いた。


「とても綺麗だ。君が編んだの?」


「きっと似合うと思って」

 

「ありがとう。あたたかい。とてもあたたかくて、まるで……」

 

 彼女は僕を見上げた。僕も彼女の瞳を見つめた。


 再びフルートの透明な音色が聞こた。すべての色の消えたメランコリックな旋律。妖精に導かれて永遠の眠りへ誘われる予感。

 けれどこの曲を聴く者は決して眠りに落ちることはないだろう。そして完全に目覚めることもなく。重力の存在しない夢の世界を永遠にさまよい続けるのだから。


 僕たちはガリレオ温度計に閉じ込められたガラス玉のように、広大な自習室の空間をひっそりと上下していた。甘く切ない香りを胸に抱き寄せると、桜色の花びらがしっとりと触れた。




 ✧





 映像と音声はそこで途切れた。


 少し似ているような気がした。最初の冬の記憶に。あの冬、ふたりは初めての永遠を知った。君は、君は覚えているだろうか? レモン味の永遠を。この世界に本当の永遠があることを―――






 ふっ、と空気が動いた。



 ほのかなぬくもりを左の頬に感じる。ほんのりとバラの香り。


 まさか―― 


 体を左へ向けて、そっと、ゆっくりまぶたを開いた。

 

 濃紺の襟。三本の白線。胸に純白のスカーフ。


 彼女はこちらを見つめていた。澄みきった黒い瞳の奥に宿る青白い光。


 濃紺のスカートに覆われた膝に両手を重ねた彼女はにっこり笑って頭を下げた。少し長めのショートボブが揺れて、黒く艶やかな毛先が桜色の唇に触れた。彼女の甘く切ない香りがぼくを包んだ。


「お邪魔してもいいですか?」


 彼女は優しく微笑んだ。

    










・挿入曲:ドビュッシー作曲 シランクス

   〃 :フォーレ作曲 ファンタジー



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