三話
俺は行きつけのラーメン屋があった。ほとんど毎日通うが、特に通い詰めるほどにその店への評価はなかった。ただコンビニで食事をすると寒いだけで、それにラーメンは温かいからくらいだ。
チャーシュー麺を啜りながら、俺は拾ったノートを流し読みする。中身はギッシリと記録が残っていたが、日本語じゃない。ゲルマン祖語、ラテン語などとも関係がなさそうで、もちろんそれを見たこともなかった。
面白半分で製作したならばかなり手が込んでいる。というのも見る限り言語らしい規則性もあるのだ。同じ文字らしきものもちらほらと、そして所々に図がある。しかし人間が作ったようには思えない。錯覚とか、理由の無い直感ではない。例えば文字に触れると『文字にはないはずの効果』が見つかる。例えば悲しくなったり、海に四角の石ころがポトンポトンと音を立てて落ちる映像が脳に送られ、笑いが発生したりする。そんなテクノロジーを、俺は今までに見た事はない。
「そこの若人、しばし質問が」
「ふん、」
固い言い回しが気になって振り返ると、そこに銀色の女性があった。その髪は月の様に静かに銀の輝きを放っている。その容貌も整っていて、月の光が使者を送ってラーメン屋に訪れたのではないかと、冗談を思ってしまった。
「恥ずかしながらここのらぁめん屋は初めてなので、お勧めのめにゅぅをご教授お願いしたいのでありますが……」
俺はしばし黙考し、
「いや、お役に立てなくてすまない。自分という未熟者はラーメン屋やすら訪れた経験も少なく、この店はもちろん初めてやってきた新参者だ。いやぁ、すまん。俺なんかが堪えられる事なんてないさ、だから早々と俺の前から立ち去ってもらえませんかね」
「それはそれは……、それでは、そこのちゃーしゅぅが乗ったらーぁめんのお味は如何でしょう」
「どうだろう、人の舌は人それぞれ。味に上下何てなくて、精々、飢えた舌くらいしか美味か汚物がきまるもんじゃいかね」
「……? 言っている意味がわかりかねますが、このお店にいるてぃんえいじゃは他にいないようですし、それにしましょうか」
ギン色は食券を購入すると、店員に渡す。
迷惑にも俺の隣に座った。女性と話せる機会が少ない事にはそうなのだが、そしてそんな機会があればとも思うが、しかし実際に訪れると気後れするものだ。
「男性とは、どのような嗜好をしているのでしょうか?」
「さぁ、世の男の人は一体何を求めて生きているんだろうね。わかんないから何にも考えず生きているんじゃないかな」
「? もしかして男性ではありませんでしたか?」
「うーん、男性ではあるがね……。俺にはさっぱり、俗世とは縁を切っている生活だから。誰かとおはなししたり、お遊びしたりすることがなくてそう言うのはなぁーんにも知らない」
嘘八百も甚だしい。
世のオスなんぞ皆、猿みたいに餌を与えていれば満足する直情的な生物だとよの高貴な女性様に教えればよかったが、俺の口は汚らしい言葉をすべて拒否した。
「アンタさんは意中の男性でもいるん?」
「いいえ、しかし私の義務として、世の人々の憧れとなり、そしてとある男性を救わなければいけなくなりました」
「そりゃあ、大層な」
チャーシューを全て食したので箸を置く。
「おや、そののぉとは?」
「ん、これは……数学のノートだ」
なぜだか、これを誰かに渡そうとする気になれなかった。
「そうなのですか?」
「ああ、実はテストが近いんだ」
嘘。
平均点の低い数学を勉強したのは高校受験以来なかった。そもそも数学のノートすら作った覚えがもうない。そしてテストはまだまだ余裕がある。
「おや、もう食べ終わりましたか」
「ああ、家に帰って勉強しないとな」
ギン色はぺこりと慇懃なお辞儀をした。俺は無視して会計を済ませ、早足で逃げた。




