052 友だちと家名
◇
「トアちゃん、わたしも手伝うよ」
「ありがとう、じゃあ、こっちをお願いね」
バレンナは右手にナイフ、左手に芋を持って皮剥きを始める。さすが貴族様だ、芋の皮を剥くんだ、でも、皮を剥くなんてもったいないなぁと思いながら。
バレンナとトアのふたりは、ひとつの大きな切り株に仲良く腰かけ、芋の皮を剥く。この館の食事作りだ。
「バレンナちゃん」
「なぁに?」
「うん、バレンナちゃんは領主様の妹だから、皮剥きはやらなくてもいいんじゃない?」
「そうなのかな? でも、わたし暇だし、なんかやってないと恐いし」
「そうだね、恐いよね。奥様は大丈夫だ、代わりの者が見つかったら解放してくれるって言っていたけど」
「うん、きっと大丈夫だよ。ソルもいるし、サブロー兄さんも来てくれるよ」
「サブローさんって、ちょっと変だし頼りないよね、来てくれても……」
「えー、そんなことないよ、だぶん……きっと……何とかしてくれるよ」
「それにしても、ソルさん格好良かったなぁ。わたしもあんな風になりたいな」
トアちゃん、ナイフを振り回したら危ないよ。それにナイフと剣じゃ、全然重さが違うから。
「そうだね、一応、わたしも訓練しているけど、あんなことが出来るとは思えないよ」
「そうなんだ、バレンナちゃんが、あんなに強かったら好きになっちゃうよ」
「えー、ひどーい、今は好きじゃないのー」
わたしは、ちょっといじけた声を出す。
「うん、全然好きじゃない……今は、大、大好きでーす」
わたしも大好きだよと、トアちゃんとじゃれあった。
◇
「どうですか、旦那様の行方は? まだ連絡はありませんか」
館の主とおぼしきドレス姿の女性が椅子に座って、机の前の若い騎士に問い質している。
貴族の館の一室。部屋にはモザイクガラスの大きな窓があり執務用の机と椅子がある。椅子の背後には本棚があり、本や小物が置かれている。部屋の隅の角テーブルの上には大きな花瓶があり、隣にコップと水差しがあった。
「ハッ、まだ我軍からの連絡はありません。反撃の機会をうかがっているのかと思われます」
「それならば、良いのですが……」
敵軍との会戦にて自軍の一部が裏切り、味方は敗走と、伝令が館に情報を届けてくれた。人の良い旦那様が騙されるのは仕方ない、しかし、そのやり方は貴族の誇りにかけると言うものだ。どうか旦那様がご無事でありますように。
「あの者たちは、どうしていますか?」
「ハッ、バレンナ殿は、新しく雇い入れた娘と家事を行っております」
田舎の領主は大変だ、それは良く知っている。自分もそうだったから。貧しい領主は、家族で畑を耕さなければ生きてはいけないのだ。あの娘もそうなのだろう。
「他の者は?」
「オドンという従者は、我々と一緒に戦いの稽古をつけて貰っております」
「ソル殿にか?」
「ハッ、そうであります」
ソル殿は、サーナバラの領主の家来だという。バレンナ殿とは主従を越えた間柄に見えた。バレンナ殿からは甘えと信頼が。ソル殿からは必死の保護が。まるで家族のようだ。
「ソル殿はどうですか?」
「ハッ、すばらしい武人であります、尊敬するであります」
若い騎士は、目を輝かせ答える。
今、館に残っている騎士たちは皆若い、若いゆえに戦いの練度が低い。簡単に言うと弱いのだ。しかし、彼らより若い女性であるソル殿が、200もの軍勢を追い返したのだ。それもひとりで。
この目で、彼女の戦いを見ていなければ信じていなかっただろう。
「わかりました、下がりなさい」
「ハッ」
若い騎士は、胸に右腕を添えて浅い礼をすると、部屋から出ていった。
部屋の主は目を閉じ、ここ数日間のことを思い出した。
◇
懇意の商人が、依頼にあった下働きにと娘を連れて来た。
それは出兵の決定が事の発端だった。館の料理人たちは従軍となり、残る使用人から戦いを忌避した者たちが館より去って行った。そして、館には料理人が不足して懇意の商人に斡旋を依頼していたのだ。
数日後、下働きの娘を追うように、サーナバラの領主の妹のバレンナという娘が従者を連れて現れた。商人の食糧運搬の後をついて来たと言う。
その娘と連れてきた商人に応接の間で合う。
商人を問い質すと、後をつけられました申し訳ありませんと言う。いけしゃあしゃあと。わざと後をつけさせてここまで案内したのだろう。人の良い事だ。
まあ、良い。旦那様も笑ってお許しになることだろう。商人もわかっているのだ。
現れた娘には微笑ましさがあった。何もかも田舎の娘なのだ、自分の若い頃と同じで挨拶もろくにできない。
目の前の娘は、いきなり核心の話を始める。そこには貴族らしい駆け引きなどない。
「貴族の奥様、トアちゃんを買い戻ししたいのですが、お願いします」
「領主の一族たるもの、最初に名を名乗りなさい」
「はい、奥様、えーと、バレンナと言います、初めまして、トアちゃんを」
「待ちなさい、家名も名乗りなさい」
「家名ですか?」
「そうです、貴族のつき合いとは家の付き合いなのです、家名を名乗って初めて挨拶となるのです」
「……」
バレンナと名乗った娘は、後ろに膝をつき控えている従者となにやら、ゴニョゴニョと相談している。全く行儀の悪い。これまで誰にも貴族の振舞い方を教わることはなかったのだろうか?
相談が終わったのか、娘は向き直り挨拶を始めた。
「奥様、わたしはサーナバラの領主サブロー・サーナバラの妹、バレンナ・サーナバラと言います。以後よろしくお願いします」
まあ、良いでしょう。作法はなっていないが誠意は伝わってくる。
「わたしは、ヨーマイン太守、モシャバ・ヨーマインの妻サクレ・ヨーマインです。以後見知りおきを。それで当家にはどのような御用で、いらっしゃったのかしら?」
バレンナと名乗った娘は、自分の領地民の娘が誤って奉公に出てしまったので、取り戻しに来たと言う。領民一人のためにそこまでするとは、どのような関係なのか?
聞くと親友だと言う。東の地方では領主一族と領民の間の距離はそれほど近いのだろうか。呆れるとともに、羨ましくも思える。今はない実家のようで。
バレンナ殿は、金はあると言う。
「すまぬが、すぐには返せぬ、金の問題ではないのだ。代わりの者が見つかるまで、もうしばらく待っていただきたい」
王国の貴族ではないが、これ以上敵を作るわけにはいかない。旦那様も望まないだろう。商人には追加で使用人の斡旋を依頼しなければ。
すぐには領民が解放されないとわかると、バレンナ殿は領民が解放されるまで館に滞在したいと言い出した。戦いで暗くなっていた我が館が明るくなればと許可した。
そんなときだ、敵軍が現れたのは。
バレンナが家名を決めました。オドンとの相談ですが。なお、トアちゃんは大好きです。
次回、撤退する理由