063 強くなりたいんだろ?
◇
日が暮れる。
夕暮れとともに、木の板を打ち鳴らす音があちらこちらで起こった。これがサーナバラ温泉の閉園時間を告げる音となる。
温泉やタワーからの眺めを楽しんだ人々は帰り支度を始める。最後の客がサーナバラ温泉の敷地から出ると、子供たちが木の門を閉めた。今日はこれで終わりだ。我はサーナバラ温泉の所々に置かれている魔石から温泉敷地内が無人なのを確認する。今日は不届き者はいない。
昨日までは閉園時間となっても温泉敷地内に隠れて留まろうとする不届き者が数多くいた。夜の温泉を楽しもうと考えた者、夜のタワーからの眺めを見ようとした者、ただ隠れて見つからないようにしていた者たちだ。我がその者の所に行くと、すぐに観念して敷地を後にする。
そして、我の一日の仕事が終わる。仕事が終わると敷地の温泉に入る、卵が健在なのを確認する。卵は、今や子供たちの人気者だ。大きな温泉の中にプカプカ浮かんでは、時々沈むのだ。子供たちはそれの何が面白いのか、大声を上げて卵を追い回す。卵も上機嫌のようだ。
夜は造りかけの領主館の一室で休む、寝る必要はないが、魔石の魔力消費を節約するためだ。
◇
主は、ナビ、バレンナ、ラズリとともにベリーグの町へと旅立つ。忘れ物を取りに行くと言って。馬車を引く馬は2頭、すでに旅に必要な物資ば荷台に積んである。あとは、出発するだけだ。
「ソル悪いな、また留守番をお願いして、村の防衛は任せたぞ」
「問題ない、承知した」
「あっ、それからオドンたち5人を鍛えて欲しい、期待の領軍だからな」
「承知、鍛えておこう」
我はオドンの仕草を真似て、胸を叩く。主がこの意思表示を喜ぶからだ。主と我の会話が聞こえていたのか、オドンたちは遠くの空を見ている。何が遠くの空に見えるというのか、肉体強化、いや視力強化の訓練だろうか。頼もしい男たちだ、訓練が期待できる。
「ソル、行ってくるよ、無理しないでね」
「バレンナこそ、気をつけて行ってくるのだぞ」
「うん」
バレンナは我が好きなハグを力一杯してくれる。ハグは良い、人の温もりが感じられるからだ。ナビ、ラズリにも同じようにハグと旅への注意を言った。特にナビとラズリは下手物食いだ、しつこいぐらいの注意でちょうど良いだろう。
主とはハグはしない。我は構わないのだが、主とハグをすると3人に怒られる、長いと。主とのハグは長いので好きなのだが、残念だ。羨ましそうに3人とのハグを見ていた主よ、申し訳ない。
「よし、出発だ」
主の声とともに馬車が進みだした。御者台には主とナビが座り、荷台からバレンナとラズリがこちらに手を振る。ホスバやオドンたちも手を振り返す。
気をつけて行ってくるのだぞ。
主たちが乗った馬車が小さくなり、そして見えなくなった。
さあ、訓練だ。
「オドン、訓練を始める」
「お、おう、お前たちも良いか?」
「「おうさ」」
「それでは、軽く体をほぐしたら、フル装備でここに集まれ。そして、砦(サーナバラ温泉)の周りを5周走れ。そのあと剣の訓練だ、みっちりやるぞ」
「ご、5周! お、おう、野郎ども観念しろ。まずは体をほぐすぞ」
「「おうさ」」
みなの顔が引き締まった。良いことだ。
主よ、屈強な領軍を創って見せよう。
この日より、サーナバラではメイドが兵士たちを容赦なく叩きのめす風景が見られるようになった。サーナバラ温泉に立ち寄った商人や旅人はその姿を見て、サーナバラ領軍はなんて弱い兵士たちなんだと思い、周辺の町に吹聴することになる。
◇
今日も日が暮れ、一日の仕事が終わった。
夜に温泉に入るのが日課となってきた。これも主の指南の賜物だ、メイドは綺麗好きでなければならないという。
温泉に入り星を眺める。主たちも街道の途中で同じ星を見ているのだろうか。
物思いに耽っていると、突風が吹き、温泉の水面がバシャッバシャッと波打つ。
「……」
客人が来たようだ。この気配はこの前の女のものか?
暗闇を睨らんでいると、闇が固まり人の姿になり、こちらに歩いてくる。そして、着物のようなものを着た姿を現す。現れたのはこの前の女だ。女が地に向けて手を振ると、ぼんやりとした明かりがあちらこちらに灯った。
「やあ、こんばんは、4つ目のお嬢ちゃん、元気にしていたかな? また、温泉を味わいに来たよ」
女は我に声をかけながら露天風呂に歩いてくる。後ろには大きなドラゴンの影が見える。
「ここも、この間来た時と比べて、ずいぶんと変わったね。いくつもの温泉、そして高い搭、面白いよ、とても面白い。お前の主かな、こんなことを考えるのは」
「……」
主からは、敵わないなら逃げろと命令されているが、女は敵対するつもりはないようだ。
女が湯船まで歩いている間に、女の着ていた着物が闇に溶けて裸体となっていた。そして、女はそのまま湯船に入ろうとする。
「待て、そのまま湯に入るつもりか?」
「そうだけど」
「ダメだ、体を洗ってからにしてくれ。ここでは、それが決まりだ」
「……そうか、帝国では、どちらでもよかったのだが、お前の主が決めたのか?」
女は特に抵抗もせず、洗い場で体にお湯をかける。
「そうだ、主の決まりだ、衛生を守るためと言っていた」
「ほう、お前の主は東方の出なのだな」
「東方?」
「……そう思っただけだ、気にするな。体を洗ったぞ、これで良いかな、湯に入るぞ」
女は湯船に入ってきた。すると、プカプカ浮いていた卵が女に寄っていく。
「よっ、お久しぶり、元気だったか? ……そうか、なかなかつれない男のようだな、まあ、頑張れ……ところでお嬢ちゃん、お前の主は不在か?」
「ああ、不在だ」
「なかなか会えないもんだな、やつのせいか? ……まあ、いいか、今回も温泉に来ただけだし、そのうち会えるだろうさ」
「先に上がる、ゆっくりして行け」
「おいおい、私を、ひとりにする気かい……この間の戦い、見せてもらったよ」
領主館に帰ろうと、湯から上がり歩き出して止まり、振り返って女を睨む。
「そんなに睨むなよ、そう睨むと、そんな顔に成るぞ。そんな顔を、お前の主は望まないんじゃないか?」
「やはり、あの時に感じた気はおぬしか? 微かに感じた気は」
「分かったのかい、すごいじゃないか! お前成長しているのかい、こりゃますます面白い」
「……」
「だが、あんな戦い方じゃあだめだ。強くなれないよ、強くなりたいんだろ? 強くなる方法を教えようか?」
女は目を細め、口元は笑い、悪魔のように囁く。
「……いや、聞くのは止めておこう……嵐が来ようと、それを受け入れ我が道を行けと」
「へぇ、それもお前の主かい」
「いや、主が教えてくれた武士という人の話しだ」
我は湯船から出て領主館へ向かった。女の声が背中にかかる。
「ふーん、それじゃヒントだけだ。魔物は魔素を産み出せるのさ、精進してもっと強くなりな、楽しみにしているよ、お嬢ちゃん」
あの女が、温泉にやって来ました。また、サブローたちは会えませんでした。
次回、緑の4つ目




