4.外国語で話しかけられたから答えなかった。
教授との食事は、それはそれで満足なものだった。
はっきりいってご飯がやたらめったら美味しいのだ。
今まで私はこんな、ランチメニューが一品料理でない店に入ったことなんて一度もなかった。お昼といったら、それこそスパゲティのみとか、チャーハンだけとか、そういうのが当たり前だと思っていた人間なのだから、こうやってとっかえひっかえいろいろなお皿が並ぶ場所というのは、それこそ中学の頃にやったマナー教育とかいうやつ以来かもしれない。修学旅行先で、西洋風料理を食べさせ、テーブルマナーを学ぼうだなんていう、ある意味で雅な教育方針が我が母校にはあったのである。
それより数年前は、京都で湯豆腐をつっつく感じだというのだから、その方が良かったのに、なんて何人かの友達と愚痴をこぼしあったのを覚えている。形式張って食べるよりわいわい豆腐をつついた方が絶対に美味い。ああ、昨今、豆腐も豆つながりでややバッシングを受けている感じだろうか。納豆ほどではなくても以前よりは売り上げが落ちているのだそうだ。
教授も久しぶりのちゃんとした食事が嬉しいらしくて、美味いのう美味いのうと、にんまりしながら、フォークを進めていた。おまけに納豆はないんかのう? なんて言って店員さんを困らせていたりもした。
今はちょうど、メインディッシュのお魚のポワレを頂いているところ。ポワレなんて当然私が知ってるわけもなくて、店員さんにきいたところ、水分を加えず、バターだけで蒸し煮した料理だということだった。だったら、魚のバター蒸し煮って名前でいいと思うのだけど、何事もお上品にというのがこういうお店の信条らしい。
教授がナイフをつけているのは骨付き仔羊のローストで、香ばしい香りがこちらまで漂っていた。
「教授はなぜ、研究の道に入ったんです?」
談笑を楽しみながら、教授がいかにも聞いてくれという雰囲気だったので質問してあげると、やっぱりものすごい嬉しそうな笑顔で教授は答えてくれた。
「わし、諦めが悪いほうじゃったんよ。どうしてもやりたいことはやれないとイヤでのう」
「やりたいことっていうのは?」
いちおうこれで自身の担当教官でもある人だ。その性格の一部でもつかめれば少しは過ごしよい一年になるかもしれない。そう思って少しだけ前屈みで質問をすすめていく。
「わし、昔は、気象博士になるのが夢じゃったんよ。うちの田舎はよく荒れる地方での。作物の出来だって、台風一個でおじゃんになるような暮らしでのう。必死にがんばったんじゃよ。でも、落ちてしもうての」
会話は終始こんな感じ。教授は、なにやら自分からは言い出したくないんだけど、聞いてくれ聞いてくれオーラをだして、それについて私が質問する形になっていた。
「そいで考えたわけじゃね、別のルートはないものかと」
「別のルートが工学ですか?」
「結局、こっちにきても別の研究ばーっかりやらされてなーんも好きなことはできんかったけどのう」
仰るとおり、確かに教授の研究でそんなのがあったという話はなかった。
言いながら落ち込む教授に私はなにも声が掛けられなかった。私なんかが何かを言えるような問題じゃないのだ。経験もなにもかも足りない状態で、上手い言葉が浮かぶはずもない。
「エクスキューズミー」
そんなとき、私達のテーブルが大きな影に染まった。せっかくキラキラしていた白ワインも見事に影ってしまっている。
「なんじゃなんじゃ」
教授も不満そうに顔を上げると、その先にそびえ立っていた金髪の大男を見た。見るからに肩幅なんかもがっしりしていて、教授や私なんかと比べるともう、大人と子供くらいの差だ。
彼はなんだか英語でペラペラと教授に何かを話してたのだけど、残念ながら口語を聞き取るだけの英語力なんて私にはないので、何を言っているのかさっぱりだった。それでも、彼がなにかやたらと熱心に話しているのと、テラフォーミングがどうのという単語だけは理解できた。
突然の訪問者をどうやって教授はあしらうのだろう。
「わし、英語わからんもんねー」
「って、教授ー!」
彼があらかた話し終えたところで、教授は耳をほじくりながらやる気無く言った。
さすがにそれはないだろう。教授は海外で公演をしたこともあったし、論文だって書いているという話だ。
話が通じないのを知ると、立ちはだかっていた大男はノーと言って、帰っていった。
「日本に来るなら、通訳の一人もつけんといかんのう」
仔羊のローストの最後のひとかけらを咀嚼しながら、教授はため息をついた。
どうにも教授としては、郷に入りては郷に従えというのを信念としているらしい。アメリカに自分が行くならもちろん英語は必須。でも、日本でまで英語が通用して当たり前と思っているのは、間違いなのだとか。そりゃ、確かに共感はできる考えだけれど、勢い込んでしゃべっていたさっきの男の人は気の毒だ。
「さっきの人は、なにを言ってたんです? テラフォーミングがどうのって聞こえましたけど」
「なに、雨を納豆に変換できるシステムがあるのなら、惑星を開拓するためにその技術を使いたいと言ったんじゃよ。まだ研究が途中なら資金援助なんかもいくらでもすると言っておった。まぁ確かに飛来物Nは不安定じゃからのう」
「平和利用のために協力ですか。いいじゃないですか」
宇宙事業の一翼を担うだなんて、科学者としては最高の栄誉だと思う。
でも、教授は渋い顔をして、言った。
「でも、わしはなーんも知らんのよ。みんなあんな授業だけでどうしてわしが首謀者なんて決めつけるんじゃ……納豆を題材に使ったのはたった一年だけじゃったのに」
「だからこそ、じゃないのかな」
ぽつっと呟いたのが教授の耳にとまったらしく、怪訝そうに視線を送られて私の方がびくついてしまった。
「いえ、確か去年はマシュマロで、一昨年は牛乳でしたよね。ということは、納豆のみを降らせる事ではなくて、雨を何か別の物に変える技術がある、って思ってみんな教授に期待を寄せているのではないですか?」
納豆だけ降らせるのならば、はっきりいって迷惑千万だけれど、それ以外が使えるとなると俄然有用性が見えてくる。ちゃんと制御すればすばらしい富をこの世界に与えてくれる産物になるだろう。もしもそれが現実味を持っていれば、今どころの話ではなく、世界各国の人間が教授の下に殺到するに違いない。そうなっていないのは、納豆が空から降ってくる授業をやったというだけでは、あまりにも信憑性がないからだ。
彼らが探しているのは、金銀財宝の眠っている大鉱脈。そこに至るためならどんな些末な情報だろうとつばをつけておくくらいはするだろう。
「だとしたら、あれかの、雨を爆弾に変える研究でも望むやつらはいるんかのう? そんなのができたら、この世界はすぐに終わりじゃ」
たしかに、それにはぞっとしない。私もさきほど想像した事だけれど、それが人為的に行われるとしたら、究極の兵器ということになるだろう。雨が飴になるという未来道具を昔テレビで見たことがあるけど、そんな幸せな景色とはまるで違うものになる。
軽く震えていると、教授は、そんなに怯えんでよろしいといって続けた。
「期待を寄せるやつなんぞ、頭がどっかイカレてしまったやつに違いないのう。わし、たんに仮定の話をしただけじゃし」
「そうですよねぇ」
私も力無く呟いて、ポワレの最後の一かけを口に運んだ。
そう。私の想像もあくまでもすべて仮定の話。現実問題として教授にそんなことができるはずはないだろうし、そもそも今の段階では、雨を何か別の物質に変換して保存する技術、というのはどこにも存在しないのだ。
「それよりも、デザートを楽しんだ方がいいのう。ほれほれ、ぷるぷるじゃよぅ」
カスタード・プティングを子供のように喜びながら教授は口に運んだ。私も、シャーベットにスプーンを入れる。軽いゆずの酸味が食後にはちょうどよかった。
『飛来物Nを断固阻止すべし!』
研究室に向かう道すがら、そんな文字を見つけたのは、五階の端にある会議室の前でのことだった。大きな看板に書かれていて、文字もなにやら怨念というか、これを書いた人はよっぽど納豆が嫌いなんだなというのが一発でわかるような文字だった。
「おお、明石、お前も来いよ」
前を通り過ぎようとすると、ひょっこり顔を出してきた同じ研究室の男子生徒に手招きをされた。
「何事なの?」
物珍しそうに会議室に入ってキョロキョロ見渡すと、他の研究室のメンツもずらりと揃っていた。いつもは教授会だったり、その他の学校の先生達が使っている部屋なので、ここに呼ばれるのは珍しかった。
「さて、君で最後かの」
後ろからの声に振り向くと、そこには教授が立っていた。何事が起きたのかと周囲を見回すと、やはりこちらにも、飛来物N研究会なんていう看板が掲げられている。
「今日はよく集まってくれた。これより、飛来物N研究会を発足することをする」
何がなんだかわからない状態にもかかわらず、話は先にどんどん進んでいた。陣頭指揮を執っているのは、隣の研究室の教授だ。他にも、もう二つくらいの研究室の教授の顔が見えているから、もしかしたら四つか五つくらいは合同でやっているのかもしれない。
「この会の主旨は、飛来物Nを断固阻止するための物である。参加は強制ではないことをあらかじめ述べておく」
前から声が流れている間に、資料が回ってきた。分厚い紙の資料で、飛来物N研究会のシステムなどが書かれていた。本来こんな研究室の垣根を越えて、合同で研究することなんてないんだろうけど、それほどこの飛来物Nが大事だということなのだろう。
陣頭指揮を執ってる隣の部屋の教授は、拳をぷるぷる振るわせて演説をしていた。飛来物Nの危険性などをとにかくひたすら語っている。もしこれが悪用されたとしたら、史上最悪の兵器になってしまうやもしれないなどと、不安を漏らす人もいた。
さらに、会への参加は基本的に自由で、別の研究をしてもいいということなのだが、それを選択した場合、学校側のサポートは手薄になるということを話していた。
「教授も参加されるんですか?」
「もっちろんじゃよぅ、あんな濡れ衣きせられては黙ってはいられんしのう」
話が一段落したところで、後ろに立っている教授に小声で話しかけると、やはりいつもみたいに戯けた答えが返ってきた。
よくよく考えると、教授が合同研究に参加するという意志決定をしなければこうはならなかったのだから、ここにこの人がいるのは当たり前だ。
「君はどうするんじゃ。あまりやる気はないんじゃろ?」
小声で話していたのが見咎められたのか、周囲から凄まじい視線がこちらに送られているのが肌で感じられた。
飛来物Nを人間は恐れなければならないという、ある種の強迫観念のようなものが、この場所には渦巻いているようだった。たかが、納豆の幻になぜみんながここまでヤキモキするのか理解に苦しむものの、それでもこうもギンと睨み付けられると、小心者の私には断ることもできなかった。
だって、飛来物Nの究明といったところで、きっと我々学生は手足になって動く戦闘員に過ぎないわけだし、私一人が欠けたところで、研究に支障がでるとも思えない。
だったら、学生のうちは自分の好きなテーマで好きなことをやりたいと思うだろう。
きっと他にも、私と同じような人間はいるんだと思う。
眼を血走らせて、飛来物Nは抹殺すべしと言い合っている人達とは別に資料をやる気無く見ている人達の姿も見えたからだ。
「これにて、研究会第一回目の会合を終わりとする」
それを見ていたら、すぐさま顔合わせ的な意味合いで始まった会は、閉会となった。
結局、その研究会から出る決意をした人間は一人もおらず、こうして飛来物Nを研究する機関が『また一つ』誕生したのである。
世界の共通語。それが先進国で通じない国が日本というところです。
せめてヒヤリングくらいはできるようにしておかねばですよね……orz
話せない、とわかったら、NOと言って去って行くのでは無く、つたない日本語で話はじめたら教授は取り合ったのかも知れないなぁと、少し思っています。