132 条件がある
◇
「ちょろいぜ、兄貴」
「どうだ、俺の言った通りだろ」
「ああ、いつもこんなに楽だと良いのによ」
「どれどれ」
若い男が俺の服をまさぐる。そして、金の入った小袋を見つけると服から抜き取り、男は小袋の口を開けて覗き込んだ。
「おお、こいつ結構持ってるじゃないか。当たりだぜ、こいつは、ハハハハ」
「兄貴、俺にも見せてくれ。こりゃ、すげえ。初めて見たよ、こんなにたくさんの金貨」
俺は少女を見る。良く見ると髪の毛が長い少年が女の服を着ているだけだった。
なんだよ、騙されたのか俺は。背中が熱い。下半身が動かない。逃げられない。見逃してくれるか?
俺は、息を潜めて死んだ振りをしている。若い男たちは金貨に夢中で俺の事は忘れているようだ。
(ナビ、ナビ)
(ん、どおったの。サブロー、もぐもぐ)
(騙されて刺された。立つことも出来ないんだ。助けてくれ)
(ブブッ、いつの間に、どこにいるのよ)
(路地の奥だ)
(路地の奥? どの路地よ)
(わからん)
(わかったわ、探すから待ってて)
ナビと会話するのにも額に汗が流れる。俺の体の中から何かが抜けていき、力も気も入らないのだ。徐々に痛みも薄らいでいき、眠くなってくる。眠ってはダメだと自分に言い聞かせるものの、眠さにはあらがえず俺は目を閉じた。ただ少年たちの声だけが聞こえてくる。
「兄貴、こいつどうする」
「顔を見られたからな。次の世に送ってやれ」
「そうだな、俺たちにこんなに金貨をくれるんだ。俺たちが次の世に送ってやろう」
そう言って少年の歩く音が俺に近づいてくる。きっと俺の血で真っ赤になったナイフを手に持っているだろう。
少年は、靴の爪先で俺を突っつく。何も反応出来ない俺、静かに息だけしている。
「こいつ、もう虫の息だぜ、兄貴」
「早く、送ってやれ。人が来るぞ」
「ああ、わかったよ」
少年が屈み込みナイフを振りかざす。すると、そこに突風が吹き荒れた。少年はナイフを振りかざした腕で目を被い、風に押されて後ろに下がった。若い男も後ろ向きになって風をやり過ごす。
「サブロー、サブロー、どこー、おーい」
風に乗って俺を呼ぶナビの声が届いた。俺はその声に安心して気を失った。
「まずい、人が来た。逃げるぞ」
若い男は路地の奥へと駆け出す。それを見た少年が後を追う。
「兄貴、待ってくれ」
ふたりが去るといつしか風は止んでいた。最初から狭い路地は静まりかえっていたかのように。
◇
ナビが路地の奥に倒れているサブローを見つけ、駆け寄っていく。
「あっ、やっと見つけたよ。こんな奥まで来てたらわからないよ。サブロー、サブロー」
ナビは屈んで、ぐったりしているサブローを覗き込む。そして手をサブローの頬に添えた。
「もう、こんなに血を流して。サブロー、死んじゃうよ。次の世界だよ。まあ、それもありかも知れないけどさ」
ナビはサブローの背中に手を触れ、傷を確認している。そして、立ち上がり顎に手を当てて呟いた。
「参ったな。これじゃあ、あと持って一刻って所じゃないの。もう、サブローのバカ。まだ、食べたかった串焼きがあったのに」
そう言ったあとナビが何かに気付き、キョロキョロと周りを見る。そして、何もない路地の一ヶ所を睨んだ。しばらくナビが、そこを睨んでいると路地が歪がんだ。徐々に歪みが拡がり人が通れるほどの大きさになった。その歪みの奥をナビは睨んでいる。その視線に耐えかねたのか歪みの奥から女が現れた。そして、女が現れると歪みは逆にしぼみ始め最後には消えてしまった。
女は黒目、黒髪で褐色の肌だった。女を見たナビが鼻を鳴らして言った。
「ふん、サブローを助けてくれたのかな」
「まあな」
女はナビに答える。ふたりとも決して友好的なムードではない。ナビは声を発せず女から目を離さない。女が折れた。
「その男を助けようか。今にも次の世界に行きそうじゃないか。私なら助けられるぞ」
「じゃあ、助けてもらおうかな」
ナビの目から険がとれる。しかし、反対に女は目を細めた。
「条件がある」
「もう、なに、面倒な事はやだよ。言ってみなよ」
「私をあの世界に送って欲しい」
再びナビの目が険しくなった。ナビに睨まれたとたん女の雰囲気が弱くなった。
「あの世界に行って、何をするつもりなのかな」
「何も、何もするつもりはないさ。ただ、見てみたいんだ。私が関わった世界がどうなったのかを、この目で見てみたいんだ」
「うーん、どうしようかな」
ナビは何もない路地の壁を見る。しかし、ナビの目はどこにも焦点が合っていない。
サブローの体がビクッと震えた。
「おい、こいつ、ヤバイんじゃないか。どうするんだ。助けるのか、助けないのか。それに、あの世界に行くのは、なにも本体でなくても良いんだ。人形はいくらでも残っているんだろ」
再び、サブローの体がビクッビクッと震える。
「おいッ」
「仕方ないな。人形だよ、本体はダメだからね。面倒だし、時間かかるし」
ナビが女に答えると、女は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに引き締めた。
「もうひとつ条件がある」
「何?」
「こいつも連れて行きたい」
そう言うと女は、路地から見える狭い空を見上げた。その視線を追って見上げたナビはため息をつき答えた。
「他にはあるのかな、条件は」
「いや、ない」
「わかったよ。その条件で良いよ。ただ……」
「ただ、なんだい言いなよ」
女は、嬉しそうな顔から警戒する顔に変わった。ナビが悪巧みする顔で女に言った。
「私にも条件があるよ。なに、大した事じゃないから、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
「……」
女は警戒を解かない。
「3つあってね」
「なっ!」
「大丈夫、大丈夫。ひとつ目は、あちらの世界では指定の場所に住んでもらうよ。それから、ふたつ目は、あちらの世界風の名前を考えておいてね、二人分。で最後のは……」
最後の条件をナビが言うと、女はケラケラと笑いだし言った。
「ああ、お安いご用さ、代理人」
◇
「うおっ」
俺は飛び起きた。
周りを見ると、そこは見覚えのある場所だった。昨夜泊まった宿屋の部屋だ。部屋の鎧戸は閉められ、部屋の片隅に置かれた光の魔石がほのかに部屋の中を照らしている。
俺は着ている服の中に手をいれ、少年に刺された箇所を触ってみる。
痛くない。傷もなさそうだ。助かったんだ。
俺はベッドに倒れ込んだ。
俺は少女を助けようと路地に入った。それは嘘だった。俺を騙すための演技で、俺はナイフで背中を刺された。そして金を奪われ止めを刺されようとしたら、ナビの声が聞こえて……そうだ、ナビ、ナビは大丈夫か。奴らに何かされていないだろうな。
再び、俺は飛び起きた。
部屋の反対側にあるベッドに、腹を出して寝ているナビがいた。俺は寝ていたベッドから降り、足音を立てないようにナビが寝ているベッドに近づく。
スウスウと静かな寝息でナビは寝ている。ナビが起きなようにベッドの端に座ってナビを見る。少しだけ、ナビの髪の先に触れた。
「ナビ、ありがとう。助けてくれて」
俺は小さな声でナビに言う。
「どういたしまして」
ナビがゆっくり瞼を開け、緑色の瞳で俺を見詰める。ナビが返してくれたのだ。ナビが見上げる瞳は優し気に俺を見ている。
「サブロー、大丈夫、どこも痛くない?」
「ああ、大丈夫だ。どこも痛くない」
ナビは両手を伸ばし俺の頬に添えた。左右の頬に添えられたナビの手はとても温かいものだった。
「ダメだよ、無茶しちゃ」
「ああ、悪かった、気を付けるよ」
ナビは俺の頬から手を離すと、こんどは右手の人差し指で俺の鼻先を押さえた。
「良かった。安心したよ。じゃあ、明日から頑張ってもらわないとね」
「ん? おう、任せとけ」
ナビは俺の鼻先から指を離しパタンをベットに投げ出し、緑色の瞳を閉じた。
「じゃあね、おやすみ、サブロー」
そう言って口も閉じたナビは、白磁の人形のようだった。
「ああ、おやすみ、ナビ」
俺は自分のベッドに戻って、すぐに眠りに落ちた。
サブローは刺されましたが、ナビと謎の女に助けれました。三番目の条件とは?
次回、皿洗い