エリムの旅の歌 上巻
広く知れ渡る英雄の物語の一つに「エリムの旅の詩」がございますが、彼はその英雄的な行動の最後に辿り着いた沼で哀れを感じるほどに狂ってしまいます。そして、今日まで続く彼の噂話は、それこそ、民衆の間で知らない者はいません。この本では、その物語の真相と共に、現在まで続くある噂の真相を究明したその結果を載せた物である。 ーー注意書き:物語自体は掲載しておりません。そちらは薄汚いヴェックス氏の著作「太古のエリクニル 〜口伝と伝説 六巻〜」に載せられています。
ーー「橋亡き沼」にて、今は亡きスレンにこれを捧ぐ
「エリムの旅の詩の真相」
古代の英雄「エリム」はドラゴンであると同時に人間でした。彼の父は「スルバ」という名のドラゴンであり、その息子である彼は人の姿ながらも川の濁流よりも速く駆けることができ、また、自身よりも高い木よりもっと高く跳び、挙句には口からドラゴンすらも燃やす火炎を吐いたと言われています。その知識は父より授かった無限の記憶を持って吸収し、また母たる人間の「エイダ」に慈悲を教わり、民衆からは好かれ、求婚者は後を絶ちませんでした。「エリムの旅の詩」ではそんな彼が旅に出て、「裏と表の戦争」を追い求めていく様を語るものです。
「エリムの旅の詩」はエリムが友人の吟遊詩人ティヌスから「裏表の戦争」を聞いたその日の夜から始まります。彼は酒場で聞き込みを行い、さらにその酒場で宣言しました。
「この世界に秘密あらば、私が全てを知ってみせよう。我が父、ドラゴンのスルバにかけて!」
この後、父親で、尚且つ領主たるドラゴンのスルバと宮廷内で争うこととなります。殺し合いになることはなかったものの、この争いによってエリムの母、エイダは重傷を負い、エリムはバリンの街を追放されました。さて、この争いの痕跡が、バリン王宮の内部に存在しています。それは、今は立ち入りを許されない「悲劇の間」に他なりません。現在でも、王族も含めすべての人間が立ち入りを許されることはないその場所は、寿命の途切れることがないドラゴンであるスルバが、自身が愛した妻を守るように今も眠っているという伝説があります。言い伝えでは、エリムを追放した後、重傷を負った妻にスルバは罪悪感を感じました。それと同時に妻が死ぬことを恐れたスルバは政を執政である「ファザー家(現バリンの王)」に一任し、妻諸共自身を封印したと言われています。
一方、追放されたエリムはその後の事実など露知らず、宣言通りに「裏と表の戦争」の真実を知るために東奔西走していくことになります。ここで、短い彼の生涯を綴った物語ではいきなり王都に寄っていますが、実際にはその間にトリムの街に行っています。その証拠として、彼が倒したと言われる「驕ったカリスフル」の小さな祠があり、その祠には未だ現存するエリムの小さなサインがあります(気になる方はどうぞ、トリムへ。祠の場所はトリムの総務署すぐ近く、小高い丘の頂上です)。そして、王都に寄った彼は王宮図書館に押し入り、「裏と表の戦争」を調べ上げます(物語曰く、武装した警備兵五〇名を素手で返り討ちにしたそうです。すごいね!)。そして、さらに深く知識を得るために、彼は魔法の森のはずれにある「橋亡き沼」に向かうことにしました。ですが、彼が図書館を出ると、素手で倒せるはずの警備兵に敢え無く捕まってしまいます。実は、バリンの街を追放される時、スルバはエリムに呪いをかけていたのです。その呪いは彼が知識に対する強い欲を持った時にのみ、自身の力、自身の中に眠るドラゴンの力を使うことができるというものだったとされています。そして、彼はこの事実を知らないまま、一生を過ごしています(念のために言っておきますが、カリスフルを倒した時、彼はドラゴンの力を使っていません。悪魔で剣による決闘です)。
捕まった彼は慌てます。そう、王宮図書館に無断で侵入した者は、大体が殺されているからです(現行法でも、図書館に無断侵入したものは重罪、どう侵入したかにもよりますが、エリムの場合が今適応されれば、帝国兵への暴行が含まれていますから間違いなく死罪です)。慌てた彼は、王の前に引き立てられたその時にこう口走ります。
「我が命が助かるのならば、あなたのどんな無理難題でも答えよう。我が体に流れるドラゴンの血にかけて!」
これが王の耳に止まり、当時すでに聞こえた名であったエリムであることが判明します。ならば、と時の皇帝「悩みの王テラ」は都周辺に出没したドラゴンの討伐とその原因の究明を命令し、それが成功した暁には免罪を約束致しました。ただし、この約束は免罪というただ一つの報酬と比べるとあまりに重い約束でした。なんせ、免罪の条件はドラゴンの討伐だけではなく、その原因の究明を兼ねていたのです。ドラゴンは「賢者」でありますが、それと同時に破壊と混沌を呼び覚ます存在としても知られています。知識を際限なく取り込む「賢者」は味方であれば神と等しき守護者、良き為政者に、敵となればどんな軍隊よりも恐ろしい化け物(失礼)と化します。ですが、通常、ドラゴンは人間の敵にはなりません。そう、ドラゴンは「賢者」故、自ら気まぐれに人間の敵になることはないのです。悪魔で、先攻があった場合に限ります。ただでさえ、難しいドラゴンの討伐、並びにドラゴンの領地を荒らした人間(それに準ずる意思のある存在)の捜索。通常であれば、それの報酬はたとえ一国を上度されても足りないくらいです。恐らく、ドラゴンの討伐に失敗しても、その名は永く語り継がれ、それ相応の名誉を与えられるでしょう。しかし、エリムは罪人であるが故、その罪を軽率に許してはならぬと無茶を与えたのです。けれど、エリムは命じられた三日後に、当該ドラゴンの角を宮廷に持ってきてしまいます。エリムは「スルバ」以外のドラゴンに対峙しなければいけない恐怖よりも、「スルバ」以外のドラゴンに深い興味を持ってしまったのです。そうなってはもう、ドラゴンを焼く火炎を持つエリムの敵ではありません。ドラゴンはその鱗を、肉を、ついには骨をも焼かれ、あっという間に息絶えてしまいました。そして、エリムは燃え残った角を証拠として差し出したのです。この角は、現在は首都である「ブリッジ」の宮廷酒場「ドラゴンの角の酒」に展示され、触れることが可能です。角にはその末端に焦げたような黒い跡がはっきりと残っており、ドラゴンが「燃えた」ことが容易に想像できます。ドラゴンをあっさりと討伐したエリムは都を救った英雄と称えられ、ここまでの彼の足跡は語り草になります。エリムはそれを大変嬉しく思いましたが、彼はまだ自身にかけられた罪を未だ許してもらったわけではありません。
彼は栄光に浸る時を持たずして、ドラゴンを怒らせた人物を捜索する旅に出ます。そこで、彼はかの有名な(悪名の高い)魔法使い「公平な魔法使い」に出会い、彼の知識に深い共感を覚えた彼は行動を共に致します。
*ここから先の物語は判明しませんでした。近年、資料の大規模な消失事件があり、ここから先(正確にはここからエリムの旅の終わりの直前まで)の目録や、故事、それらの地方別にまとめたものですら一斉に消えてしまい、ここからは途中まで推察となります。
エリムはここから魔法使いの助言や助力を以って事に当たっていき、「落ちた神々の洞窟」で彼はある偉業を成し遂げました(「三角帽子の魔法使い」が言う内容からそのまま抜き出しております。現在、ドラゴンや長寿のエルフに知識を請える場所は存在しませんので、魔法使いに述べて頂いています)。ここにある偉大な偉業が何であるかは魔法使いが言うには「皆にとって最も良いこと」だそうです。彼はその偉業に免じて罪を許され、魔法使いの案内でついに「橋亡き沼」に到着します。
*ここから現存資料による分析に戻ります。
魔法使いはこの沼に伝わる逸話を一通り述べた後、エリムに注意しました。
「決して沼をよく見てはならぬ。見れば見るほど、沼の底に眠る邪悪と対峙しなければいかん。その邪悪は人にはもちろん、エルフでも、魔法使いでも勝つことは叶わぬ」
そう言い、彼は沼の周りをひと回りだけする。その間に「裏表の戦争」をより詳しく説明してやると続けました。しかし、この魔法使いの発言は、エリムにとっては逆効果でした。エリムはいつも通り、強く宣言してしまいます。
「真実を知れるのならば、その邪悪にも打ち勝ってみせよう。ドラゴンを屠った我が身にかけて!」
彼は言うと、そこで彼を止めようとする魔法使いを、あろうことか追い払ってしまいました。知識欲にかられ、今までの成功から傲慢になりかけていた彼は自身のドラゴンの力を今まで仲間だった魔法使いにぶつけてしまったのです。しかも、そこで魔法使いを屠った彼はさらに増長してしまいます。
「そら見たことか。私は強い魔法使いよりも強く、ドラゴンを燃やす炎を持っているのだ。私に敵う邪悪などいるものか」
言って、彼は沼の前まで来ると、その沼をどんな冒険者よりも激しく強く、まるでそこを食い入るように見ました。
そして、邪悪が彼を覆うのです。
彼はしばらく沼を見続け、やがて疲れたようにその場に座りました。彼はこれを、魔法使いと戦ったから、何か呪いを受けた所為だと思いました。ですが、現実は違います。彼はこの時すでに、深い闇を感じていたのです。闇は彼を覆っていきます。やがて彼はドンドン身体を重くしていき、それを全て魔法使いの所為にして、彼を罵り、呪いの言葉を吐き、ありとあらゆる怨嗟の念を吐き出していきました。それは中身のない卵を割るようなもので、エリムはもう、英雄エリムでは無くなっていました。
彼はさらに、身体を重くすると何も言わなくなり、急に寒気を感じ始めました。丁度、北風に一瞬だけ吹かれるように、彼は身震いをしてこの寒気はどこから来るのかと疑問を持ちました。風はどこからも感じていない。では、あの魔法使いが。いや、違う。ではどこからだろう。彼は重たくなった首を左右に振り、沼を注意深く見つめました。何もない。おや?
エリムは沼の真ん中に違和感を感じ、もっと良く見ようとそこをグッと力を入れて眺めました。すると、それを見た彼はまた、北風の寒さを感じたのです。ああ、分かった。これが何かわかったぞ。
エリムは理解しました。わかった。わかった。
怖い。
彼は生まれて初めて、恐怖と、より大きな邪悪と対峙していることに気が付いたのです。しかし、もう遅いのでした。初めて恐怖を感じた彼は、それにあっけないほど簡単に負けて、その場から動けなくなってしまいます。
そんな彼に、邪悪なものはある物を渡しました。それはやや細長い箱で、しかし、中には何も入れる隙間のないほど薄い箱でした。これは諸説ありますが、これが「裏表の戦争」に強く関係している代物なのには間違いがなく、一説では「ケータイ」と呼ばれる魔道具か、それに近い何かなのだそうです。それが、沼の底より、エリムに向かって流れてきました。エリムは動けなかったはずなのに、それが気になり、ドラゴンの力を使ってそれを手に取りました。箱を開き、すると、箱が光を放ち、とてもこの世の楽器ではない音色で、とてもではないが形容しがたい音楽が突然鳴りました。
そうして、音楽を聴いた彼は、体が軽くなったことに気が付いたのです。それと同時に、今までの状況からは考えられないほど明るくなっている自分がいたのです。顔はえくぼが目立つほどの笑みを作り、心は恐怖を感じる間もないほど晴れやかになりました。
そして終いには、彼には沼が見えなくなり、そこは大量のヒマワリが咲く草原になっていました。彼は箱と、箱から流れる音楽と、そして一面に広がるひまわり畑に絆され、そこを進んで行ったのです。
やがて、沼の中に彼の姿は消えていき、形容しがたい不気味な音楽がいつまでも流れ続けていました。
エリムの旅の歌はここで終わります。彼の物語が歌と呼ばれているのは、この後、エリクニル中に広がったある一つの噂が原因です。彼の英雄譚と最後はもう噂が出る頃には知れ渡り、体系化された後のことでした。この時は「エリムの旅」のみで歌はなかったと言います。その噂は上文にある、「不気味な音楽がいつまでも鳴り続けている」というものでした。そう、「橋亡き沼」では、今もエリムの音楽、「エリムの歌」が響いているというのです。それ故、「エリムの旅」は後味の悪い内容を更に悪くした歌の噂をとって「エリムの旅の歌」となりました。
私は今回、「エリムの旅の歌」に関する真相と題して執筆致しましたが、今後は最後に記述した噂の究明に力を注ぎたく考えております。現地に赴き、その噂が嘘か真かを謹んで調査したのち、この本の下巻に調査内容を記述したいと考えており、この本を購入してくださった皆様方には大変な感謝とまた、皆様の好意に応えられることを願い、これからも精進していこうと考えています。
研究に際し、助力をいただいた宮廷大学考古学界教授、薄汚いヴェックス氏、並びに我が師であり、バリン宮廷大学考古学界客員教授、怪き瞳のカイロス氏に深い感謝をしております。 ーバリン宮廷大学考古学界助教授 スレン
この本を出版してくださった「青き瞳社」の皆様方に大変感謝しております。 ーバリン宮廷大学考古学界客員教授 怪き瞳のカイロス