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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第六章  永遠を微分したら……
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☆ インテグラル


 目を細めたまま映像を見つめていると白と黒の世界に色彩が現れた。おぼろげだった輪郭にピントが合い、様々なものの姿が浮かび上がった。

 御影石の門柱、赤い煉瓦を積んだ長い塀、真っ白な石畳の坂道、真っ青な空、緑の葉がそよぐ銀杏並木、煉瓦色のアーチが連続する大きな建物……


 これは……  母校の正門前だ。しかし、なぜ?


 正門前の映像は闇に包まれるようにフェイドアウトした。


 次に映し出されたのは開け放たれた窓に白いカーテンが大きく揺れる、見覚えのある教室だった。

 夏の制服を着た生徒が二人、窓際の机を挟んで向き合っている。放課後なのだろうか? がらんと涼しげな教室は水色の風が吹き抜けるだけで、二人のほかには誰もいない。


 じっと耳を澄ますと、会話が聞こえてきた―――



「わたし、もうだめ。ピンセットで宇宙を組み立てるって、きっとこういうことなのね」


「ピンセット?」


「そうなの。粉々になった星のかけらやバラバラになった銀河を一つ一つ拾い上げて元に戻すための。ねぇ、これって本当は何なの? 一言で説明してほしいな」


「僕には細長いスプーンのように見える。魔法の杖と思うこともある。でも、なかなかいいね、その、なんだったっけ、ピンセット」


「からかってる?」


「いや、感心しているんだ。君は無限に存在する一瞬を無限に集めてひとつの宇宙を創造しようとしている。だからピンセットで星のかけらを積分しても何の問題もない。そうだろう?」


「意地悪!」


「ごめんごめん。一言で説明するのはとても難しいんだ。もっと簡単なことなら答えられるかもしれない」 


「じゃあ、微分と積分っていつも一緒にいるみたいだけど、なぜなの?」


「そう言われてみるとそうだね。たぶんお互いに気になって仕方がないんだ」


「ふうーん」


「もしかすると相手のことを想って詩を書いているかもしれない」


「どんな詩なの?」


「想像できない」


「想像してほしいな」


「どうしても?」


「どうしても」


「わかった。実は……まだ誰も知らないかもしれないけれど、微分は永遠の宇宙を薄切りにした一枚の時間に一編の詩を刻み続けているんだ。積分したら永遠の宇宙になるような、そんな詩を」


「永遠の薄切りって何? 一枚の時間って何のこと? そんなの想像できない」


「そんなの簡単だよ。植物の茎をカミソリで薄く切った標本みたいなものだから」


「プレパラートみたいな?」


「そう、まさにそれだけど、君は自分で作ったことある?」


「小学生の頃、担任の先生がたくさん作らせてくれたの」


「いい先生だね。うらやましい」


「わかる? 先生はいろんな色のインクを吸った紫陽花やカボチャやトウモロコシの茎を薄く切って言うの、『プレパラートするよ』って。でも、それってとっても変わった言い方だなって思ってた。そう思わない? それでね、みんなで小さなガラス板に挟んで、顕微鏡を覗き込んで観察するの。わたしは時間を忘れて見てた。どんな万華鏡よりも素敵だったから。その時初めて思ったの。自然ってわたしが思っている以上に綺麗で神秘的だって」


「そうか、だから君は数学が苦手なのに理系を選んだのか。謎が一つ解けた。永遠の薄切りも、紫陽花の成長の一瞬をプレパラートするのと同じくらい神秘的で綺麗だよ」


「本当? でも、一言多いような気がしない? じゃあその『永遠の薄切り』には、どんなことが書いてあるの?」


「どうしても知りたい?」


 彼女は大きくうなずいた。

 彼は机の上で両手を組むと、向かい合った彼女の目をまっすぐ見て語り始めた。


「いいかい、一度しか言わないから耳を澄ませてよーく聞いてほしい。永遠の薄切りに刻まれているのは、無限に膨張して広がっていく宇宙の、その一瞬の姿。永遠の時間と無限の空間の、限りなく零に近い極限の瞬間に宇宙が見せる意志そのもの。それは詩というよりも、その一瞬の宇宙のすべてを綴った唯一無二の壮大な物語なのかもしれない」


 彼女は少し首をかしげたが、再び彼を見つめ、つぶやくように言った。「永遠の中の、ただひとつの一瞬……  その一瞬のすべて、の物語……」


「そのとおりだよ。もちろんその物語はキラキラ光っているんだ。そのうちのひとつは僕の目の前で輝いているけどね」


「目の前って、どこ?」


「ほら、ここに。君の瞳の中に、君だけの物語が」


 それを聞いた彼女は楽しそうに笑った。


「そんなに笑うなよ。君の瞳は永遠の宇宙の、その一瞬のすべての輝きなんだ。僕にとっては……」と、彼は控え目に付け加えた。


 彼女は両手で頬杖をつくと、二回まばたきをして目をぱっちり開いた。そしてじっと彼を見つめた。

 

「ねぇ、いつから詩人になったの? こっそり書いてない? 読んでみたいな」


 彼女にそう言われて、彼の顔が少し赤くなったように見えた。


「詩? 詩なんて、そんなもの書いてないさ」


「そう?」


「そうだよ。数学的に説明すると、君も僕も永遠の宇宙を微分して得られた解だからね。詩のような不確実なものではなくて、これは数学的事実なんだ」


「ふうーん。もしそうだとしたら……わたしたちを積分したらどんな解が得られるの?」


「えっ?」


「今、この瞬間のわたしたちを同時に積分したらどうなるのかな。どんな宇宙が生まれるのか、数学的に説明してほしいな」


 二人の距離は机を挟んで五十センチメートル。恋人たちは見つめ合って微笑んで、ほんの少し顔を近づけた。





 音声と映像は、そこで途切れた。















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