絶望が堕ちてくるまで
一葉と結がこのゾンビのいる世界で目が覚めてから一週間が経過した。
ゾンビの正体を知った一葉はその後ノアといくらか口論を繰り返したのちに、結にもゾンビの正体を伝えるように説得した。彼女にも知る権利はあるはずだ、と。
散々悩んだ二人とは対照的に当の結はといえば、
「へぇ、ゾンビ?つまり被弾したのにその後もプレーし続けちゃうあれ?」
「いやサバゲーの話はしてねぇよ」
と暢気なものである。
また、少しの間この世界に住んでみてわかったことがいくつかあるらしい。
一葉曰く、
「そのうちゾンビになるかもしれないって奴を世間はなんでこうして放っておいているんだ?」
ノアが答える。
「一応、月に最低1回協会で審査を受けるのが義務になっていて、精神状態が安定していればそこで無害認定を受けるから」
「協会って?」
「二人の感覚で言えば、政府みたいなものかな、この世界の中心区を管理してくれている機関のこと、みたいな」
「んー、まぁいいや、その審査を放棄したら?」
「そりゃあ、ね、だめなんじゃないかな」
「なるほどな…」
「もちろんそれでも私たちを嫌う人はたくさんいるけれど、紋章を持っている人のほとんどがきちんと人の役に立つ仕事をしているから、一般的には迫害とかは全くないよ」
それは当然、少しでも精神に異常をきたしたなら、有害認定されその場で殺害対象になるであろう、ということを示唆しているが、一葉はそこまで踏み込まない。
また、この世界で生きていくにあたって、必要不可欠なものとして、
「ノアは普通に日本語喋ってたけどさ、ここの公用語とかって…」
「あぁ、皆日本語通じるよ」
「そうなのか?」
「通じるというか…たとえば私は日本人とドイツ人のハーフで、日本語もドイツ語、というかまぁラテン語圏なら大体できるかな、とにかくいくつか言語を話せるけど、人の発言も本に書いてある言葉も自分が意識した言語に変わるんだよ、不思議なことに」
「つまり…それもアドバルンの不思議な紋章の力とやらのおかげで言語障害はここでは起こらないってことか」
「そうみたい」
「じゃああとは通貨とかは?」
「あー、それだけは本当に謎なんだけど、なぜか円なんだよね…」
「なんでだよ…ワールドワイドの欠片もないな…」
「私に言わないでよ」
「まぁでも円なら少し安心したよ」
「安心、ってどうして?」
「ほら、ここんとこノアに色々お世話になりっぱなしで特に何もしてなかったからさ、お金とかも心配だったんだ、でも円なら少し余裕があってだな」
そう言いつつポケットから財布を取り出す一葉。
その中には、およそ高校生が所持しているような金額をはるかに超えた額が詰め込まれていた。
「なにこれっ!?いちょー、これいったい、どこから盗んだの!?」
「人聞きの悪いことを言うなよっ!?たまたまこっちの世界来た時に財布も一緒に来てたからさ、んで、俺、前は、まぁ、その、そういう生活してたからさ」
そういう生活をしていた、と錯覚を起こすほどに精神が壊れてしまっていたとは言わない。
ついでに、そういう生活にうんざりしていた、とも言わない。
「へぇぇ、お金持ちって本当にこんなにもお札を懐にいれてるんだねー」
その後二人の会話に結が参加し、
「あれ、一万円札だなんて、都市伝説だと思ってました友達が私をからかってるもんなのかぁって」
「ユイ…お前…本当に貧乏だったんだな…」
「結ちゃん…」
「なんですかこの空気!?」
微妙な空気になったのは余談である。
「さて、今日は買い物に行きましょう」
朝食を3人仲良く食べ終わった後、勢いよく立ち上がってノアが話し出した。
「お洋服、このままじゃよくないからね」
結がむすっとした表情で異を唱える。
「えー、このジャージかわいいのにー」
「いやいや、いつまでもそんな寝間着を着まわしてていいわけないでしょ」
結がさらにふくれる。
「ノアちゃんこそ、なんで、そんなスーツばっかり何着も持ってるのさ」
「仕事柄、こういう目立つ格好の方が楽だし」
ノアはパンツスーツをたくさん持っている。
主な理由としては二つ、一年前にこの世界に墜ちてきた際に着ていたということと、紋章の力でモンスターを倒す際に目立つ格好をしておくことで町の人に容姿を覚えてもらいやすく、いわゆる地域密着のような友好関係が築きやすかったことが挙げられるらしい。
「どーせいちょーがお金はたくさん持ってるみたいだし、今日のお買いものはおごりということで、ね」
「うわ、まぁ、いいけどさ…」
「それに、ついでに、中心街にでも行って、二人の無害認定を早めにもらっておこう?」
「なるほど…それは確かに他人事じゃあないし…このまま穀潰しでいるわけにもいかないし…な?」
「…かわいいお洋服、買っても、いいのかな…」
結がまた、二人とは違うところが気にかかってる、その事実にようやく気付いて、思わずため息をこぼす一葉とノア。
結は、服を買う、つまり生活に必要な最低水準としての衣服ではなく、ある程度おしゃれを意識した買い物自体に慣れていないのだった。
「すんげぇ金持ちのおぼっちゃんことこの俺がおごるからさ、気にすんなよ」
と一葉。
「私はスーツを気に入ってるから良いけど、結にはもっとかわいいスカートとかたくさんあるんじゃないかな、一緒に探そ?」
とノア。
それらを受けてようやく結も自分の考えを改める。
「ン…モウスコシ、ワタシ、ワガママ、ナル…」
「もっと肩の力を抜きなって…」
こうして3人で買い物に出かける運びとなった。
目的は服の調達、および協会にて一葉と結の精神の無害認定を受けること。
無論、一葉は自身のことを振り返って、
(贔屓目に見ても、俺、今は、ちゃんと精神、安定してるよな…?)
という不安があり、当然結は自身のことを振り返って、
(贔屓目に見ても、私、今は、ちゃんと幸せ、に生きてるよね…?)
という不安があったが、お互いそれを声には出さず、ただ一人、ノアだけが、
(なーんか、二人の様子、変なような…?)
と内心を多少なり察するのであった。
もちろん察したところで声には出さないが。
「じゃあ、とりあえず、中心街こと”モールズ”まで歩こうか」
「ん?アドバルンのワープは使わないのか?」
「あれは確かに便利だけど、そんなに遠くないし、あれに慣れちゃうのは怖いからね」
「運動が大事なのはわかるけど…あるものはやっぱり使っていきたい派だな俺は」
「もちろんあるものを使っていきたいのはわかるけどね」
「ま、ここんとこ全然動いてなかったし、ちょっとは運動しないとかな」
「そうそう、あるもの全部使ってたらどんどんダメになっちゃうからね」
「なんかすごい実感のこもった話だな…」
「アドバルン太りってものがあってね…いえ、なんでもない」
「えー、ノアちゃん全然太ってないじゃん、すらっとしててきれいでかわいいよ?」
「結はまだ16でしょ!20超えたら自分に自信はなくなるものなの!」
「やめろ俺はまだそういう赤裸々な話を聞きたくない!」
「ということはあと4年は私の胸にも成長する余地が…」
「それは本当にやめてくれ!」
「そのうち結にもわかる日がくるよ…女同士のかわいいが…悪口に変わる瞬間が…」
「なにそれすごい気になる!」
「牛乳、乳揉み、大豆、キャベツ、etc…」
「そんなん頼ってないで普通に日々バランスの良い食事を摂れよ!」
と、ここまでふざけたところで一葉の中にまた別の疑問が生まれる。
「そういえば…胸ってでかくなるのか?」
生まれたが、まだふざけているテンションのままだった結とノアは純粋に気持ち悪いと感じ、露骨に一葉から距離をとった。
自身の発言から数秒、ようやく自分の言葉の不適切さに気付いた一葉は顔から火が出る気持ちで慌てて続ける。
「いやっ、ちがうって、そうじゃなくって、真面目な話でさ!」
じぃっと一葉のことを睨む結がいまだかつてなかった低い声で言葉を返す。
「男の人がする胸のサイズの話が真面目なわけがないじゃないですか気持ち悪い」
「だから、胸に限らず、俺たち、今、その、不死身なわけだよな、不死身って、体の成長はどうなるんだ?例えば傷口は塞がるわけだよな、具体的には”今の自分に戻ろうとしている作用”が働いているのであれば、ひょっとしたら、と思ってさ」
一葉の言葉を受けてすぅっと結の顔が青ざめていく。
どうやら考えもしていなかったらしい。
「ノアちゃんどうなの!?私、もしかしてもうダメなのかな!?」
苦笑いをしながら、ノア。
「あはは…まぁ、私も1年間しかここにいないから、私自身の経験っていうものはそんなに多くはないんだけど、紋章の力を仕事にしている方の中にはもう齢800歳になろうって方もいらっしゃるって聞いたことがあるよ」
「ということは…?」
「あー、まぁ、もしかしたら、このままなのかもね」
結が膝から崩れ落ちる。
目にうっすら涙すら浮かべてノアの足元に飛びつく。
「う、嘘だと言って欲しいんだよノアちゃん、私、別に自分が大人っぽくないのは十分知ってるんだけどね、一回くらいはなんかきちんとおめかしして大人の女性っぽい振る舞いをしてみたかったんだよ?でもでもこの体じゃあもうそれはもう無理なのかな?」
「そこまで…重たく考えなくっても、さっきいちょーが言ってた通り、自分が、自然に成長するモノだって認識ができるのであれば、年月とともに細胞が変化してくれるんじゃない?根拠はないけど」
「あーっ最後早口で小声でちまっと言ったの聞こえたよ!やっぱりそうなんじゃん!」
「今のままで結はかわいいよ」
「うわーんもっとなぐさめてーっ」
ノアに抱き着いて泣き出す結。
もうこの二人はこれから買い物に行くことを忘れてるのではないか、などと一葉が疑問をもつほどにその場を離れようとしない。
ノアの話が本当なら、特になにもなければ、自分達の体はこの今の状態のままで四半世紀以上保たれるらしい。
その事実は覚えておけば後で役に立ちそうかな、と考えつつ、そろそろ買い物に出かけたい一葉は二人におそるおそる声をかける。
「おふざけモード入ってるところ悪いんだが…」
「「ふざけてないよ!!」」
即答だった。
しかもハモった。
「もういいよ…」
結局3人が家を出るまでに、更に小一時間を要したのだった。
その後。
ノアの家からゆっくりと5時間ほど歩いて、ノアに連れられて一葉と結はこの世界の中心と呼ばれる街”モールズ”までやってきた。
ゆっくりと。
5時間。
歩いて。
「いくらなんでも遠すぎやしないですかね!?」
「いやいや、中心街まで歩いてたったの5時間で着くってなかなか近いとは思わない?」
「そりゃ人里離れたなんて表現してる割には近いのかもしれないけども!なんか半分以上山道だったし!そんな舗装されてない道歩いて5時間かかるくらいならこの世界のワープ使おうぜ!」
「ウォーキングはちょっとやそっとじゃシェイプアップには…」
「やっぱお前のダイエットの一環なんだな!?」
というやりとりを経ての到着。
世界の中心、”モールズ”。
この街に足を踏み入れた者がまず最初に目にするのは、ただただ巨大な一本の樹木。
無論、アドバルンである。
しかしここモールズに存在するアドバルンはこの世界の他のアドバルンを遥かに超える大きさを誇り、雲を突きぬけようというほどである。
古来より人々はこの特別大きなアドバルンに寄り添いながら生活を営み、文明を発展させてきた。
そして世界で最も人の行き交いが多いこの街は、当然、多種多様な商業によって形成されている。
通りは風呂敷やテントや屋台などを拠点とする出店で溢れており、通貨が普及しているとはいえ、未だ物々交換の風習も残っている。
「こうした街の有様から、名前が”モールズ”、ねぇ」
一葉が難しい顔で呟く。
その服装はすでにかつての格式ばった制服ではなく、さきほどノアの紹介で連れられた、ノアの友人が弁を振るう衣服屋で購入したものである。
その店主が言うには今風の男子にウケている服装、らしいが、純日本人の一葉に言わせれば南米の高原地域の民族衣装に近い感じである。
シャレオツなポンチョとか身にまとっちゃってる感じである。
ちなみに友情価格など微塵も感じさせない値段だった。
「街の名前がどーかしたんですか?」
人混みの中、はぐれてしまわないようにノアと手を繋いでいる結が一葉に応える。
結も一葉と同じく、ノアから借りていたジャージから新しい服に着替えている。
結は結で一筋縄ではいかず、試着をほぼ強制的にノアと店主にさせられていたが、その値札を見ては「やっぱりいらないです」を繰り返し、一葉とノアが説いた図々しさを納得するまでには時間がかかった。
結も一葉同様ポンチョをがぼっと羽織っているが、足の紋章がはっきりとは見えないように比較的丈は長めのものを選び、スカートも足首まで隠せるものを購入している。
ちなみに友情価格を感じる値段になっていた。
支払ったのは無論一葉である。
「モールズって名前に何か気になるところでもあるの?」
結と手を繋いでいる、というよりは結に手を引かれる形で歩いているノアがさらに疑問を続ける。
ノアは基本、町に降りてくるときは仕事用のパンツスーツを着ることにしているため、ここでも通常の黒のスーツに身を包んでいる。
なるほど、確かにすらっと背が高めの金髪の女性が民族衣装のような人が徘徊するなかスーツ姿で歩いていればかなり目立つらしい。
見る人見る人がノアのことを振り返っていく。
さらに、ノアが無害認定を受けている紋章持ちであり、モンスター退治を生業としていることも有名なのだろう、中には、
「今日もパトロールなのかいお疲れ様です、ゴールド・ガン」
と呼びかける人もいた。
なおこの奇妙な呼び方については3人の間で以下の談義が交わされている。
「…」
「…」
「…」
「あのさ、ノア、ゴールド・ガン(笑)ってなんだ?」
「気のせいかなぁ、(笑)って聞こえたんだけど」
「ノアちゃんノアちゃん、ゴールド(笑)ガンってなに?」
「結ちゃん結ちゃん、変なところに(笑)が入ってるよ?」
「二つ名(笑)」
「ノアちゃんのあだ名(笑)」
「やめてっ!あれは、その、勝手に呼ばれてるの、だけど、まぁ、職業的には私のことを良く思ってもらっているのは、いいことだし?だから、別に私が、認めてるわけじゃあ、なくって、ね?」
「「ノア(ちゃん)」」
「な、なに?」
「「気に入ってるよな(ね)?」」
「……ごめんなさいかなり気に入ってますでも街の人がつけてくれたのは本当なんですごめんなさい」
「「…」」
「お願いだから優しい目でにやにやしないでっ!」
閑話休題。
「いや、この街をモールズってさ、なんか、普通に英語なんだなって」
「確かに言われてみればこの世界って色々とアンバランスですよね、というか、微妙に私たちに都合の良い感じにまとまってますよね」
「一年間過ごしてきたけどそんなこと気づかなかったなぁ…でも、私たちに都合、良いかなぁ?」
「断定はできないけど、でもやっぱいわゆる異世界にしては元の俺らの世界の要素が混ざりすぎてるんだよなぁ、それこそ、誰かの創作物みたいに」
「でもでも一葉先輩、そうするとちょっと気持ち悪い物体がこの世界にはあるのです」
「気持ち悪い物体?」
「あれですよー」
そう言いつつ、結は空いている手で空を指差した。
否、空まで伸びている巨木を指差した。
「私の感覚だと、アドバルンってこの世界の重要な役割を担ってるみたいだから、ゾンビとかモールズとかみたいに私たちに合わせて、知ってる言葉になってる方が自然じゃないのかなって思うんですけど…」
ノアが首をかしげる。
「でも、私たちが元いた世界にアドバルンなんてあったっけ?」
結とノアが二人して、わかりやすく、考えている顔を浮かべている。
その顔を見ながら一葉は一瞬躊躇い、しかし息をすぅっと吸って一息でかつ早口に自分の知っている答えを言ってしまう。
「アドバルンって言葉はないけれどそれをアルファベットに変えてADVALNを並び替えたらVANDALになるだろ?」
結、ノアが一斉にひらめいた風に顔を見合う。
「Vandal社!家具から電化製品まで、あなたの家をVandal、のVandal社!確かに私たちの世界でもほぼ中心みたいですもんね私の家には残念ながら一つもVandal社の製品ありませんでしたけど」
「どさくさに紛れて複雑な家庭の事情を赤裸々に告白しないで結…まぁVandalのアナグラムになっているのはそうかもしれないけれど、それが何か関係あるの?」
そこまで言われて、一葉は顔をしかめる。
結にはその一葉の表情の意味はわからない。
ノアは一葉のその表情にほんの少し既視感があったため、この辺りに一葉の地雷があるのかな、などと思考を巡らす。
二人の反応を見て、一葉はふぅとため息をついてから、 「いや、向こうの世界に帰れる手がかりになるかもなって、思っただけだよ」
と暗いトーンのまま答え、目を伏せる。
が、その伏せた視界に急に結が入ってきた。
ノアと繋いでいた手は放したらしい。
中腰気味で上目遣いに一葉の顔を物珍しそうな表情で見つめだした。
「…ええと、ユイさん?」
「一葉先輩は…」
「ん?な、なんだ?というか少し、離れてくれないかい」
「一葉先輩は、帰りたいですか」
「は?」
「元いた世界に帰りたいですか」
「え、いや、そこまで考えてなかったけど、なんで急に」
「一葉先輩が、向こうの世界に帰れる手がかりになるかも、って言ったからです」
「あ、あー、そっか、ごめん、別にその発言に他意はない、ただこの世界が単純な異世界なんじゃなくって元の世界と何かしら繋がりがあるんじゃないか、って言いたかっただけなんだ」
「…そう、ですか?」
「そうだって」
「そう…ですか…」
そこまで言って、結はさっと動いて再びノアの手を握る。
先ほどよりも強く。
「…そういうユイは、帰りたくはないのか」
「さぁ、今はもう少しだけ、この世界を先輩とノアちゃんと一緒に見ていたいような気がします」
「そっか、そう、だな」
「だなです」
会話の途切れる二人。
黙って俯く一葉に、黙ってノアの手を握る結。
そして挟まれる一人。
ノアとて、いちょーと結とは一緒に暮らしているもののわずか一週間しか共に過ごしていない人間の全てがわかるわけがないだろう、時には気づかず相手の触れて欲しくない部分に触れてしまうこともあるかもしれない、その程度の、いわゆる、普通にコミュニケーションをとっていれば起こりうる事態は想定していたのだが、
(この二人…なんか地雷が多すぎない!?しょっちゅう気まずい!!二人とも話せば話すほど話題がなくなっていくし…いっそ向こうの世界の話はしない方が良いレベルなんだけど…一体どんな生活送ってたの二人とも…)
心なしか、この黒田いちょーなる人物と野上結なる人物は異様に闇が深いらしい。
自身、多少のトラウマはあるものの(それでも小さな頃に噛まれたせいで大型犬がちょっと怖い程度だ)、こうも会話が途切れるような経験がないため、どのような問題がこの他愛もない会話で人をここまで辛そうな表情にするのか、ノアには見当もつかない。
ノアは原因を少し考えてみる。
ノアは諦めた。
(うん、わからない自信がある)
諦めて、さっさと場所を変えてしまおうと声をかける。
「二人がどういう生活送ってたのか知らないから、私がどうこう言うのは筋違いなんだけどさ、まぁ皆で楽しくやっていこうよ今はこの世界にいるんだから、ほら行こ?」
「努力するさ」
「善処するね」
「なんて信頼に欠ける返事!」
ひとまず空気が和らいだところで、ようやくノアが二人を連れて協会へと足を向けた。
協会はモールズの中心にそびえ立つアドバルンのすぐそばにほとんど並ぶように建てられているこの世界では有数の大きな建造物である。
現在一葉たちがいる場所からもその建物の一角が見えていることからもその高さが伺える。
「またあそこまで結構歩いたりしないだろうなノア」
「大丈夫、ここからなら30分かかんないよ」
「だからそれはそんなに近くはないって…」
と、今一度アドバルンと横に並ぶ協会を見上げる一葉。
そろそろ夕刻が近く、空が淡い紅色に染まりつつある。
が、その空にすっと影が差した。
「ん、雲か…?」
一葉がその影の主を空に探す。
探した先に、隠れるでもなく、それはいた。
すぐに見つけれられたのだが、一葉はすぐに声にすることができない。
驚愕と困惑で脳内が埋め尽くされており、何一つ言葉が出てこない。
急に止まった一葉を結とノアが振り返る。
その間を通して、一葉がようやく声を絞り出そうとしたその瞬間、
一葉ではない誰かの声が次々と響いた。
「ぱ…パチャカマックだあああああああ!!!」
「ど、どうしてこの中心街に!?」
「逃げろ!とにかくアドバルンに寄り添うんだ!」
「荷物は捨てろ!走れ走れ!」
「おい落ち着け!ぶつかるな!」
「早く前に行ってくれ止まらないでくれ!」
「私に言わないでよ!」
「頼む!娘とはぐれたままなんだ探す手伝いを!」
「邪魔だぞどけ!」
「お、落ちてくる!パチャカマックが落ちてくるっ!」
「嫌だ!死にたくない助けてくれぇっ!」
一歩。
手を優しく振り払う。
二歩。
紋章を薄い黒色に光らせ、掌から体よりも遥かに大きなバズーカ砲を出現させ、地面にその端を叩きつける。
三歩。
バズーカを両腕で抱えたまま、膝を曲げて力を溜める。
それだけで。
戦闘態勢を整えたノアが一言。
「いちょー、結を連れて無事に離れて」
「え、ノアちゃん、あんなの、と、戦う…ううん、戦えるものなの?…っ!ノアちゃん!?」
結が言葉を返しきる前にノアは跳躍した。
中心街と言われるここモールズの街の空に突如として現れた、およそ一葉達が元いた世界には存在しなかった巨大な生物に向かって。
その生物が出現した瞬間から、今まで活気に溢れていた街が一気に混乱の渦に巻き込まれていた。
人々が一斉にどこかへと向かって走っていく。
その怒涛の中に逆らうことなく流されていく一葉と結。
「…っぱい!」
一葉はまだ麻痺した感覚から抜け出すことができずに呆けていたが、
「一葉!先輩!」
結の声でようやく我に返る。
「ユイ…?」
「一葉先輩、行きますよ!」
「行くって…そうだ、ノアがあの化け物の所に、一人で…」
「はい、私たちも行きます!ノアちゃんだけ行かすわけにはいかないです!」
「そう、だ…ユイを連れて逃げれるわけ…ない!」
ふと見ればいつ繋いだのか、結は一葉の手をぎゅっと握っている。
どうりでこの人の流れの中はぐれてしまわないわけだ。
結の手を一葉も強く握り返して、決意を新たにする。
「行こう!ユイ!」
「はい!行きます!」
そして、
二人で、
跳んだ。
ノアの待つ空へ。




