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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第五章  遠いあの日のままの姿
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☆ 時間結晶





「ユウキさんはずっとそんなふうに思っていたんですね」


「そうだ」


「でも、幸せにする自信がないからこれ以上近付かないってどういうことですか? 別れが悲しくなるから距離を置くなんて、わたしにはわかりません」


「……」


「人はいつか必ず死ぬのだから生きることには何の意味もないと言っているように聞こえて寂しいです」


 彼女は石油ランプの炎を映した瞳をこちらに向けた。


「ユウキさん、言わせてください。こんなことをわたしが言うのはおこがましいってわかっています。でも、言わせてください。ユウキさんは大切なことから逃げています。わたしはユウキくんのこともユウキさんのことも本当のことは何も知らないのかもしれません。でも、本当の自分のことだって自分ではよくわからないんです。だから知りたいし知ってほしいんです。好きな人にありのままのわたしを見てほしいんです。好きな人のありのままを見たいんです。自分のことも相手のこともわからないから苦しくて辛いです。だから一生懸命会って、一生懸命話をするんです」


「アオイ……」


「ユウキくんがわたしの幸せを思ってくれるのは本当に嬉しいです。でも、わたしの幸せがどんなものなのかをわたしの知らないところで決めてしまうのは、わたしのことを信じられないからだと思うんです。きっとわたしの言葉が足りないからそうなってしまうんですね」


 その声は涙のように透きとおっていた。


「いや、信じてないなんてことはない。君を信じるとか信じないとか言葉が足りるとか足りないとか、そういうことではないんだ」


 ぼくは否定した。だが、言いながら不安になった。なんとなく彼女の本当に言いたいことがわかったからだ。ぼくの最も醜い本質を彼女は既に知っているのかもしれない。


「わたしの幸せが今とは別の所にあるってユウキくんとユウキさんが思ってしまうのは、きっと何か新しくて大きな幸せが今とは別の所にあると信じているから。そんな新しくて大きな幸せをわたしが見つけたらいつでも今の幸せを離れてそちらへ行ってしまうに違いないって、わたしのことを心のどこかでそう思っているから。そうではないですか?」


 彼女は言い終わると、じっとぼくの目を見つめた。図星だった。言葉もなかった。


「今のわたしが辛いのも悲しいのも本当です。傷つくのも悩んで苦しむのも辛いです。辛いから、苦しいから、なんとかしようって思います。もっと善く生きたいって必死にもがいています。みっともなくて恥ずかしいです。でも、それは誰のせいでもないんです。苦しんで、もがいて、泣いてもいいってわたしは思っています。誰かを恨んで泣くのではないから。けれど、いつまでも苦しんで辛くて悲しんでいたいとは思いません。わたしも幸せでありたいです。でも、わたしの幸せは誰かに幸せにしてもらうことではないんです。わたしの心はわたしが決めます。わたしの幸せはわたしが決めます。わたしは幸せと幸せを比べてもっと大きな別の幸せがほしいとは少しも思いません。今この手の中にある幸せを大切にしたいだけなんです」


 朝露を載せた白い花びらのように彼女の清らかな胸のスカーフが静かに揺れた。ぼくは一言も返すことができなかった。


「寂しがり屋さんでも、弱くてもいいんです。自信がなくてもいいんです。何も飾らなくていいんです。自分のことを自分の言葉で話してくれたらそれだけでいいんです。わたしは心からそう思っています」


 彼女は窓に顔を向けた。


 いつのまにか雪は止んでいた。白い樹林帯の上に、雪と氷に覆われた大きな山が見えた。


 雲の裂け目から差し込む白い光に照らされた鋭角の山頂はめくるめく七色の閃光を放ち、正確にカットされたダイヤモンドと同じ光を、息をのむほど美しい輝きを見せていた。


「あっ……    ユウキさん、あの大きな山は―― 」


「気付いたんだね」


「はい」


「あの山を目指す登山道は今もこの近くを通っている。二十年前ふたりで何度も歩いた道なのに、あの頃のぼくたちはこの店を知らなかった。あの頃からあったはずなのに、あの頃のぼくたちには見えなかった」


「……」


「七色に輝くあの山頂は君とふたりで過ごした幸せな時間の結晶。ぼくは今でもそう思っている。半年前に横浜から一人でここに来た本当の目的は、つまり……そういうことなんだ」


「ユウキさんはあの道を歩いているんですね。ふたりで歩いた道を、今も」


 ぼくは黙って頷いた。多彩な光彩が刻一刻と変化していく。地軸は回り続けている。そそり立つ独立峰のきらめきをぼくたちは見つめている。二十年前と同じように。



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