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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第四章  きっとそれが一番大事な答え
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☆ ポリフォニー





「君は造物主のようなことを言うね。でも冗談抜きで、宇宙の始まりから終わりまでのすべての出来事を瞬時にシミュレーションして、その結果を、たとえば映像として見ることができる日が来るかもしれないよ。そうなればどれほど遠い過去も遙かな未来も自在に知ることができる。十年前の自分を振り返ることも、十年後の自分を知ることも」


「それは……今のコンピューターでは無理なんですか?」


「少し乱暴な言い方だけど、1や0をひとつずつ作って順番に計算しているから、どうしても能力に限界があるんだ」


「1と0を作るスイッチをたくさん増やしたらどうなんでしょう?」


「確かに。スイッチを増やせばどんどん高性能になるからね。でも、増やしすぎると莫大な電力が必要になって、ものすごい数の発電所を造っても追いつかなくなる。その上、スイッチから膨大な熱が発生するから冷却も大変。たとえばこの小さなノートパソコンですら、酷使すると火傷しそうなほど熱くなってしまう」


「難しいんですね」


「でも、量子コンピュータなら大丈夫だ」


「なぜですか?」


「それはね、〝1であって同時に0〟という混沌とした状態で漂う電子たちのモヤモヤした波動を上手に重ね合わせてうまくコントロールすれば、まるで無限にスイッチがあるかのように一気に、一瞬で大量のデータを処理できるからなんだ。

 おまけに、さっき言ってた〝赤い糸〟で繋がっている電子たちを使えば、場所や順番に関係なく息を合わせて同時に計算することもできる。こんなことは絶対に今のコンピュータには真似できない。

 その上、もし電子の代わりに光子を使えば常温で計算できて熱もほとんど発生しないらしいから、今までとはくらべものにならないほど少ないエネルギーで、瞬時に答えを出せる……なんて言っても、ピンと来ないよね。もちろん、君の大胆な仮説が証明されたら、量子コンピュータの能力は計り知れない」


「重ね合わせるとか、瞬時にとか…… 全然わかりません。ユウキさん、わたしにもわかるようにお願いします」

 

「そうだな。じゃあ、こんなたとえはどうだろう。フルートとピアノの二重奏を聴く人の耳には何が聞こえる?」


「フルートとピアノの音…… 二重奏……  音楽ですか?」


「そうだね。じゃあ、ここで仮に〝1〟をフルートに置き換えて、〝0〟をピアノに置き換えてみよう。二つの楽器を同時に演奏すると、二つの音の波は同じ空間で重なり合う。そして完全に混じり合い、溶け合って、一つの波になる。

 それは〝1であって同時に0〟という混沌とした状態だ。まるで二つの大きな川が渦を巻きながら合流して波を打って一つの流れになるみたいに。どうかな、イメージできる?」


「はい」


「けれど、そうやって完全に一つの流れになった音の波はぼくたちが観察した瞬間、つまり聞いた瞬間、フルートとピアノの二重奏という真の姿を現す。つまり〝音楽〟という『答え』が出る」


「ユウキさん、もしかして、もっとたくさんの楽器の音を重ねても……」


「まさにそうだよ。たとえば協奏曲や交響曲。多くの楽器を同時に演奏しても、全員が呼吸を合わせたら〝赤い糸〟で繋がっているかのように素晴らしい演奏になる。

 ぼくたちはそれを聞いた瞬間、素晴らしい音楽だと認識できる。『〝1であって同時に0〟という状態で漂う量子の波動を重ね合わせて上手にコントロールして一気に結果を出す』というのはそういうことなんだ。

 このたとえでは、量子コンピュータは指揮者や演奏者も含めてぼくたち人間自身になるのかな。もちろん、量子コンピュータは人間では処理しきれないほど大量の情報を一瞬で処理できるからとても太刀打ちできないけどね」


 彼女はパチパチと二回瞬きすると目を閉じた。まぶたの下で眼球がくるくる回っている。どんなことを考えているのかな? と思って見ていると、パッと開いてキラリと光った。


「ユウキさん、これから先、量子コンピューターがどんなに進化しても」


「しても?」


「わたしたちはきっとそれ以上です」


「それ以上? なぜ?」


「わたしたちは音楽という『答え』を出すだけではなくて、それを美しいと感じることも、その曲に込められた喜びや悲しみに共感することもできるから。それに…… 演奏している人の心を想像することだってできるから」


「それはつまり、なんというか、人の気持ちを受け止めることは人間にしかできない―― ということだろうか?」


「はい。きっと」


「人の気持ちを真剣に受け止めて、そして、たとえば、相手の幸せのために自分を犠牲にすることなんて、やっぱりコンピュータには無理なのかな。 いや、コンピュータは何の痛みも苦しみも感じないのだから、相手のために自分を犠牲にすることはむしろ簡単かもしれない。コンピュータが死を怖れたり何かに怯えたりするんだろうか。君はどう思う?」


「……恋人どうしの量子たちは、相手のために自分を犠牲にすることなんてあるんでしょうか。ユウキさんはどう思いますか?」


「どうなんだろう。生きた肉体を持たない彼らの恋は、おそらく欲望から遠いプラトニックなものに違いないと思うんだ。そんな恋人どうしの量子が、何か、同じ目的のために何かしているとしたら、たとえば二人が、それぞれ別々のアンドロイドに搭載された量子コンピュータで、共に共通の敵と戦っているとしたら、敵が恋人のアンドロイドに襲いかかってきたら、恋人を守るために自分のすべてを、もし彼らに命があるならばそれぞれが相手のために命を捧げももおかしくはない。少なくともその可能性は皆無とは言えない……

 いや、そうではなくて、そもそも肉体も心も命もないのだから、そんな人間じみた動機なんて生まれることすらないのだろうか。それとも恋人を守るためなら自己犠牲も厭わないようにあらかじめ設定しておけばどうなのか……」


「ユウキさん、もしも…… もしも純粋に自分の意志で相手のために自分自身を捧げるコンピューターが生まれたら…… もうそれはコンピューターではなくて、何なんでしょう? わたしにはわかりません。でも、わたしたち人間は音楽を聴いていろんなことを思って、元気が出て、勇気が湧いてくる。音楽から勇気をもらうのではなくて、美しい音楽を聴くと何かが目覚めて勇気が湧いてくるんです。コンピューターにはそんなことがあるんでしょうか、美しい音楽を聴くと何かが目覚める、なんてことが」


「自分の内側から湧いてくる不思議な感覚、みたいな?」


「はい」


「何かを受け取ってそれを付け加えるんじゃなくて」


「ええ、そうです。何かを受け止めて、自分の中にある何かが湧き上がってくるんです」


 彼女はふっと目を閉じるとうつむいた。それから元のように顔を上げると、ぼくの目をまっすぐみつめた。


「ユウキさん、宇宙の始まりから終わりまでを一瞬で計算して結果を出すなんて、人には絶対に無理だと思うんです。それに……そういう答えは、きっと一番最後に神様が出す答えのような気がします。人にはきっと人にしかできないことがあって…… それはきっと人の心を一瞬一瞬受け止めて、一瞬一瞬心の中の何かが目覚めていくことなのかもしれない……」


「目覚める?」


「はい。人は、きっと人の心を大切に受け止めた時、受け止めた人の心の中の大切な何かが目覚めるんです。きっとそれが人にとって一番大事な答えなんです」


 彼女はこちらに顔を寄せて、瞳が触れそうなほど近くからぼくの目を見つめた。ドキッとした。


「もしユウキさんがフルートで、わたしがピアノだったら」


「……?」 


「ふたつの心が時間も空間も越えてここにあるとしたら、わたしたち、もしかして……」


「……」


「きっとわたしたちは小さな協奏曲を演奏しているんです。時を超えて、この場所で。わたしたちを照らしてくれるたくさんの光たちと一緒に」


 彼女は天井を見上げた。


 ぼくも天井を見上げた。


 頭上に輝くたくさんの石油ランプ。そのの向こうには宇宙の最深部を思わせる深い闇。


 フルートとピアノの、喜びにあふれた明るい和音。ゆっくりとしたテンポで始まった曲は急に速度を上げた。それは胸のときめきのように半音ずつ上がり、ふたつの音色は軽やかに大地を蹴って,眩しい光を受けてきらびやかに駆け抜けてゆく。


  …… 

……  ……

 

    ……


    時空を越えてここに存在するぼくたちの


      ふたりの本当の答えはどこにあるのだろう


            ……



     ……









・挿入曲:シャミナーデ作曲 コンチェルティーノ(フルート&ピアノ版)


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