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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第八章  神に命じられても
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☆ ネバーランド

 


 風が頬を撫でた。


 『海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい……』


 昔、この街に暮らした少女が大人になって綴った言葉だ。ぼくもこの海を見るのは五年ぶりだった。太陽の光を軽々と反射して穏やかに横たわる小さな海峡。ここは大小の島々が浮かんで魅惑的なパノラマが広がる多島海 ――まるでユートピアのような―― への入口。


 坂をどんどん下っていくと鉄とコンクリートの要塞に突き当たった。古くからあるロープウエイの山麓駅。見上げると色褪せたゴンドラが暇そうにぶら下がっていた。年老いたゴンドラは今のうちにゆっくり体を休めているのか。彼は今も大晦日になれば満員の客を乗せて徹夜で登ったり降りたりしているのだろう。


 横道から神社の境内に入り、奥へ進む。巨大なドームのように常緑の葉を茂らせる楠の巨木。その太い根本を巻いて神殿の前を横切り、山裾から徐々に視線を上げていく。思ったとおりだ。生い茂る樹木と家々の屋根の連なりの先の高みに、あの三重塔が見えた。

 ぼくも彼女と同じようにこの楠の巨木に祈れば好きな人の所へ行けるのかもしれない。振り返って『アオイに会えたら嬉しいです』と巨木に話しかけたが、返事はない。


 神社を出て小さなカフェの前を通り過ぎた。日溜まりの青い窓枠と白い壁。《ピーターパン》と彫られた木の看板。急ぐことはない。けれどカフェには寄らない。入ったら二度と出られないような気がした。レモンティーとミルクティー、レモンジャムとイチゴジャム、それに厚切りのトーストを注文して時間を忘れたふたりが過ごした店。《ピーターパン》にはネバーランドのような時間――この世界とは別の――が流れていた。あの頃、ぼくたちはこの店の一番奥の席に隣り合って座って永遠に話し続けていたのだから。

 

 市街地を南北に貫く大通りに出た。北へ折れてしばらく行けば、この古い街で代々神職を務める一族の屋敷がある。

 かつてその庭にはあの人が育てたマーガレット・メリルの白い花が咲き、あの人は巫女の衣装を着てこの街にある様々な神社の色々な行事を手伝っていた。けれど不思議なことに、あの人はなぜか頻繁にぼくの父の仕事も手伝っていたのだ。


 ぼくの父は祖父とは違って伝道者ではなく、ある種の「会社」を経営していた。あちこちに「支店」を作って人を雇い、月の三分の二ほどは家を空けて全国の「支店」を回っていた。

 中学三年の夏、ぼくは父母に連れられて北陸の大きな街からここに引っ越してきた。もちろん父の仕事の都合で。通算すると、ぼくは七つの小学校と五つの中学校に通った。


 宿命なのだろう。転校はいつも青天の霹靂のように決まった。ぼくはそのたびに『友達と離れたくない、新しい所になんか行きたくない!』と泣き叫んで抵抗した。

 転校を繰り返すうちに、『いずれ必ず別れの日が来て心が潰れるほど悲しい思いをするのだから、誰とも親しくなんかならない方がいい』と思うようになった。ぼくは誰かと親しくなりかけると自制することを覚え、いつ別れてもいいように心の距離を保つことに腐心した。

 ぼくが三年間同じ高校に通えたのは奇跡に等しかった。五歳年上の兄は転校などものともしなかったようだが。


 父は、様々なことを周囲の人たち ――彼らを、父は《支援者》と呼んでいた―― に語っていた。その中には次のような荒唐無稽なものもあった。



「………神は万能薬ではありません。劇薬です。処方を誤れば死を招くジギタリスと同じです。救いが得られるからといって人々が神の言葉を(むさぼ)るなら、多くの人々を錯覚させ、苦しませ、ついには致命的な副作用すら生じるのです。


 たとえば、神の言葉を気ままに食べ散らかし(もてあそ)ぶ者の中には、次のようなことを主張する者さえ存在します。『富と金を多く持つことはあらかじめ神に選ばれた民の象徴であり、楽園を追放された故の労働という罰を受けなくてもいい特権の最も分かりやすい(あかし)なのだ』と。

 彼らにとって富や金の多さは自身がいかに罪から遠い人間であるかの物差しであり、自らの正しさを神に弁明する際の大切な拠り所です。言うなれば自らの潔白を証明するための最も重要な証拠なのです。


 ですから彼らは何かに取り憑かれたように富と金を集め、さらに、もっと多く、際限なく増やすことに夢中になります。貧しい者たちを罪ある者としてしか見ることができない彼らは、富と金が最も尊く、学問と芸術と冒険の他はすべて罰としての労働だと考えるのです。これは、神という劇薬の扱い方を知らないまま用いたために起きた、大変深刻な副作用のひとつです。


 本来、神の言葉はジギタリス同様、その取り扱いを知りつくした者が人々の症状に合わせて適正な量を適時に施しさえすれば、絶望の淵にある人々の魂を立ち上がらせる薬効優れた強心剤になり、さらには死の淵にある魂をも復活させる特効薬になるのです。 

 残念ながら、私は適正な処方を知る者ではありません。ですから私は誰も導きません。私は導きを受けてこうして多くの人々のために働けることを神と隣人に感謝しています。


 誤解のないように言えば、人が働くのは楽園を追放された罪を償うためではありません。労働は決して罰によって我々の自由を切り売りするようなものでもありません。我々の罪はそのようなものではないからです。祈りと労働は同じです。Ora et labora.祈れ働け。労働は決して罪を償う罪人のためのものではない。

 祈りと労働。これこそ神が我々に望むものです。富と金の多さは罪から遠いことの証でも罪を償った証でもありません。富と金が神の御心を安らかにすることもありません。富と金を喜ぶ神があれば、それは神ではない。神になりすました人間です。


 人が人として立つことができるのは、人々が互いの日常生活に必要なものを作り合い、育て合い、手を加え合うことによって喜びと幸福を分かち合うからです。それこそが労働の本質です。

 富と金はそのために必要な道具であり手段であり、それ自身は料理人にとっての包丁と同じです。とても大切なものですから決しておろそかにしてはなりません。しかし手に余るほど持つ必要はありません。それ自身は決して目的ではないからです」




 ぼくは、父を、偽善者ではないかと疑っていた。










 ・引用:"海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい" 


    『放浪記』  林 芙美子著



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