☆ 夢の記憶
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君はささやく。私たちは夢を見ているの…… と
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黒くすすけた小さな街の小さな駅。灰色に変色した死にかけの蛍光灯にチカチカ照らされている寒々としたプラットホームに、ゆらめく海藻にも見える黒い煙をゆらゆら揺らしながら感傷的な水色の列車が音もなく入ってきた。
車体の横に貼られた古ぼけた行先標には『バラの花咲く渓谷の果ての水色の海の彼方行き』とあった。ドアが開きっぱなしのデッキに飛び乗り、狭い通路を抜けて客室のドアを開けた。照明のない車内は晴れた昼なのに薄暗い。
オイルの染み込んだ木の床には座席の代わりに木製の三段ベッドがぎっしり並び、繁殖期のミツバチの巣のようにすべて埋まっていた。しかし、よく見ると建て付けの悪いドアがガタガタ揺れる入口近くにただ一つ、空きがあった。
重たい皮靴を脱ぎ、ギシギシ軋むハシゴを登ってアヒルの羽毛のように軽くて暖かい布団にくるまった。白いシーツは清潔で、嬉しげな蛍光を放つ。
途中、らくだの背のような山の麓の悲しみの青に染まる森の駅で黒服の男が一人、よろめきながら乗り込んできた。古い森の乾いた匂い。足許がおぼつかないのは酒に酔っているせいではなさそうだ。
男はのろのろとハシゴを登ってきた。ぼくは何も言わず男のしたいようにさせておいた。男は仕方がないという表情でぼくの体と柵の間に猫が昼寝をするような格好で窮屈そうに丸まった。
巨大なプリズムで分光されたオレンジの夕日を浴びる水色の高原列車は何もかもが賑やかしく黄金色に染まった海底の街を進む。車掌の陽気な放送によると、次の停車駅がこの切符の行き先らしい。丸まっている男に「どうぞ、次の駅で降りますから」と、努めて優しく声をかけた。
男は「ありがてぇ」とつぶやいて、さっきまでぼくがくるまっていた白い布団にタコのように体をくねらせてもぐり込んだ。
開けっぱなしのデッキに出た。連結器に渡された鉄板に立ち、ビュンビュンすっとんでいく枕木を破れた幌の隙間から眺めていると、ブレーキがギーギー鳴った。ガッタンガッタンと左右に大きく揺れ、デッキから振り落とされそうになってやっと止まった。
黄金色の駅は風のように軽やかな潮流に沈丁花の香りが混じる海底の明るいプラットホーム。まるでオリンポスの女神のように美しく健康な女性たちがゆっくり歩いている。列車から降りてきたようにもこれから乗るようにも見えない。彼女たちはどこに行くのだろう。間近に見えるあの大きな山に登るのだろうか。山頂は流氷に閉ざされているようにも見えるのだが。
黒豹のように立派な毛並みの太った猫が一匹、プラットホームをうろついていた。優美な女神たちはよく磨かれた透明な袋に猫を入れると大きな水槽から汲み上げた清らかな水を注いだ。縁日の黒出目金のように幸せそうにひと泳ぎした猫は清らかな水に真っ黒に溶け出した。海底は瞬時に暗黒の闇に包まれた。そして……ふたすじの白い光が救いの手のように海底に差し伸べられた―――