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2.講義は退屈だったので最後には寝ていた

 あの講義は、ある意味で大学内では名物の授業といって良かった。

 変な教授が変な授業をやるらしい。入学当初に真しやかに囁かれた噂だった。あの授業だけは絶対に取っておいた方が良い。いや、忍び込んでおくべきだ、とまで言われるほどの盛況ぶりだった。実際、私はそんな噂なんてまるっきり知らなくて、たんに授業の内容だけで決めたんだけど、初日の混雑ぶりにはもう呆れ果てた。なんせ、四百人は入るような巨大な講義室のすべての席がぎっしり埋まり、その上、周囲の空きスペースにはパイプ椅子が立ち並び、それでも足らなくて立ち見が出るくらいの盛況ぶりなのだ。


 隣に座っていた人の話によると、毎年恒例の姿らしくて、この『空から降ってきた』シリーズはここ十年手を変え品を変え、語られているのだそうだ。

 この年のテーマは『納豆』。もし、納豆が空から降ってきた場合、どうなるだろうか、という話を永遠九十分に渡って語った。


「この世界において、我々は変化を司る学徒である。故に、大いなる変化をもたらした場合、どのような経過をたどるのかをあらかじめ考察しておかなければならない」

 工学の授業と言うよりも、社会学系な授業だなと思いながら私はその授業を聞いていた。例えば、空から納豆が降ってきた場合、どういう状況になるのか。小学生に見せるような絵をパソコンで映しながら、懇切丁寧に状況を説明していった。


 続いて、生徒が状況を把握したら、例えば、納豆がねばねばっと空から降ってきたら、君はどう思うかね、なんて生徒を指して質問を始める。

 答えは、「戸惑い」だったり、「反抗」だったり「受認」だったり、「逃避」だったりに収束されていた。まず、驚いて、それから起こったことを理解した上で、各人、さまざまな対応を答えていた。ちょっと気のつく頭の良さそうな生徒は、原因を突き止めるために動く、なんて先生ウケしそうな答えをしている。


 私の答えは、確か、その納豆が自分に及ぼす影響を考慮した上で、無害ならば別のことに力を注ぐ、だった気がする。実際降ってみても、私の対応はそんなもんだった。この納豆が自分にもたらす影響はと考えて、それよりも目の前に山のように転がっている問題の方が優先だった。結局、この納豆、政府が言うところの『飛来物N』は私にとってたいして価値のないものだったわけである。


「さて、では、まとめてみようか」

 教授は黒板に変化に対応した社会の対応というのを、少ない文字で書き連ねていった。それぞれの行動によって、どのような結果が待っているのか。樹形図のようなものが黒板に完成する。けれど、収束した最後の部分は空白にされていて、もったいぶるように、教授は生徒に尋ねた。


 ここに何がはいるかね、と。


 問われた生徒は、あれやこれや考えずに、わかりませんと答えた。

 変化の終着点、そこに入る言葉が誰も見あたらないのだ。教室にいる半分くらいの他の学年の生徒達からは、軽い苦笑が漏れているものの、教授はちゃんとしたこのクラスの生徒だけを指名しているようだった。


「それで……どうなったんだっけ」

 最後に入る文字を思い出そうとして、私は頭をひねった。もう三年も前の授業の話だ。確か最後は寝てしまって、友達にノートを写させてもらった記憶がある。みんなはこの授業は楽しい楽しいっていってたけど、実を言うと私にしてみれば退屈だったのである。


 覚えているのは、我々学術の徒は世界に変化をもたらす存在であり、その変化は多くの人間に影響を与える物だから、それを十分承知しておきなさいということだ。それだけを言うためにあの例を持ち出したのだろうから、それだけ覚えてればいいやと思ったんだろう。

 実際そのあとの授業では、そこそこの成績を修められて単位も取ることができた。その、最後にはいる言葉は、別にたいしたことなんかじゃないと、その時は思っていた。




「いかんのう、明石くん。肝心な所がわかっとらんとは」

 詳しく語って欲しいと言われて、授業の様子を出来る限り答えたのだけど、教授は少しだけ難しい顔をして、私をたしなめた。おまけに、そんなにわしの授業は退屈かのう、哀しいのう、わし、なんて言いながら泣き真似までされてしまった。


「前の日、バイトで夜が遅かったんですよっ」

 あまりにも、その泣き真似がわざとらしすぎたので、私は大慌てでそんな言い訳をしてみせた。でも、私だけを責めるのはどうかと思う。そりゃ、あの講義は多くの人間に人気があったけど、あの授業はあまりにも退屈だったのだ。なんせ、題材が納豆の降る街である。苦しい受験戦争に打ち勝ってようやくさぁやるぞってところであれでは、意気が削がれてしまう。きっと、おもしろおかしくだけしか受け取らない人にしか、あれは受け付けられない。


「だいたい、みなさん、同じようですね」

 優男がわずかに嘆息してシャーペンをメモ用紙にポトンと落とした。

 彼の持っている紙を見ると、そこには最初から多くの事柄が書かれているのがわかる。

「他にも呼ばれた人はいるんですか」

「教授のあの授業を受けた生徒には全員伺ってますよ。あなたで最後です」

 なんとなく聞いた質問だったのだけれど、それの答えには驚かされた。あのクラス全部っていったら……四百人は越える。


「ああ、教授の授業をとった全部、ですから二百人程度ですかね」

 それを察してくれたのか、彼は付け加えた。

 それだとしても、すさまじい数だ。それほどの労力を教授のあの授業に対して払っているのが信じられなかった。


「でも、あんなの、変化に対する考察の授業ってだけじゃないですか。たったそれだけで、そんな……」

「飛来物Nの究明のために多額の資金もでていてね、どんな些細な糸口だって見落とせないんですよ」

 男は再び嘆息して言った。

 なるほど。こういうところに、例の納豆対策特別予算、今では飛来物N対策になってしまったが、これが豊潤に使われてしまっているというわけだ。


 タイトルと工学部という名前で、もしかしたら納豆を降らせる技術の解説なんかをやっているんじゃないか、なんて彼らはおおいに期待していたのかもしれない。

「まぁ、お手上げです。もう少しなにかあると思っていたんですが、ちょっと無理でした。上にはそうやって報告することにします」

 彼は降参といった風に手を挙げてから軽く腕を組んだ。

 そんな緩みきった姿を見ながら、私も軽く嘆息してみせる。呼び出されて役に立ちませんと言われるのは、徒労以外のなにものでもない。


「お前さんは、なぜ、空が納豆に染まるのを阻止しようとしているんじゃ?」

「そんなもの、上からの命令ですからね」

 今度は反対の耳を小指でほじりながら、教授はやる気なく言った。


「おまえさんも大変じゃのぅ」

 やはり緩みきった答えを聞いて、教授が人ごとのように同情の色をみせる。

 彼は、いえいえ、仕事ですからと、やっぱり緩んだ答えをくれた。さっきの強面の男の方は納豆に過剰反応をしていたけど、この人はどうやらそれほど興味はないらしい。


「まぁ、そんなわけで、もうお二方とも帰って結構です。ご協力感謝します」

 どうぞと言われて、扉を開けられると、私達は外へと連れ出された。教授も当然一緒で、くたびれた身体を動かして、釈放じゃーいと小躍りをしていた。納豆が降ったらどうなるかという授業をしただけで嫌疑をかけられたのでは、教授も堪らなかっただろう。


「最後に一つ、聞きたいのですが……ああ、君にね」

 外の光が見えるようになって、優男は私の方に尋ねた。

 なんです? と立ち止まって聞き返すと、彼は言いにくそうに頬を掻いた。


「もし、君に、雨を納豆に変える技術が有ったとしたら、発表するかい?」

 誰かがこれをやったんだとしたら、なぜ彼はでてこないのか、と優男は言いたいらしい。

 一般的に、この飛来物Nの現象は人為的なものだと考えられている。自然現象というにはいくらなんでも突飛すぎて、起こりえないと推測されたからだ。ならば、これほどの事をやらかした人物は、何かしらの犯行声明なりなんなりを出して然るべきだというのが彼の考えのようだった。


「私はしませんね。納豆が降ってもいいことないし、実際名乗り出ても反感しかかわないでしょう? 今の納豆屋さん見て下さいよ。彼らにこんなことできるはずがないってわかってるのに針のむしろじゃないですか」

「確かに、あれはひどいな」

「必要とされない研究ならまだいいんですけどね、明らかに人様の目に見えて害か、もしくは将来的に害になりそうな不安感がある研究ってなかなかできないですよ」

 そう言うと、わかったありがとうと言って彼は頭を軽く下げてくれた。そんな姿を見ていたら、差し出がましいようだけどもう一言付け加えたくなった。


「犯人を見つけ出すことも大事かもしれませんけど、この納豆が何を引き起こすのか、この後どうなるのかっていうのを考えた方がいいのかもしれません」

 肝心なのは、これからのことだ。例えばこの後、この納豆が突然爆発物に変化して、地上に落下して被害を及ぼす、なんてことになったらかなり不味いことになってしまう。

 それを、神妙に聞くと彼は私達を見送ってくれた。


 これで外が明るくて眩しかったりすると最高なのだけど、やっぱり空は薄暗くて、ものの見事に納豆が降り盛っている。納豆が降ってるなんていうと、飛来物Nだ、とすぐに訂正されてしまいそうだけど、やっぱりどこからどうみたってこれは納豆にしか見えなかった。


「えらいめにあっちゃいましたね……」

 警察署から少し離れたところで、いささかやつれて見える教授に、私は声をかけた。

「あやつらも手ぬるいのう。やるなら、もっと、派手にやればいいんじゃ。例えばわしの教え子を全部洗い直すとかのう」

 けれど、教授は微塵も捕まっていたことを腹立たしく思っていないらしく、滅茶苦茶なことを言った。


「早く出られたんだからいいじゃないですか」

 もっと調査をするというのなら、教授はずっとあの建物の中にいることになる。けれどそう宥めても、教授はやじゃいやじゃいと首を横に振った。

「あの刑事が好かんのよ。わしゃぁ、でかい男のほうが共感もてる」

「別に気にしないんだから、いいんじゃないですか? 今のところ飛来物Nは害になるわけでもないですし」

 言うと、教授は複雑そうな顔をして、鈍ってしまった肩をこきこきと鳴らした。


「あやつは、最初調査にのりのりじゃったよ。関西出身で納豆大嫌いじゃしの。でも、一週間も経って調査が進まなかったもんで、逆に興味を失ったってわけじゃ。最近の若いもんは、こらえ性がなくていかん」

 それで、と言いながら教授はゆっくりとこちらに視線を移した。

「明石くんは、これの研究はするのかの?」

 そう問われても、私は絶句するしかなかった。あんな話をされた後では、なかなか自分の意見なんて言い出しにくい。


「……しませんよ。たかが納豆が降ったくらいで、ガタガタ騒ぐ必要なんてないじゃないですか。今のところは概ね平和なんですし」

 でも、私は自分の意志を隠すことなく告げた。世間はどんどん追従する形で進んでいるみたいだけれど、教授のご機嫌をとって飛来物Nの研究に一年も時間をかけるのはイヤだったのだ。


「ははっは。面白い子じゃのう。みんな慌ててるのにそんな事をいうとは」

 意外と私の答えが満足だったのか、教授は嬉しそうに笑うと頭を掻いた。

「みんなが慌てるのなら、私なんかが別にそれをやる必要はないと思います。この後のっぴきならない事態になったら、自分に出来ることをやるつもりではいますけど」

「自分にできること?」


 問われて、やはり少し考えてから、私は答える。

「たとえば、今の納豆は、このとおり」

 傘の外に手を差し出してやると、空から降ってきた納豆の粒が手のひらに落ちて消えた。あの独特の粘り感はどこにもないし、普通の雨水だ。


「手のひらについたら、ただの水に変わってしまう。でも、これが戻らずに元の納豆のままだとしたら、かなり大問題になりますよね?」

「そうじゃのう」

 こうなったとしたら、必死に研究を始めようと思いますと、私は続けた。教授なら、私が考えていることなんてきっと全部お見通しだろう。


 もしも、それがかなってしまったら、実のところ大問題どころの話ではなく地球が滅亡するかどうかという話に行き着いてしまう。雨が納豆になって下に降り積もるとしたら、結局最終的に雨として落下する水がすべて納豆の形に変換され、地球上の水のすべてが納豆になってしまう。そうならないで済んでいるのは、地面に落ちたら納豆が水に戻るからだった。


「でも正直いって、それは起きないと思っています。広範囲で物質を変換するなんてあらゆる科学が全部ふっとんじゃう」

 私が落ち着いてそういうと、教授はうんうんと肯いた。

 水を納豆に換えるということは、つまり、物質そのものがなんの外力もかからずに換わるということなわけだ。質量がエネルギーに変わる、とかいうのならまだしも、全く別の構造の、別の材料の物質に換わる事は普通ありえない。


「じゃあ君はこれをどういう現象だと思っとるんじゃ?」

「私は、単に概念を変えるだけの装置があるのではないか、と思うんですよ。認識というのかな、例えば黒いものが黒く見えているのは、それが黒だと思っているからであって、それそのものが黒であるという確証はない。つまり「アメ」と呼ばれているものが、納豆に見えるような、受け手側に作用する何かではないかと思うんです」

「なるほどのう」

「観測データなんかを見ないとわからないと思いますけどね。ビデオに映った事に関しても、映ったそのものが「アメ」という名前である以上、見る側はそこに納豆を見てしまうんじゃないかなと」

 教授の前で偉そうに推論を述べているのを思い出して、私は思わず口を噤んだ。私ばかりが喋るのではなく、教授の意見も聞いておかなければならない。


「教授は、どう思っているんですか?」

「わし? わしはなーんも知らんよ。ただ……」

 その時、タイミングを計ったかのように教授のお腹が鳴った。

「ただ、腹が減ったのう。おまえさんにも迷惑かけたし、どうじゃ、もしよければ飯を一緒に食わんか? わし、美味いもん食いたい」

「美味いもん……ですか?」

 これからの予定は確かになにもなかった。学校はこれからいっても間に合うけど、とうの教授がここにいるのだし、今更行く気力もあまりない。


「その前に、ちとシャワーを浴びてもいいかのう? このなりでランチはさすがにわしでも嫌じゃ」

「え……?」

 そう言われて教授の後について角を曲がると、ピンク色やらオレンジやらの看板が光っているのが見えた。どれもこれも、同じ単語が書かれていて、下には料金が書かれている。

(シャワーっていったらそりゃホテルだろうけど……)


「なにしとるんじゃ、明石くん。こっちじゃよこっち」

 その場で立ち尽くしていると、教授がその先にある建物でくいくいと手招きをしていた。

「漫画……喫茶?」

「そうじゃよー。最近はこんな所でもシャワー使えるからいいのぅ」

 値段表なんかがでかでかと書かれた看板と、きらびやかな宣伝文句が並んでいる壁は他のホテルとは浮いて見えた。


 漫画喫茶というのは時間制で漫画が読めるという施設で、ちょっと人生に疲れたときとか、終電に乗り遅れたときの夜明かしなんかに使う場所。家が近いから滅多にないけど、時々遠出して宴会なんかになると、使うこともある。女一人で夜明かしっていうと物騒だって高校の友達なんかには言われるんだけど、ファミレスや居酒屋で一泊過ごすよりはかなり有意義だ。え、ちゃんとホテルとれって? そんなの貧乏学生には酷なのだ。そういうところではなるべく余計なお金は使いたくない。


 それに、最近の漫画喫茶はインターネットカフェだなんて名前が横文字になって、すっごくいろいろな事ができる複合テーマパークに様変わりしているから、それも魅力。手湯や足湯があるお店とか、ご飯がしっかりしてるお店とか、場所によってはネイルアートなんてのをやってくれるところもあるそうだ。

 シャワーも最近は標準装備になっているお店が多くて、サラリーマンなんかには愛用されているらしい。もちろん私は、そういうところでシャワーを使うのに抵抗があるから体験したことはないんだけど、なかなかに便利だという話だ。


「すまんが、ちぃとばかり待っててくれるかのう」

 受付を済ませて席が決まると、私達はそれぞれ個室に通された。

 個室には少しばかり古びたパソコンとなかなかクッションのきいた黒くて革っぽい椅子があった。個室というと豪華な広い部屋を想像するかもしれないけど、大きさはだいたい一畳分くらいで、よくアメリカの会社なんかである、フロアーは一つなんだけど個人のブースがそれぞれ小さい箱で区切られているみたいな構造と言えば正しいだろうか。教授のブースは一つ隣で、立ち上がって背伸びをすれば、すぐに隣も覗く事ができる。


 教授は一階にあるシャワー室のほうに行っているから、隣はもぬけの空。あと数分もすれば戻ってくるのだろう。

 男の人とくると、大概ペア席なんてのを勧められるんだけど、さすがに教授とはペアだと思われなかったらしい。

 この年の差でペアというのは確かに常識外だし、そういう雰囲気には見えなかったことだろう。

 さて。そんなわけで、時間も空いてしまったわけだけれど、このままただ待っているだけ、というのも芸がない。

 ちらりと時計をみつつも、私はパソコンの電源をつけて、飛来物Nについての情報収集をすることにした。

文体って大切なのね、と少し思う今日この頃です。えええ。ネタがつまらないっていう噂もありますか、そうですかっ。

くぅっ、現実ものは人気ないですよね……でも最後までアップしますヨ。


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