☆ 紅い唇
「占って下さい」
彼女の声に思わず目を開くと、元の椅子に座り直した彼女はまっすぐこちらを見つめ、強い視線を銀の矢のように放った。
「占うって、もちろん大学生の運命を、だよね?」
それは我ながらとても間の抜けた問いだった。
「いいえ。わたしの運命を」
しまった……
手遅れにしないためには一気にこの話題を終わらせてしまうしかない。
「タチバナさん、もう魔方陣のファイルを探す必要はなくなった。今、君の瞳の中に占いの結果が見えたんだ」
「教えて下さい」
「でも、その内容を知ったら君はショックを受けるかもしれない」
「何を聞いても驚きません。本当のことを言って下さい」
「そうか…… 心の準備はいい?」
「はい」
「じゃあ本当のことをはっきり言うよ。数年後、君は恋人に一方的に別れを告げる手紙を淡々とキーボードに打ち込むだろう。手紙を受け取った相手は一生立ち直れないほどの傷を心に負って生涯にわたって君のことを好きなまま苦しみ続ける。けれど君はすべてを忘れて、何もかも捨て去って新しい世界へ旅立つ。……ああ、なんてことだ。予想外だ。タチバナさんは優しくて可愛くてとても素敵な人だと思っていたのに、本当は無慈悲で残酷な、血も涙もないひどい人なんだね」
彼女はあっけにとられたように目を大きく見開いた。が、すぐにパッと華やかに顔をほころばせて楽しそうに笑った。それだけの、意外な反応だった。
「ぼくはおかしなことを言ったかな?」おどけた風を装って尋ねてみた。
「ユウキさんはいろいろなことを考えているんですね」と、彼女は胸を手で押さえながら言った。
「まあ、そうだよ。一応小説家だからね。さあ、準備できた。ローマ字で日記を書くつもりでアルファベットを打ってごらん。もちろん君の好きな言葉を」
「はい」
桜色の唇をいつもより少し紅く見せるだけで何事もなかったかのように無垢な微笑みを浮かべた彼女は、指をホームポジションに載せて左の小指と右の中指をそっと動かした。精細な液晶画面に《あい》と表示された。
「ユウキさん大変です。アルファベットを打ったのにひらがなが出てくるんです」
「びっくりした? ローマ字入力したら自動でひらがなに変換されるんだ。こんどはスペースキーを押してごらん」
彼女がスペースキーに触れた。《あい》が《愛》に変換された。
「あっ、一瞬で漢字になりました!」
彼女は目をまるくしてこちらを向いた。ぼくはエンターキーを押した。彼女の《愛》がこの世界に確定した。
「君の《愛》をこのまま大切に保存しておこう。いつの日かこの《愛》をタイトルにして新しい物語を書くよ」
「今から書きませんか? ふたりで」
「今からふたりで?」
「次はいつここに来ることができるかわかりません。もしかしたら、もう二度と会えないかもしれません。ユウキさんが少し書いて、次にわたしが少し書いて、またユウキさんが書いて。どうですか?」
「面白そうだね。時間は大丈夫?」
「今日は日が暮れるまでここにいていいって『声』に言われたんです」
ぼくたちは肩を並べて小さなノートパソコンに向かった。それから、あーでもないこーでもないと言い合いながら交互にキーを叩いた。彼女が書き込んだ部分は後から容易に判別できるように青い枠で囲んだ。
一時間ほどすると物語の輪郭が生まれた。ただ、結末は保留にしておいた。
「あとはぼくが肉付けして仕上げるよ。もちろん結末も」
彼女は体をこちらに向けてスカートの上に両手を重ねると、神妙な面持ちで口を開いた。
「ユウキさん、お願いがあります」
「なんだい?」
「ハッピーエンドに、してください」
彼女は頬をほんのり染めた。




