043 望む者
◇
暑い、とにかく暑い。
滝を過ぎた辺りから徐々に気温が上がりだし、今は蒸し風呂に入っている気分だ。沿海州の低地に入ったことが、いやでもわかった。馬上にいるだけでも、じわじわと汗がでる。
だが、しかし。
ああ、気持ちいい。
ナビがみょうに冷たい。ナビの体が。
ひんやりとして気持ちいいのだ。この体を味わったら二度と離れられない。
ナビの背中にペタと張り付き、暑さを凌ぐ。もぞもぞと嫌がるナビに、まとわりつく。
ぐへへ、逃がさないぞ、ナビ。お前の体は俺のもんだ!
パカパカと歩んでいた馬が止まった。
ん、なんだ。
「サブロー、い、い」
いい?
「い、い、か、げ、ん、に、しろー」
ナビの強烈な肘鉄と、視界に迫る地面を最後に俺は、意識を手離した。
◇
俺が気がつく頃には、ベリーグの町に着いて入街していた。貿易都市を標榜しているだけあって、入街料は無料だったそうだ。
意識の無い俺は、手足を括られ馬上の荷物。気がついてからの俺は歩きだ。
へえ、この町の人たちは帽子を巻いている人が少ない。
早速、ガンオのおっさんが懇意の商会に連れていってくれた。商会の旦那は不在だったが、番頭が丁寧に対応してくれる 。番頭の話では、治癒の術者はこの町の神殿に滞在して治癒を施しているとの事だ。
よかった、間に合った。
その術者のいる神殿の場所を聞くと、丁稚に案内させると番頭が言ってくれた。助かる。ただ、そう言ってくれた番頭の顔が曇っていたのが気になった。
丁稚に案内され神殿まで来ると神殿前には誰もいない。治癒を求めて長蛇の列になっているかと思っていたのだが。
そして神殿は、砂漠の神殿のような大きいものではなく、こじんまりとした石造りの家って感じだ。同じ神殿の敷地には粗末な平屋の長屋が2棟並んでいる。
コンコン、コンコン
「すいません、どなたか居ませんか?」
木のドアを叩き来客を知らせる。少し間が空いてドアが開いた。中からは顔色の悪いおばさんが出て来た。
「どちらさま?」
「こちらに治癒の術者が居られると聞いて訪ねて来ました、ぜひ、お会いしたいのですが」
「あらあら、術者さまへ訪れた方ですね、中へどうぞ」
おばさんが中に入れてくれた。神殿の中は真ん中を衝立で区切っていた。入口の部屋には使い古した長椅子と机が並べられている。机の上には書きかけの札。
札? ……読めん。
「ごめんなさいね、散らかしていて、そちらにお掛けください」
「いえいえ、こちらこそ、急にお邪魔して」
治癒の段取りがわからないので、俺たちは椅子に座った。術者が登場するのか?
俺たちが座ると、おばさんも座り説明しだした。
「私は術者さまの受付をお手伝いしている神殿の者です」
「……」
「術者さまにお会い出来るのは、治癒を望む者とその家族のふたりまでとなります」
「……」
「また、術者さまとお会い頂いている間は、他の方には、この神殿から出て頂きます、どなたがお会いになりますか?」
「ふたりまでですか?」
「はい、術者さまがふたりでないと治癒の術が施せないと申しております」
丁稚は店に戻った。ガンオは後から来る者たちが心配なので迎えにいくと言い出ていった。ナビは美味しい店を探しておくわと神殿を出た。
まあ、俺とラズリだよな。
「では、ご案内します」
おばさんは俺たちを衝立の奥の部屋に入れると、入口の部屋に戻った。
奥の部屋には、採光の小窓、砂漠の神殿にあったような石の祭壇、対面状の長椅子があった。そして、膝をおり祭壇に祈りを捧げている老婆が居た。
「……」
老婆の祈りを邪魔しちゃいけないと黙って待つ。
「……」
長い!
「……」
長いけど、声はかけない。かけられない。小心者だからな。
老婆の祈りが終わり、立ち上がると椅子に座った。
「若いの、見かけによらず、礼儀を知ってるね、いい心掛けだ」
ここでも見かけかよ。
「治癒をお願いに来ました」
「治癒以外、何しに来るっていうんだい」
「……」
そうだけどね。
「どっちだい、治癒を望む者は」
「はい、この子です」
俺は、ラズリを前に出す。
老婆はラズリをじっと見つめると言った。
「この子は治癒なんか望んで無いようだね、帰りな」
ええぇ、ちょっと待った。
「ちょっと待ってください」
俺は、ラズリを部屋の隅に移動させ、かがんでラズリの目を見て聞く。
「ラズリは目を治したくないのか」
「……」
「遠慮しなくてもいいんだぞ」
「……」
困った。出会った頃の表情だ。諦めたような表情だ。どうしよう。
「すいません、この子の目を治したくお願いしたいのですが」
「ああ、問題ないね、治るよ。ただし、治癒を望む者の意思と代償が必要さね」
老婆から治ると聞かされた。
「ラズリ、治るよ、目が治るよ」
「……」
「ラズリは何か治したくない訳があるのか?」
フルフルとラズリが首を振る。
なんだろう、ラズリが躊躇する訳は?
「治したいけど、治せない、治しちゃいけない……」
俺が、独り言のように呟くと、ラズリの目にじわりと涙が滲む。
治しちゃいけない、なぜ?
「誰かに言われた? お父さん、お母さん?」
「違う」
ラズリが強い反応をする。
この娘は罪を感じているのかもしれない。両親は亡くなったのに自分は生きていことに。そして、目が治ることに。
ラズリ、そんなことはないんだよ。
話をちょっと変えよう。
「ラズリ、俺は誰だ」
「サブロー」
「そうだ、サブローだ。ラズリのなんだ」
「……」
「お兄ちゃんだ、俺はラズリのお兄ちゃんなんだよ」
「……」
そうだ、俺は、ラズリのお兄ちゃんなんだ。
「俺は、ラズリの目が治ってほしいって思っている」
「……」
ああ、そうか。
俺が、治癒を望む者なんだ。
ラズリの目を治したいんだ。
それが、俺の意思なんだ。
「俺も、ナビも、バレンナも、コネドロさんたちも、村のみんなも、そして、亡くなったラズリの両親も」
「ラズリの幸せを望む者なんだ」
「ラズリは、目を治していいんだよ、幸せになっていいんだよ」
「ん、サブロー」
俺は、ラズリを強く抱き締めた。
◇
「そろそろ、いいかい、あたしゃ気が短いんだよ」
「はい、すみません。俺がこの娘の治癒を望む者です」
「おや、そうかい、では椅子に座りな」
俺とラズリが椅子に座ると、老婆は魔石を取り出した。
「ふたりとも、これに手を触れるんだよ、本当の家族か確認するから」
ふたりで魔石に触る。老婆は魔石を見つめ言う。
「細い絆だね。まあ、いいさね、治癒には問題ないよ」
俺とラズリはお互いを見て微笑み合う。
やっと、家族になれたんだ。俺とラズリは。
「治癒の箇所は、この娘の右目でいいんだね」
「はい」
「ん」
声がそろった。また、お互いを見て微笑み合う。ラブラブだね、俺たち。
「じゃあ、若いの、お前さんの右目をもらうよ」
「えっ?」
サブローは混乱しました。物理的な代償が必要です。
次回、海を眺める男
次回更新は11/7の予定となります。