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コンチェルティーノ  作者: 白鳥 真一郎
第三章  青い文字は流星のように
13/59

☆ 存在と不在







もしもこの青い空間と白い時間のどこへでも自由に行くことが許されるなら、迷うことなく旅に出よう。あの人に会う旅へ。


青い制服の後ろ姿をみつけてそっとその名を呼べば、あの人は振り返るだろう。白いスカーフを胸に大きく揺らして、優しくほほえみながら。


あの日と同じように――






 


 ……

           ……

   ……

        ……


「―――それでね、その登場人物が言うの。『神がなければ、すべてが許される』って。神様を否定すれば善も悪もなくなる。だから人を殺しても何の問題もないってことらしいの。でも、どうしてそうなるのかわたしにはわからなくて……」


「僕も一緒だよ。初めてこの物語を読んだ時、さっぱりわからなかった。いくら考えてもわからなかった。でも、どうしても知りたいと思ったんだ」


「わたしも知りたい。でもどうしたらいいのか思いつかないの」


「僕は人に聞いたんだけど」


「わかったの?」


「たくさんの人にいろいろなことを教えてもらった。でも少しもわからなかった。だからまた最初から読み直したんだ。何度も読み直して、また考えて……」


「そうしたら?」


「わかったというか、気付いたんだ」


「よかったら教えてほしいな。何に気付いたの?」


「笑ったらだめだよ」


「笑ったりしない。約束する」


「実は、この先どれだけ考えても永久にわからない、ということに気付いたんだ」


「もしかしてからかってる?」


「僕は真剣だよ。『神がなければ、すべてが許される』という主張には、人間にとって一番大切なものが欠けているんだ。だからいくら考えてもなぜそうなるのかなんてわからない。納得のいく答えは出ないんだ。永遠に」


「どういうこと?」


「たとえば、君が南の島へ旅をするとしたら何に乗って行く? 南半球にある島。とても遠いけど真っ青な海と真っ白な砂浜が魅力的で、もちろん君の大好きなおいしいものだってたくさんある。君は飛行機もヨットも豪華客船も使える。どれでも好きなものを選んでいいんだ」


「船がいいな。白い大きな船」


「君はまさに今、その船に乗っている。真っ白な豪華客船。君は一番上のデッキから真っ青な南の海を眺めている」


「季節は?」


「船に乗って二十日目だからもう赤道を越えた。季節は夏だ。目的の島まであと一週間」


「もっと乗っていたい」


「そうかなあ。もう二十日目だよ。結構長いと思うんだけど」


「わたしは海を見ていたら大丈夫なの」


「そういえば君は山も好きだし海も好きだったね。その日の午後、君はいつものように真っ白なチェアに座って一番上のデッキから真っ青な海を眺めている。冷たいレモンスカッシュを飲みながら。すると同じデッキで海を眺めていた人たちが大声で『こんなに海が青いのは神がいるからだ』、『いや、それは違う。神がいないから海は青いのだ』と論争をはじめた」


「変わった人たちね。でもおもしろそう」


「なんとなく哲学的だしね。たぶん彼らは暇すぎて時間をもてあましているんだ。もちろん君はこちらに危害が及ばない限り議論の邪魔なんてしないし口も挟まない。なぜならそんな議論には何の意味もないから。ある意味ほほえましいし。そうだろう?」


「ええ」


「それと同じなんだ。『神がなければ、すべてが許されるのか?』という問いには何の意味もない。この地球のどこであっても、いや、たとえ全宇宙のどこであろうとも」


「でも…… この世界には神様がいるかいないかで人が人を殺していいか悪いかが決まると思っている人がいるみたいなの。世界のいろいろな人がこの問題に興味を持っているみたい。だから意味がないなんて思えないの」


「君の言うとおりだ。この問題に興味を持っている人が世界中にいる。だからこそ思うんだけど、もし『神がなければ、すべてが許されるのか?』という問いに意味があるとすれば、()()()()()()()()()()()()()に向かって『人が人を殺すのはあなたがいないせいだ。だから人には何の罪もない』と一方的に宣告してすべての罪を神の不在のせいにする、という卑劣なレトリックを学べることくらいかな」


「レトリックの問題?」


「この物語には『人が人を殺すのは神の不手際だ』といわんばかりに神を責めたてる手の込んだ表現もたくさん出てくるだろう? もちろんこの物語の作者が卑劣という意味ではないよ。たとえば『神よ、すべのものを創造なさった唯一絶対の正しい神よ、あなたがいるはずなのに人は人を殺すことをやめない。人に人を殺すことをやめさせることのできない神などいなくてもいい』みたいな」


「ええ、それは否定しないけど……」


「納得できない? じゃあ、『神がなければ、すべてが許される』という主張に、別の主張をぶつけてみたらどうだろう」


「別の主張……  神様がいたらすべてが許されない……とか?」


「うーん。それはすごいね。決定的かもしれない。『神が悪と判断したことはすべて許されない』と解釈すれば現実の人間と神の関係に近いような気もするし」


「そう?」


「そうだよ。でも僕はまだこの問題に決着をつけたくないんだ」


「どうして?」


「もっと君の声を聞いていたから」


「ふーん。本当かなあ」


「本当だよ。まだ時間あるだろう? 帰りは一緒にお好み焼きを食べよう。僕がおごるよ」


「ありがとう」


「じゃあ続けるね。実は『神がなければ、すべてが許される』という主張に対抗して、『神を信じれば、すべてが赦される』という主張があるんだ。この二つは大昔から論争し続けているんだけど、君はどう思う? 比べてみて何か気付かない?」


「『神がなければ~』に『神を信じれば~』をぶつけるのね……  正反対のことを言っている。そうでしょう?」


「現に論争しているんだし、そう受け止める人が圧倒的に多いと思う。でも、どちらの主張も主語は同じなんだ」


「それはどういう意味なの? 神様を否定している人たちも神様を忘れられないってこと?」


「そのとおりだよ。神をどれほど否定しようとも、彼らは絶対に神の影から逃れることはできない。むしろ神を否定すれば否定するほど彼らを覆う神の影は濃くなっていく」


「なぜ?」


「神を完全に否定しても、神に代わる唯一絶対的な価値がなければ生きていけない。それが彼らなんだ。彼らは『唯一絶対の神を下に見る唯一の絶対的価値』を常に神と対比しながら探し求めている。だから神から逃れることは決してできない。神を否定する彼らの左手には常にバイブルが握られている。どんなときもバイブルを開いて自分たちを神と比較しなければならないから」


「よくわからないけれどなんだか不思議。同じ所をぐるぐる回っているみたい」


「ひとつ質問してもいい?」


「ええ」


「この物語の中で、殺したり嘘をついたり盗んだりしているのは誰?」


「そうね…… 殺したのはきっと召使い。でも、殺すように仕向けたのは『神がなければ、すべてが許される』って召使いをそそのかした人で、嘘をついているのは……ほとんどの人が嘘をついている。でも、人をかばうための嘘や、その人を本当に愛しているからついてしまう嘘だってあるの。お金を盗んだのは……  あっ、わかった。人を殺すのも嘘をつくのもお金を盗むのも、ぜんぶ人間。そうでしょう?」


「そう。実際に殺したり嘘をついたり盗んだりしているのはすべて人間であって神ではない。それなのに人間たちは『神がいるから~、神がいないから~』と、自分の都合のいいように神を利用して卑劣な言い逃れをしている」


「でも完全な人間なんていない。絶対に正しい人なんてどこにもいない。わたしはそう思ってるの。どんな人でも必ず間違ったことをしてしまうから。それをいつも神様のせいにして言い逃れするのはいいこととは思わないけれど」


「じゃあ人間ではなくて完全に正しい唯一絶対の神の命令ならどう? 絶対正しい神の命令なら人は人を殺してもいい? その神に『奴らは人間ではない。悪魔だから殺せ』と命じられたら『人間ではない』とレッテルを貼られた人々を害虫を踏み潰すように殺戮しても巨大な火の玉でいっぺんに何十万人も焼き殺しても何の問題もない?」


「そんなことはどんな理由があっても絶対にしてはだめ。そうでしょう?」


「それじゃあ逆に、神がなければ人はどうしたらいいと思う?」


「神様がいなければ…… 人は人が決めたことをする。そうでしょう?」


「そうだよね。そしてもうひとつ。神がなければ、神の決める善も悪もなくなるから人は神の顔色を気にせずにすむんだ。君ならどうする?」


「……」


「神がいなければ、人は本来持っている人間性と創造性を存分に発揮できるんだけど」


「人間性と創造性…… 」


「そう。神がいなければ人は人間性と創造性を思う存分発揮できる。だから神のいない世界を実現しよう。そして人間性と創造性に満ちた新しくて素晴らしい世界をみんなで作ろう。君はそう思ったことはない?」


「どうして? なぜ神様がいなくなるだけで素晴らしい世界になるの? わたしには全然わからないけど」


「君も疑問に思う? 実はこの主張には、『そもそも人は、理性が備わった、あらゆるものから自由な存在として生まれている――』という大前提があるんだ」


「それってもしかして、こういうことなのかな……  神様が人をつくったわけじゃない。人はもともと神様なんて必要としない。人はあらゆるものから自由な存在。でも、人には理性があるから誰もがそれぞれ思うように自由を楽しむことができる」


「そのとおりだよ」


「でもなんだか変。『そもそも人は一線を越えないように生まれている』……そういうふうにも聞こえるから。『あらゆるものから自由なのに、一線は越えない』……そんなことってあるのかな。とっても道徳的で、自分のことも人のこともよく知っていて、自分の思うように振る舞っても人に迷惑をかけることもなくて。でも、そういう人ってどちらかと言えば自由気儘に生きている人ではなくて献身的な人だと思う。そんな立派な人に生まれていたらいいな……とは思うけれど」


「神や他の存在から自由になりさえすれば、人は理性が働いて自分たちのことは自分たちで上手に解決できる。だからたとえ一線を越えることがあってもすぐに理性で修正できる。なにしろ人間は生まれながらにして理性が備わった自由な存在だから―― 神のいない素晴らしい世界とはそういう世界なんだ」


「人間の理性は完璧ってこと?」


「そう。神を否定する彼らにとって人間の理性は絶対的で完璧。だから彼らはこの世界から〝人々に責任や規律を強制する神や君主のような絶対的な存在〟を消してしまいたい。そのかわり〝自由な個人が人間の理性に基づいて自分たちがすべきことを自ら決めることができる社会〟をつくりさえすれば素晴らしい世界が実現する。彼らや彼らの仲間はそう主張し続けているんだ」


「人間の理性が絶対に正しい世界なのね。でも人間はひとりひとりみんな違う。自分たちがするべきことってどうやって決めるの? 多数決?」


「多数決ではないんだ。自由な個人の素晴らしい理性が集まると自分を含めたあらゆる人々の幸福な道を選択する意志を持つようになるんだ」


「自由な個人の理性は絶対に間違えないってこと? そんな理性を持った人ってすごいと思うけど」


「いや、違うんだ。自由な個人全員がそんな素晴らしい理性を持っているからこそ成り立つ世界なんだ」


「そんな素晴らしい理性があったらいいけれど……。ユウキくんはどう? そんな理性持ってる?」


「そんな素晴らしい理性なんて持ってないさ。もしかしたら僕たち人間は〝世界で一番理性的な何か〟が判断することであれば喜んで従うのかもしれない。〝最も正しい理性〟や〝唯一絶対の無誤謬の理性〟の判断に。君はどう思う?」


「わたしは〝世界で一番理性的な何か〟なんてどこにもないと思う。 ユウキくん、本当は何が言いたいの? そろそろ教えてほしいな」




















 

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