110 (訪問者)私の日常
◇
初夏の午後、私はぼうっと自宅の小さな庭を眺めている。お父さんもお兄ちゃんも出掛けて家にはいない。午前中に掃除や洗濯も終えて、軽い昼食も取った。夕食の買い出しにはまだ早い。
暇だわ。
最近は、なびちゃんが遊びに来てくれたり、お兄ちゃんが彼女さんを家に連れてきて紹介してくれたりと忙しい日々があった。今日は、なびちゃんが来るのかしら。お兄ちゃんは、次にいつ彼女さんを連れてくるのかしら。
そういえば、三郎が急に帰って来たと思ったら女々しく愚痴るから活を入れてやったんだったわ。今頃、三郎は元気に頑張っているかしら。自分の世界を見つけて上手くやっていけるか心配だけど、信じてあげなきゃ。自慢の息子ですもの。
なびちゃんが遊びに来てくれるようになってから、どんどん私たちの世界が動いているわ。三郎は良い娘と知り合えたわね。
そんなことをぼんやりと考えていたら、午前中に庭に蒔いた水がキラリと光った。
お散歩にでも行こうかしら。
遠出をするつもりはないが、少しお洒落をしてお出掛けする。家の玄関の鍵を回しながら耳を澄ます。
時間の谷間なのか車の走る音が無い。夏には早いのか蝉たちの鳴き声も無い。道路に出ても人影も無い。風も無い。
空を見上げると、白い飛行機雲がゆっくりと青い空に溶けていく。
静かな午後。
町中を歩き公園に入る。誰もいない砂場、ピクリとも動かないブランコ。公園の中央に転がるボール。誰も遊ぶ者はいない。
公園のベンチに腰掛けて世界を見る。世界は誰もいなくても回っている。東から西へと太陽と月は追いかけっこをしている。白い雲が浮かぶ空と白い三日月を見ながら、そんな妄想をした。しばらく妄想を楽しんだあと頭を振りベンチから立ち上がった。
公園の前のコンビニに入る。電子音が軽快に鳴り響く。店員はいない。奥で品出しでもやっているのだろうか。お客さんも店員もいない店の中をぐるりと一周して店から出た。
誰もいない町。
強い日射しを手で避けながら町を歩く。誘われるままに神社の参道に来ていた。短い参道の先には上の境内に続く階段がある。両端にある木々から木漏れ日が降り注ぎ、階段にいろいろな形の影を落とす。
一段一段踏みしめながら登っていく。最後の段を登りきると広い境内に着いた。境内の端には大人数人が手を繋がないと囲めない太さの幹を持つ楠の大木がある。神木なのかしめ縄がかけられていた。
境内の外は藪になっていて、小動物たちがが出てきそうな雰囲気がある。
にわかに風が吹き、大木の葉を鳴らす。
さわさわ
境内に出来る大木の影が、万華鏡のように形を変える。鳥の鳴き声もしないなか、風に揺れる葉の擦れる音が境内に広まる。
ここは、別の世界。日常と切り離された非日常の世界。人の世界であり、人の世界ではない。神の世界であり、神の世界ではない。そんな狭間な世界。
今、私はどちらの世界にいるのだろう。
私は、上を見上げぐるりと境内を見渡した。何か舞い降りて来ないかと思いながら。
そよ風が囁く。神の声で囁く。頭の中に囁く。
お願いをしたら。
私は、誘われるままにお賽銭を入れ鈴を鳴らす。二礼してからの柏手の音が境内に響いた。
お父さんが健康で過ごせますように。三郎に怪我がありませんように。お兄ちゃんたちに早く子供ができますように。子供はちょっと早かったかしら。まずは早く結婚できますように。
手を合わせてお願いしていると、誰かに見られている感じがする。体の芯まで見透かされる、しかし、とてもとても優しい眼差しを感じる。願いが届いた感じだ。
お願いを神様は聞いてくれたかしら。聞いてくれたら、それで良いの。そしたら自分たちが努力するわ。神様は見守ってくれていれば。
一礼して下がる。
鳥居をくぐり自分世界に戻る。階段を気を付けながら降りた。参道を出て一礼したら階段の上から巫女が私に手を振っている。
この神社って確か無人だったわよね。疲れているのかしら。
目をぎゅっと閉じ少し目を休ませる。そして、ゆっくりと目を開けてみる。階段の上に巫女はいない。
やっぱり幻覚だったのかしら。少し、なびちゃんに似ていたかしら、あの巫女さん。さて、散歩もおしまい。家に帰らなくっちゃ。
公園を通り過ぎ家の前まで帰ってくると、家の前でなびちゃんが私に手を振っている。片手にお気に入りの和菓子店の袋を持って。
遠くで子供たちの遊ぶ声が聞こえる。鳥が鳴いて飛んでいく。空高く飛行機の音が微かに聞こえる。
町が音を取り戻した。
◇
「お母さん、お帰り。いつものお店で大福を買ってきたよ。今日は豆大福にしてみたよ」
手を振っているなびちゃんは、初夏らしい涼しげな服装だ。決して巫女さんの衣装ではない。私は、笑いだしてしまった。なびちゃんは、なになに何か面白いことがあったのと聞いてくる。
「アハハハ、ただいま、なびちゃん。教えてあげるから家に入ろうか」
「うん、それと今日は、私からもお願いがあって話を聞いて欲しいんだよね」
「良いわよ。聞いてあげる」
私は、家の扉を開けた。
私の日常に帰って来た。お父さんとお兄ちゃんとなびちゃんがいる日常の世界に帰って来た。そして、なびちゃんがまた楽しそうな事を運んで来たようだ。楽しみだな、フフフフ。
お母さんの昼下がり。なびが何やら面白い事を運んで来たようです。
次回、フィナは見ました。