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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第八章  神に命じられても
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☆ ミュステーリオン





 隣人への愛がファンタジーであっては決してなりません。隣人への愛とは血の出るような現実です。現実そのものです。つくりごとやきれいごとなど、そこにはひとかけらもありません。誤解され、曲解され、逆恨みされることもあたりまえにあるのです。人間同士が何もせずに理解し合えることなどありえないのです。現実、現実、現実。ただそれだけです。声高に理想を唱えたら実現するような生やさしいものではないのです。


 極端なことを言えば、神の我らへの愛、我らの神への愛。これらのものはファンタジーでも構わない。どれだけ理想を追求しようと、どれだけユートピアを望もうと、無限の夢物語であってもかまわない。ですが、隣人愛は、決して、絶対に、ファンタジーであってはならないのです。


 少し回り道をしてしまいました。ひとことで言えば我々の信仰は、隣人への愛を自分自身が実際に行うことに尽きます。


 我らが愛する神ならばきっとこうなさるだろうと日々静かに思い、悩み、考えるのです。そして我々自身が我が身をもって実際に行う。相手の痛みを自らの痛みとして行動する。そこに誤りがあれば謙虚に反省する――― ただそれだけです。単純です。難しいことは何ひとつありません。

 

 最後にひとつ、裕樹に質問します。即答しなくてよろしい。けれど、いつか必ず答えを聞かせてください。


 我々人間は、神に命じられなければ隣人を愛することができないのでしょうか? この問いについて、私は答えを持ちません」


 


 ✧




 支援者たちに向かっては常々『私は導かない』と言っているにもかかわらず、父はこうしてぼくをどこかへ導こうとしている。父は神の御心を知っているとでも言うのか?

 それに、そもそも父のような考え方は異端ではないのか? 今がもしも中世なら父は捕らえられて審問され、火あぶりにされて歴史から抹消され、その存在を最初からなかったことにされるはずだ。


 父は根本的なところで何かを大きく踏み外している。祖父が生きていたなら何と言うだろう。当時、ぼくは父の言ったことに強く反発した。

 

 母によると、父は母と知り合う前から奉仕活動としか思えない事業に没頭していたという。徒労でしかないのではないかと周りの人たちに疑問視されながら、心労の多い、まったくと言っていいほど儲からない事業に。


 だが、母はそんな父の姿を見て一目惚れしたらしい。母は祖父に似て穏やかで優しく、青い瞳を輝かせて聖母のような微笑みを浮かべ、いつも父のそばにいて多忙な父を支えていた。

 今、父と母は東京湾を一望できる墓地で祖父の隣に眠っている。持てるもののほとんどを他人のために使ってしまう生前の父に、その頃のぼくは疑問しか持てなかった。母と兄は常に変わらず父の良き理解者であり協力者だったが。


 兄は東京の大学を卒業してからもずっと都内で暮らしている。兄に会うと、ぼくは自分がまるで重罪人であるかのように思えて胸が塞がる。けれど会いたくないという訳では決してない。なぜなら兄はぼくの欠点をこの世で最も知る者だが、ぼくの、おそらく数少ない美徳のようなものも知っているらしいからだ。

 兄はいつも力強く、厳しく、温かく、ほがらかで迷いがない。兄のような素晴らしい人間になりたい―― ぼくは今まで何度もそう思い、歯ぎしりするほど憧れ、幾度も涙した。


 聖人のようだった祖父。神のしもべそのものの母。立派な兄。なのにぼくはずいぶん身勝手な生き方を選んできた。自らの下劣な行為に背筋が凍ったことも一度や二度ではない。多くの人を傷付け、好意や愛情を踏みにじってきた。むしろ自分のような神に祝福されない人間などこの世に存在しない方がみんな幸せに生きることができるのだと常に思ってきた。


 結局、ぼくが質問に答えないうちに父は永眠した。いつまで経っても答えを出すことのできないふがいない息子に、父はさぞかし落胆したことだろう。父の気持ちを想像すると、その度にいたたまれなくなる。だが、いまさら何万回悔い改めようと神の赦しを得ることはないだろう。父は赦してくれるとしても。






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