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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第九章  わたしの瞳にはあなたのすべてが
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☆ 夢のあとに


 先程から吹奏楽部員たちがチラチラこちらを見ていた。

 サクソフォンが似合いそうな数名の男子の熱い視線は、明らかにアオイに注がれていた。


 三高のセーラー服を着てここに姿勢良く座っている女子が何年何組の誰なのか、なぜ今日まで自分の視界に入ることが一度もなかったのか、彼らはその失態を自問自答しているのだろう。


 しかしそれらの視線の中には不遜な光も混じっていた。自分が興味を抱いた女の子がどこの誰なのかを知るのは当然の権利であり、もちろん声を掛けて何らかの約束を取り付けるのが正しい作法だと信じている者の。


 アオイがそっとこちらに体を寄せた。彼らが用意するであろう質問はだいたい想像できる。アオイは返答に困るだろう。望まない事態は、できることなら避けたいものだ。


 ぼくはにっこり笑ってほんの少しの間、彼らの一人一人を凝視した。目が合うと、彼らは視線をあらぬ方へ向けた。しかしさすがと言うべきか、彼らはあっという間に何事もなかったような澄ました顔を作って金属のヘラを黙々と動かし始めた。


 しばらくすると三高生たちは店の奥へ向かって口々に「ごちそうさま」と声を掛けた。勘定が終わるとぼくたちふたりに「お待たせしました」と次々に深く頭を下げ、目の前を粛々と通り過ぎた。なんということだ。かつての三高生よりも断然礼儀正しいではないか―――



 鉄板の前に並んで座った。ふたりとも〝 スペシャルたこべえ〟を頼んだ。顔から汗が流れ落ちる。他の意味はない。単に熱いからだ。店主は熱湯をくぐらせたタコのように顔を真っ赤にしている。すっかり髪が無くなっていたのですぐには気付かなかったが、よく見るとかつて『おやじさん』と呼んでいた、まさにその人だった。

 

 こちらを大きな目でギョロリと睨んだ店主は驚いたようにアオイとぼくを見比べた。が、黙ったまま銀色の大きなボウルを手に取った。店主のおおらかで太い視線は以前と変わらない。


 円く焼きあげた二枚の生地に大量の千切りキャベツを載せた店主は麺をほぐして積み、砂ずりや青ネギやイカ天や薄切り肉やその他もろもろの具を乗せ、トロッとした白い生地を回し掛けた。間髪を入れず大きなヘラが翻り、お好み焼きの天地が一気に返った。


「今日は最初に聞いておこうかな」


「それは……もしかして『時間』のことですか?」


 ぼくがうなずくと、彼女はなぜか寂しそうな目をした。


「ユウキさんは何時だと思いますか?」


「たぶん夕方…… 六時頃かな」


「わからないんです」


「わからない?」


「ユウキさんの言うとおり六時頃かもしれません。でも、明日かもしれないんです。いえ、もっと先かも……  ご迷惑ではないですか?」


 心臓がドクンと鳴った。


「君が決められることじゃないのは知っている。ぼくはかまわないけれど、君は大丈夫?」


「だいじょうぶです。ただ……」


 それっきり彼女は黙ってしまった。奥の方で鉄板がガチャガチャ大きな音をたてた。


「何か事情があるみたいだね」


「 …… …です。こうして … ……」


 鉄板が騒がしくて聞き取れない。見ると、店主は卵を割ってヘラで広げたり載せたりひっくり返したりジュウジュウガチャガチャ大きな音といい匂いを振りまいている。


「ごめん、よく聞こえなかった。もう一度……」


 鉄板の音はさらに激しくなった。彼女はこちらに顔を近づけた。桜色の唇を奪いたい。本気でそう思った。ぼくはその衝動を、ぐっとこらえた。


「最後なんです。こうしてユウキさんに会えるのは」


 すべての音が消えた。彼女の静かな息づかいだけを、唇に感じた。


 彼女はそっと顔を離した。


「どうしてもユウキさんに会って聞いてみたいことがあって。『声』にお願いしたら、会わせてあげるけれどこれが最後だって。最後だからタイムリミットは教えられないって、そう言われて……」


 彼女は目を伏せた。

 

 顔が熱い。地獄のように熱い――


 ジュワッと大きな音と同時に濃厚なソースの香りが爆発的に広がった。二枚の〝 スペシャルたこべえ〟が鉄板をサーっと滑ってふたりの前にピタリと止まった。


 目が合うと、彼女はなんともいえない微笑みを浮かべた。左手に持った小さなヘラで小さめに切り取って持ち上げたアオイ。ぼくは大きめに切り取って懸命に息を吹きかけ、こみあげてくる何かを必死にこらえてかぶりついた。


 いつか最後の時が来ると覚悟はしていた。いや、そんな強がりはもういい。彼女の生徒手帳を拾い上げた時、既にすべては終わっていたのだ。だからこそぼくはこの街に来た。そうではなかったか?


 彼女の方が早く食べ終わった。この店に昔からある真紅のブドウジュースを彼女が飲んでいるうちにぼくも完食した。店主の姿はいつの間にか消えていた。そういえば、『おやじさん』は二十年前も焼きと勘定のほかは姿を見せなかった。


「ユウキさんと一緒に食べるお好み焼きが一番好きです。二十年前のわたしも、今のわたしも。きっと未来のわたしも」


 真顔でそう言った彼女は、小さな氷が残るガラスコップを左手でカランコロン回してトンとカウンターに置くと、楽しそうに笑った。


「ユウキさん。わたしの瞳に…… わたしの瞳の中に、何が見えますか?」


「君の瞳の中に?」


「はい」


 彼女は優しく微笑んだ。ぼくたちは互いの瞳をみつめた。


「光が見える。君の瞳の奥にはいつも青白い不思議な光が輝いているんだ。二十年前、君に初めて会った時からそうだった。今も、何も変わらない。この光は今も何も変わっていない」


「ユウキさん。この光はひとつの物語なんです」


「アオイは面白いことを言うね」


「覚えていますか? 君の瞳には君だけの物語が輝いているって」


「高校生の頃だったかな。君とそんな話をしたような気がする」


「でも最近、本当にそうなのかな?って思うんです」


「どういうことだろう?」


「わたしの瞳に輝いているのは、わたしの物語ではなくて……」


「……」


「ユウキさん、あなたの物語です。わたしの瞳にはあなたの瞳が、あなたのすべてが映っている。本当はそうですよね?」


 全身からすっと血の気が引いた。ひどく動揺しているぼくをそのままに、彼女はお好み焼きとソースの関係を尋ねるようなさりげなさで、こんな言葉をささやいた。


「ユウキさん、わたしの瞳の中にも輝いていますか? わたしの未来も」                           

 それはとても不思議な質問だった。ぼくは彼女の瞳をみつめ続けた。瞳の中に輝く光を、青白い光をじっとみつめた。が、わからない。わからないけれど、彼女は自分の未来を知りたがっているのだということだけはわかった。しかしそれは……


 ぼくは目を閉じた。


 ―――すべてを打ち明けるべきなのだろうか。彼女の未来を。

 

 何もかも打ち明けても何も話さなくても、ここにいるぼく自身の『今』はおそらく何も変わらないだろう。


 だが、すべてを打ち明けたなら彼女の『未来』は変わるかもしれない。少しでも良い方向へ。だが、そんなことをしたら……


 けれど、ぼくが本当に望んでいるのはそういうことかもしれない。目の前のアオイを、妻と同じ目に遭わせてはならないのではないか。いや、同じ目に遭わせてはならないのだ。本当に彼女を愛しているなら。そうだろう?


 ぼくは目を開けた。すべてを話すつもりで。

 

 意外なことに、そこに彼女の姿はなかった。あたりをぐるっと見まわしても、どこにも見あたらなかった。透明なコップだけが結露を天の川のように輝かせて、血を一滴垂らしたように鮮烈な赤をガラスの底に残したまま、同じ位置にあった。

  

 ああ……  さよならを言う間もなく、ありがとうを言う間もなく彼女は消えてしまった。少し考えようとしただけだったのだ。ほんの少しだけ、考えたかった。君の瞳にはぼくの見ているものもすべて映っているのだから。ぼくの瞳に映った君のすべても。たとえ結果が同じだったとしても。







 ✧




 いつのまにか店の照明はすべて消えていた。光と影は静謐な洞窟を思わせる孤独の中に苦しみのない小さな幸福を彼に与えた。まるで夢の中で見る夢のように。




 ✧









 









Après un rêve


         Romain Bussine


Dans un sommeil que charmait ton image

Je révais le bonheur,ardent mirage,

Tes yeux étaient plus doux,ta voix pure et sonore,

Tu rayonnais comme un ciel éclairé par l'aurore;


Tu m'appelais et je quittais la terre

Pour m'enfuir avec toi vers la lumière,

Les cieux pour nous entr'ouvraient leurs nues,

Splendeurs inconnues,lueurs divines entrevues.


Hélas! Hélas! triste réveil des songes,

Je t'appelle,ô nuit,rends-mois tes mensonges,

Reviens,reviens radieuse,

Reviens,ô nuit mystérieuse!






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