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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第八章  神に命じられても
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☆ アルファ・オメガ


 裕樹にはわかると思いますが、我々は世界の始まりと終わりを創造なさる唯一の神と一体になる至福を知っています。


 神を信じる者は強い。信じることで強くなります。ただし、その強さと力を他者へ向ける際は、必ず慈しみに変換しなければなりません。その慈しみこそが隣人への愛であり、それこそが愛の力です。愛の掟は、我々に最も大切なものです。

 隣人への愛をなおざりにして神への愛を叫ぶ者は神を愛する者ではない。愛の掟とはそういうことです。


 神の独り子はおっしゃいました、『あなたの隣人を愛しなさい』『あなたの敵を愛しなさい』と。なぜ命令形なのでしょうか?


 とても重要なことですが、神はそれぞれの人間どうしの関係、つまり人と人とが実際に取り結ぶ個別具体的な関係に介入することはありません。人間どうしの愛や憎しみや嫉妬、あるいは裏切りには一切介入しないのです。神の独り子は『あなたの愛を補助する』とか『あなたが愛を全うできるように奇蹟を起こす』あるいは『あなたの憎む者に罰を与える』とおっしゃったのではありません。


 我ら人間相互の善き関係は、互いへの慈しみを我ら自身が細心の注意を払ってひとつひとつ丁寧に積み上げていくしかないのです。それこそが創造主である神の御心なのです。だからこそ神の独り子を遣わして『隣人を愛しなさい』と〝我々人間に命令〟なさったのです。


 同じことを別の視点から見てみましょう。


 神は、『私はA (アルファ)でありΩ(オメガ)である』とおっしゃいました。既に知っているとおり、神は始まりと終わりそのものです。


 ここで何か気付きませんか?


 言うまでもなく、神は始まりを決定なさるA (アルファ)であり、終末をお決めになるΩ(オメガ)です。けれど神は、『私はΣ(シグマ)でもΔ(デルタ)でもΛ(ラムダ)でもある』とは一度もおっしゃってはいないのです。


 人と人との関係は、人と人とが互いに複雑に干渉し合うところに存在します。この人間どうしの関係性がΣやΔやΛです。Αという誕生とΩという終末の間に存在する我々人間どうしの様々なつながりや関係性はΣやΔやΛなのです。あるいはΒ(ベータ)やΘ(シータ)やΟ(オミクロン)です。


 神は、我らが気付くのを待っておられます。人と人との個々の関係は、人と人とが心と心を尽くし、思いと思いを尽くし、言葉と言葉を尽くし、互いに力を尽くして、それぞれがそれぞれに手を差し伸べ合い、丁寧に創りあげていく以外ない。我々人間が自ら汗を流して互いに築き上げていかねばならない。そこに神は決して介入なさらないということに。


 知っていると思いますが、我々の世界では毎日悲惨なことが起きています。親が我が子を虐待したり殺してしまうこともまれではありません。胸が裂けるほど凄惨な出来事が日々起きているのです。神はいったい何をしているのか? という声は大昔から世に満ちています。


 しかし先程言ったとおり、神はΣやΔやΛではないのです。人が人自身で自らを神の望む姿へ変えていく決意なくしては何も変わりません。子供たちを虐待しているのは神ではありません。人間です。人は人の所為を神の所為にすり替えてはならない。これこそが我らと共に歩き、苦しみを共にする決意をされた神の真意です。

 

 我々は地上を歩いて行かれる神と共にあり、一人である時も常に神のおそばにあります。我々の神は十字の光を我らにお見せになって以降、『神も人も、言葉だけでは何の意味もない』ということをご自身が身をもって示されているのです。神も人も、高いところで何を言ったかよりも、地上の人々の間で何を実際に行ったのか、今この瞬間、自分が何を行っているのかを自問して生きるのです。




 ただし、裕樹にもそろそろ理解できる頃だと思うのですが、人間は、自分自身ではどうにもできない醜さを、誰もが自分の内に持っています。


 嫉妬、憎しみ、欲望――  そのような、他者を傷付ける様々な醜さを持つ自分という人間の有様に気付く時、人は打ちのめされます。しかしそれらの醜さはすべて人間の本性であって、決してその本性をなくすことはできないことを知らねばなりません。


 なぜなら、もう二度と楽園に戻ることのできない我々人間は、自己を生存させるためには自らの生存の邪魔になるものを抹消し、抹殺し、利用できるものは利用するという残酷な本性が少しもなければ、生きることができないからです。

 食欲も性欲も物欲も支配欲もあらゆる欲望は、それが皆無であれば人は生き残ることはできず、過ぎれば他者に害を為すものとなります。


 けれども人は、人を想い、人を愛し、手助けをすることができます。人は常に残酷な本性と欲望の沼に身を沈めていますが、それでも人と助け合い、沼に浸かったままではあっても生きることはできます。ただし、人は、人と人だけでは、泥に胸まで埋まり首まで泥水に浸かる沼から互いの肉体と魂を救い上げることは、どうあがいても絶対にできないのです。


 人は、そのことに気付いた時から、真の祈りに目覚めます。





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