14 結局みんな寂しがり屋
――ガチンッ……ガチンッ……ガチン。
目を開けると、飛び込んできたのは小さな背中だった。クリーム色の髪を揺らすその背中は、怪獣と見紛うような存在と剣を交えている。
音が鳴るたびに、小さな体がビクリと震え、足がぐらぐら揺れる。
意識がはっきりしてくると共に、話し声が聞こえてくる。
「勇者風情が、我に一騎打ちを挑んだのは褒めてつかわす。だが、少々足りんな」
しかし小さな背中は、何も言わずにドラゴンの鉤爪を弾き続ける。
「負けるもんかっ」
刹那、さっきとは比べ物にならない速度で、鉤爪が迫り、小さな体は弾かれる。
それでもなお、小さな体は立ち上がろうとする。剣を地面に差し、それに手を這わせる。
「僕は勇者なんだ。皆を守る勇者なんだ。こんなところで、ドラゴンなんかに負けるわけにはいかないんだっ」
すると、ドラゴンが目を細め、俺に向かって話しかけてきた。
「のう、賢者よ。貴様からも一言言ってやればよい。お前のパーティーは犬死したのだ。全滅したのだ。とな」
「――――ッ」
その言葉に周りを見ると、俺の隣にはサラが、その隣にはパースが横たわっていた。それで完全に目が覚める。
――全て思い出した。
「……そんな」
エスティアがふらふらと千鳥足を踏み、俺の方に倒れ込んでくる。
「あぁ、怜司。起きたんだね。でもゴメン……怜司が起きるまで、僕は皆を守れなかったんだ」
「もういいっ。もういいから……」
傷だらけのエスティアは、息もたえだえに言葉をつむぐ。剣の刃こぼれも激しく、彼が耐えてきた攻撃を想起させる。
ドラゴンがニヤリと笑い、鉤爪を俺達から離す。
「接吻の一つでも送ってやればよい。その娘は貴様に賭けて、今の今まで耐えていたのだからな」
「……娘だと?」
――有り得ない、そんな事……。
しかし、一度そう言われると、エスティアは女の子にしか見えなかった。
つぶらな緑色の瞳や、肩で切り揃えられたクリーム色の髪、艶の有る桃色の唇が声高に主張している。
「本当に女の子なのか?」
問い掛けると、エスティアはにへらと笑う。
「男の子だと思った? 残念、女の子でしたぁ……。最後まで気づかないなんて、君達は本当にひどいよ。名前の時点で気付くべきだよ」
「どうして、そんな噓を」
「だって、本当のこと言ったら、普通に接してくれなかったでしょ? もう、あんなに乱暴にされたのは、今日が初めてだよ」
「ごめん」
思わずエスティアを抱きしめる。本当に華奢で、少し力を込めれば折れてしまいそうな身体だ。
彼女は力ない笑みを浮かべて、首を振る。
「怜司が、ドラゴンを倒すまで許して、あげない……」
そこまで言って、エスティアは意識を手放した。
「…………」
腕の中の彼女は、くたりと首を落とし、今にも壊れそうな身体を俺に預けている。
俺がエスティアを地面に横たえると、ドラゴンは牙を見せてシュルシュル笑う。
「さてどうする? 我は約束を違えない。捧げ物の一人を置いていくと言うならば、他三人を逃がしてやる」
「俺を選んでも――――」
瞬間、ドラゴンがニヤリと笑う。
「それは面白くないな」
「そうか」
一人捨てるなら、どう考えても『パース』だろう。本人もそれを望むはずだ。しかし……それをして彼女達が喜ぶだろうか?
――答えは否だ。
ならば選択肢は一つしか無い。
腰から刀を抜き放ってドラゴンに向ける。
「ほう……それは、極北の彩色か。古より、優れた武功を打ち立ててきた良い武具だ。しかし、賢者風情に何ができる?」
「一つだけ訂正な。賢者じゃなくて、賢王なんだわ」
俺が言うと、ドラゴンは目を丸くする。
「ほう、賢王であったか。良い、良いぞ。才有る者を踏み潰すのが獣の道楽なのでな」
「言ってろ。所詮お前は蛇の成り損ない。ブツ切りにして、今夜の鍋に入れてやるよ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
刀を構えて、ドラゴンを観察する。
ドラゴンは全身を固い鱗におおわれており、目以外に隙が見当たらない。いや、目すらも弱点ではないのかもしれない。瞑られたら、瞼が鋼でした。なんて事も考えられる。
動かない俺を見て、ドラゴンが面倒くさそうに口を開いた。
「我に弱点らしき弱点は無い。だが安心しろ。水以外の夢級魔法なら、しっかり効くぞ」
「全然信用できないが、まぁいいさ。この剣なら効きそうだしな」
極北の彩色を構えると、ドラゴンが豪快に笑う。
「違いない。極北の彩色に切れぬ物など、そう有りはしない」
「なら、簡単だ。この刀で下ろしてやるよ」
「我を誰と心得る。やれるものなら、やってみよ」
瞬間、ドラゴンが腕を上げる。
――戦いが始まった。
「行くぞっ」
全力でドラゴンに向かって駆ける。鉤爪が迫ってくるが、寸前で全てかわしていく。爪の軌道や関節の動きは全て把握している。
出された鉤爪を刀で受け止め、足を離して体を捻る。鉤爪に掴まった俺にドラゴンが口を開ける。
瞬間、賢者の慧眼で炎属性を禁止する。しかし……。
――ブレスの属性は雷だった。
「くそっ」
雷魔法には耐性が有るが、ドラゴンのブレスはただの雷魔法でなかった。
凶悪な威力を持ったソレは、空気を震わせ音を偏らせ、空間を歪めながら俺に迫る。
「ああぁああっ。食い散らせ」
とっさに出たのは、雷魔法だった。
体中の魔力が絞られ、俺の手から雷の柱が立つ。それはブレスとぶつかって、乱反射し、部屋の床・壁・天井を食い千切っていく。
視界が閃光におおわれ、ドラゴンの笑い声が聴こえる。
「甘いな。賢王が同じ手を喰らうとはっ」
ドラゴンが嬉々として爪を下ろしてくる。
――見えないが、分かってるんだよっ。
鉤爪を避け、再びドラゴンの腕に飛び乗る。その時だった。ドラゴンの頭に巨大な石がぶち当たる。
簡単な事だ。視界がふさがれる寸前に、小石を俺の周りにばらまいた。鉤爪が迫れば小石が鳴るので、その音で定位したのだ。
天井の石も同様に、狙って頭の上に落とした。
「小賢しい真似をっ。この程度、痛くも痒くもないぞ」
「痒くなるのはこれからだぞ」
瞬間、ドラゴンが異変に気付く。
『ガチンッ、ガチンッ、ガチンッ、……ガタガタガタガタ……ガタガタガタガタガタガタガタガタ……ガタガタガタガタ』
サラの呼び寄せたアンデット達が目を覚ましたのだ。先程まで、ドラゴン配下のモンスターと戦っていたアンデット達は、ドラゴンに向かって進んでいく。
それもそのはず、ドラゴン配下のモンスター達は、先程の雷魔法を受けて倒れてしまったのだ。しかしアンデット達は、聖魔法以外に強力な耐性を持っている。
「聖舞級魔法――ホーリ――――」
「させねぇよ」
――賢者の慧眼、『聖制限』。
いかにドラゴンといえども、無限に湧いてくるアンデットを前に聖魔法を制限されては、具合が悪い。
俺の予想通り、ドラゴンは大きな翼を広げた。
そしてドラゴンは、口を大きく開ける。
――ブレスだ。
「邪魔者を排除する。暗黒騎士王が死なぬ限り、アンデットが朽ちぬようだ」
爆音がとどろき、今までで最大のブレスがサラ達に迫る。刹那、俺は懐から宝石を取り出して魔力を込める。
「鬻げ」
瞬間、サラ達を守るように白亜の壁が建つ。壁はブレスを退け、サラ達を守りぬく。
ドラゴンが目を丸くして、驚きに声を震わせる。
「……まさか、『塞の守岩』?」
答える必要は無い。俺はドラゴンの腕を登っていく。
「させぬっ」
ドラゴンの皮膚から無数の剣が生え、俺を切り裂かんと襲ってくる。
――こんなのも有るのかよ。
しかし関係ない。ドラゴンの身体をけり、奴の真正面に躍り出る。
そして感覚に身を任せ、賢王としての能力を手繰り寄せる。俺に使える唯一の幻級魔法。
『賢王の裁き』
中空に金色の羅針盤が現れ、ぐるぐる回る。
『キュキュキュキュキュキュキュキュキュキューン――――』
身体全体を稲妻が走り、俺という存在の核が剝き出しになる。
能汁が溢れて、頭がタービンの如く回転していく。そして全てが見える。どこに何をすれば、どういう変化が起こるのか、どういう軌跡を辿るのか。それが手に取るように分かる。
手の中に巨大な力が現れ、それが無限に細分化され、俺の意のままに織り込まれていく。
無限の指向性を持つ無数の術式が、総体として織り成すコンチェルト、それこそが賢王の裁きだった。
「何だっ、見た事のない……まさかっ、賢王の固有術式――――」
「はあぁあああっ、喰らいやがれっ。裁きを」
羅針盤から魔力の糸がゆらゆら揺れ、ドラゴンの片翼に迫る。
渾身の魔法は、ドラゴンの右翼を食い千切り、ドラゴンが大きく体勢を崩す。
瞬間、極北の彩色がまぶしく光る。ためらう必要は無かった。俺はドラゴンに向けて極北の彩色を解き放つ。
部屋に闇が降り、禍々しい彫刻の施された剣が無数に出現する。それらが順番にドラゴンへと迫る。
――決まった。
夢級魔法の発動を見て、ドラゴンは静かに着地する。
「暗黒迷宮系、か。暗黒騎士王の夢が発動しては、我とて逃げることは叶わん」
ドラゴンは翼を畳んで、うずくまる。そして、俺を見て静かにうなずいた。
「見事。稚拙だが、王座の戦であった」
「――――ッ」
思わず耳を疑う。
夢級魔法は、術者が望む結果を実現する魔法だ。ドラゴンが何もしなければ、確実にその命を刈り取る魔法である。しかし有効な妨害をすれば、その限りではない。
ドラゴンは翼を俺に壊されたが、実力の底はまだ見えていない。諦めるのは早計に過ぎる。
不思議に思い、ドラゴンを見ると、奴の瞳には様々な感情が渦巻いていた。
……寂しさ、悲しさ、虚しさ。
そして何より、うずくまった奴の姿が俺に感じさせた。
奴は――ドラゴンは世界をつまらないと嘆き、ただ過行く時間を眺めていたのだ。
しかし、その強さゆえに近付いてくる人間も居ない。奴はただ一人、薄暗い迷宮の最奥で、訪ねてくる他者を切望していたのだ。
「なぁ、ドラゴン。お前は『一人置いていけ』と言ったな」
「それがどうした? 我は寛大で――」
「置いていかれた一人を、どうするつもりだったんだ?」
竜としてのプライドは有ったはずだ。それでも寂しかったのだろう。
「案外、一緒に暮らそうとしていたんじゃないか?」
瞬間、ドラゴンが否定する。しかし、俺は更に問い詰める。
「賢王の目は誤魔化せないぞ。本当は寂しかったんだろ?」
俺が言うと、ドラゴンは顔を伏せて、うめくように声を発する。
「何のつもりだ? 消えゆく竜に恥をかかせようとしているのか?」
「勝手に諦めるなよ。お前は人間を敵だと決めつけて、下を向いてるだけだ。賢王と暗黒騎士王になら、殺されてもいい? 竜の誇りはその程度なのか?」
俺が言うと、ドラゴンは笑い飛ばす。
「成程。賢王は我を手懐けたいと見た。確かに、王職であれば、我を従える者としての資格も有ろう。だが、どうする? 暗黒騎士王の夢級魔法は防ぎようのない所まで進行している。もはや何も出来まい」
「それはどうかな?」
懐に手を入れ、虹色に輝く石を取り出し掲げる。S級武器である『塞の守岩』だ。
魔力を込めた瞬間、ドラゴンを護るように壁が建ち、それはサラの術式を防ぎきった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
煙が落ち着いたのを見計らい、ドラゴンのもとに向かう。
目が合った瞬間、ドラゴンは宝石のように煌めく瞳を向けてくる。
「我を倒せば、莫大な宝物が手に入るぞ」
「お前には、それだけの価値が有るって話だよ」
右手を前に出し、掌を下に向ける。
指を地面に向けて曲げ、頭を下げるよう命じるとともに、静かに告げる。
「今から俺の守護獣になれ。この世界で最高の景色を見せてやるよ」