☆ 夢の肌触り
熱い紅茶の入った魔法瓶をザックに入れてふたことみこと交わした後、ぼくは喫茶室のドアを開けた。マスターはどことなく祖父に似ている。
風除室を出るとしんと凍った闇に包まれた。雪に覆われたバルコニーでスキーを履き、雪に埋まった階段を滑り降りた。
ストックを突いて雪原を進む。しばらくすると樹林帯に入った。森の中も新しく積もった雪。朝のトレースは残っていない。すっかり親しくなったブナの大木たちがヘッドランプの光に次々と浮かび上がる。
彼らはいつもぼくを正しい方向へ導いてくれる。たとえ世界が歪んでいても、ぼくが歪んでいても。
その夜、夢を見た。
……
……
……
……
「裕樹さん、わたしは蘇ることができますか?」
「……」
「わたし、裕樹さんのことが好きです」
「……」
………
………
青いカーテンの隙間から白い光が差し込んでいる。
ぼくは胸に両手を重ねた。徐々に記憶を失ってゆく夢の肌触り。
〝死んでしまった恋人〟と見つめ合う。それは夢でも妄想でもない純粋な祈り。この胸に本当に抱きしめたいのは彼女だけなのだから。
ふと、妻の姿を思い浮かべた。 凜として美しく優しい妻。
ぼくは寝台にうつぶせになった。妻から贈られた青く光るインク。ぼくは薄暗い罫線の間を青い光で埋めていくだろう。これからも永遠に。