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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第五章  遠いあの日のままの姿
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☆ 十七歳



「二十年前のぼくは『赤と黒』を読み終わっていた。君が勧めた時、ユウキくんは『赤と黒』を暗記するほど読んでいたはずだ」


 彼女は哀しそうな目でぼくの目を見つめた。


「そうだったんですね。どうしてあの言葉を知っていたのかなって……」


 力ない声だった。


「君を欺いたのはぼくだ。ユウキくんは何も知らないし知ることができるはずもない。ふたりには申し訳ないことをしてしまった。特に……君には辛い思いをさせてしまった。完全にぼくが悪かった。本当にごめん」


「なぜですか? なぜすべてを知っていてそんなことを」


「君はアオイの幻。そうでなければアオイにそっくりな別人。君の言うユウキくんもぼくとは別人――  ぼくはここで君と会ってからずっとそう思ってきたし、自分にそう言い聞かせてきた。でも、もしかしたら……という思いを消すことができなかった。だから君たちを試した。本物か幻か、あるいは偽物かを知るために」


「えっ、偽物なんてそんな……」


「君たちは本物だった。君たちは本物のアオイと本物のぼくに間違いないってことが、今になってやっとわかった」


「……」


「おかしいだろう。笑ってくれていい。笑われて当然だ。でもわかっただろう。ぼくはこんなにも愚かな人間だ。ぼくが愚かな人間であることを本物のアオイが知ったらなにもかもすべて消えてしまう。なにもかも全部。だから君が本物のアオイであることを、むしろ恐れていた」

 

「ユウキさん、わたしにはユウキさんが何を言っているのかわかりません」


「十七歳のぼくは、つまりユウキくんは君のことがとても好きだ。それは間違いない。でも君のことを好きになればなるほど、君と楽しい時間を過ごせば過ごすほど怖くなってきたんだ。ぼくのような人間がこんなに素敵な恋人といつも一緒にいていいはずがない、こんなに幸せでいいはずがない――と」


 彼女はぼくをじっと見つめて、黙ったまま首をかしげた。


「アオイ……  君の本来あるべき幸せな人生を、もっと輝かしいはずの君の幸せを君から奪ってしまうことをユウキくんは恐れている。君を知れば知るほど、君を好きになればなるほど、恐れは強くなっていく。自分の存在が君の幸せな人生の邪魔をしているのではないか―― と彼は恐れている。果たして自分は君にふさわしい人間なのだろうか? と」


 彼女は一言も返すことなくうつむいた。


「けれど、それなのに、彼は君と完全に離れてしまうことなんてとてもできない。君が遠くに行ってしまうことにも耐えられない。だから、もし君が新しい幸せを見つけて彼を見捨ててどこかへ行ってしまったら、彼は無力で愚かな自分に……」


 ぼくの長い言い訳を遮るように彼女は強く顔を上げた。涙に洗われた瞳が、青い星のようにきらめいた。


「いいえ。ユウキくんはいつも落ち着いて堂々としています。恐いものなんかないように見えるんです。教室でも部活でも、誰とでも笑顔で楽しそうに話しています。それなのになぜわたしとは前みたいに普通に話をしてくれないのかなって思うんです。今はもうそんなに想われていないのかなって。わたしが近くにいてもいいのかどうかわからなくなってしまうんです」


「確かに彼は強そうに見えるかもしれない。君の言うとおりだと思う。けれど、彼は自分が弱い人間だということを周りの人に、特に君に気付かれることをとても恐れている」


「……」


「彼は君のことが死ぬほど好きだ。けれど君を幸せにすることなんてとてもできないと思い始めている。彼は弱いくせに軽蔑されたくない一心で強いふりをする愚か者だ。でも、そんな強がりがいつまでも通用すると思っているわけでもない。これ以上君に近付いたら弱い人間だと言うことがばれてしまう。だから近付きすぎないよう必死にブレーキを掛けている。でもそれだけではない。君には信じられないかもしれないけれど、彼がブレーキを掛ける理由は他にもある」


「ブレーキを? なぜですか?」


「たとえ誰かと親しくなってもいずれ必ず別れる日が来る。けれど親しければ親しいほど別れは悲しい。そうだろう?」


「ええ」


「もし二度と離れられないほど心をかよわせてしまったら、別れの日には自分も相手も深く傷つくことになる。互いに傷つかないためには距離を一定に保つしかない。決して近付きすぎないように。いつ別れてもひどく悲しむことのないように」


「……」


「ごめんね。見損なっただろう。彼はそういう男なんだ。もちろんぼくも同じだ。彼はぼくなのだから」


 彼女は首をゆっくり横に振った。 















・引用:"さあ、申し分ない。勇気は十分ある" 


    『赤と黒』 スタンダール著 小林正 訳



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