P-044 毒矢作りの依頼
夏の狩りは、意外と難しく思える。
森に夏草が茂るから見通しが悪くなるし、一日中歩いているとたっぷりと汗をかいてしまう。まあ、【クリーネ】と風呂があるからそれなりにさっぱりとは出来るのだが、森に入るにはそれなりの装備が必要だからな。革の上下は風を通さないんだ。
それでも、ガトルや小型の草食獣を狩って日々を過ごしていると、何時の間にか白の6つになった。レイナスは白の8つにまで上がっている。
まだこの村に来て2年だから、かなりのハイペースでレベルを上げていることになるな。
朝晩が涼しく感じられるようになった頃、王都からガイエンさんと見知らぬ壮年の男女が俺達の番屋を訊ねてきた。
来客を囲炉裏の側に座らせると、ファーちゃんが皆にお茶を出してくれた。
旨そうにお茶を一口飲むと、ガイエンさんが用向きを俺達に切り出した。
「イリスの送ってくれた矢2本でグライザムを倒した。矢で倒した例は今まで聴いたこともない。即効性の毒矢とは書かれていたが、まさかあれ程とは……。一緒に狩りをしていた連中が呆気に囚われていたぞ。それで、この2人がここにいるのだ」
改めて、2人の男女を見る。人間族で歳は40少し前といった感じだな。武装は全くしていないからハンターでは無さそうだ。かといって商人風でも神官でもない。俺を値踏みする様子も無いし、達観した表情を浮かべるでもない。
「私達は薬剤ギルドのものです。ギルドとは名乗っていますが、薬剤の調合師の集まりですから、リュウイさん達のようなハンター組織を持っておりませんし、私を含めて殆どが世襲の調合師です」
しっかりとした口調で俺達に話しかけてきた。バッグの中から紙包みを取出してその場で開くとガイエンさんに送った毒矢が入っていた。
「毒と言う種類には色々とありますが、この矢に着いている毒は未だかつて我々の知らないものでした。ガイエン殿がタバコから取出したとは言っておりましたが、即効性でそれ程強力な毒は知られておりません。出来るならば我等にその毒の採取方法と解毒方法を教えていただきたいものかと……」
改めてガイエンさんを見詰める。俺は作ることは出来たが解毒方法についてはまるで分からないぞ。だが、ガイエンさんにしてみれば危険な獣を倒す方法として使いたいというところだろう。問題は、解毒薬が無い状態で毒を生産するというところだな。
「毒の取出し方は簡単です。ですが、1つ問題がありまして……、解毒薬を俺は知りません。元々の知識で、即効性の強力な神経毒である事は分かっているのですが」
「解毒方法が現状では存在しないという事か?」
呟きながらガイエンさんが俺を見る。
薬剤ギルドの2人組みも微妙な表情だな。俺に期待していたのか?
「あまり使う者は少ないのですが、即効性の毒消しもあることはあります。それに【デルトン】の魔法なら通常の毒消し薬より素早く効くことは知られています。特効薬が無くともそれで対応が出来るかを確認したいのです」
少し分かりかけてきたぞ。要するに、動物実験をしたいと言うことだな。既存の毒消し薬が有効なら獰猛な獣を狩る道具として、積極的に使用したいのだろう。
「俺に更に毒矢を作れと……?」
「ガイエン様に納めた毒矢と同じものを20本作って頂きたい。それを使って薬剤ギルドが解毒薬の確認を行います」
「さらに、もう1つある。作り方の他言をせぬことだ。作り方を知っているのはお前達4人。その威力を知っているのは今のところローエルと俺のパーティ、それに薬剤ギルドの幹部数人だ」
なんかすごい話になってきたな。それでも解毒薬を確認する為ならそれぐらい作っても問題ないか。だけど、同じ毒なら毒蛇の方が効果的だと思うんだけどな。
「1つ、教えてくれませんか? 毒矢なら、毒蛇等からも威力の高いものが作れる筈です。俺達はまだ毒蛇を見たことがないので、このような物を作りましたけど……。毒矢として用いるなら生物が持った毒を使った方が、既存の解毒薬や魔法で容易に対処できるんじゃないですか?」
薬剤ギルドの女性が溜息をついて、ぽつりぽつりと話を始めた。
「確かに、おっしゃる通りです。……ですが、それは不可能なのです」
「今まで知られている獣等から採れる毒は、分解が早いのだ。液体であるなら有効なのだが、乾くに従って効果が薄れてしまう。使う前に矢に塗っていたのでは使い物にならない」
常時湿らせておく他に手はないってことなのか? となると、俺達が作った毒矢は狩りでの使用に耐える初めての代物になるな。
「イリスの手紙にそのまま使用できると注意書きがあった。誰もが信用しなかったが、リュウイの考案したものだということで、ダメ元で使ってみた。100D(30m)離れてグライザムに2本矢を放ったが……、全身を痙攣させてその場に倒れたぞ。ギルドに持って行ってからが大変だった。グライザムの毛皮に大きな傷が無かったからな。その足で王宮の軍の指揮官を訪ね、対応を議論した。その結論が、薬剤ギルドとの調整ということになった次第だ。薬剤ギルドが有効な解毒薬を探せなかった場合は残念ながらあの毒薬は王国内で使用禁止とする。もし、有効な解毒方法が分かれば、グライザム等に限定して使用許可が得られる可能性がある」
シグちゃんとファーちゃんが席を立って、箱の中から厳重な紙包みを持ってきた。
「1本ずつ、持ってるにゃ。これはこのまま持っていても構わないのかにゃ?」
「まだ使用禁止となったわけではない。それにローエル達が手に負えぬ獣が現れぬとも限らぬ。厳重に保管しているなら問題ない。但し、使うときにはローエルに許可を貰うのだぞ」
今の狩りを続けるなら使う機会はないと思うな。とりあえず、20本の毒矢を作るのが問題だ。どこで、パイプのヤニを貰うかだ。ギルドでは感づかれてしまいそうだし……。
ともあれ依頼は了承する。毒矢20本で銀貨10枚は破格だからな。矢は12本で50Lだから、銀貨9枚が俺達の儲けになる。
3人が番屋を引き上げる時に、イリスさんも同行していった。俺達4人だけが囲炉裏で、思案中だ。
「先ずは、矢の購入だな。2セット購入すれば4本は俺達で使えるぞ」
「それは、レイナスに任せるよ。シグちゃん達は夕方になったら、隣の番屋から漁師さん達のパイプを借りてきてくれないか? そろそろ酒を届ける頃だと思うんだけど」
「もう準備出来てますから、夕方に届けます。パイプですね。お掃除しますと言えば貸してくれると思います」
「この間の貝殻より大きな貝殻を手に入れてくるにゃ」
ファーちゃんがそう言ってシグちゃんと出掛けて行った。それを見て、レイナスも腰を上げる。
「ついでに、手に入れるものはあるか?」
「そうだな。ヤスリがあれば欲しいな」
レイナスが頷いて番屋を出て行く。
ポツンと俺だけが残ってしまったな。前と同じようにヤニを掻き出すヘラを削りながら皆の帰りを待つことにした。
ファーちゃんが見つけてきた貝殻は、かなり大きいものだった。いったい中身はどんなものかなと想像するほどなんだが、形はハマグリなんだよな。
その貝殻の中に、シグちゃんがザルに入れて運んで来た漁師さん達のパイプを分解してヤニを取り出す。
かなりの量が採れたところで、水を入れてゆっくりと掻き混ぜた。
「そんな物が毒として使えるんだから世の中広いよな」
「まあな。しかし話の流れからだと、これを使うのはかなり限定されそうだな」
「あれだけ強力なのが分ったならそうなるさ。ディランダルは他の方法でも倒せたかもしれないしな。王国としてもハンターが毒矢を多用するのは避けたいんじゃないか?」
それが本当の所なんだろうな。
グライザムを毒矢2本で倒せるなら、低レベルの連中にだって狩れるだろう。それは本末転倒になりかねない。毒矢が市中に出回りすぎるとそれを悪用する者さえ出かねないしね。
厳重にギルドで管理して、ハンターに害なす獣を狩るのに使用するのが今後の使い方になるんだろう。
そんな事を俺がやっている間に、レイナスガ鏃にヤスリで傷を着けている。
表面を荒くヤスリ掛けして、ニコチンの着きを良くするためだ。前回はそのまま使ったから上手く塗布出来なかったんだよな。
「出来たぞ。後は塗るだけか?」
「そうだ。今度は上手く塗れるだろう。前は油が塗布してあったから塗るのに苦労したからな」
俺とレイナスで鏃にヘラで塗りつけては囲炉裏の遠火で乾かしていく。
シグちゃん達は鏃のカバーを紙の筒で作ってくれてる。
そのままでは危なすぎるからな。1本ずつ鏃の先に被せておけばそれだけ安全性が高まるってことだ。
パイプを楽しみながら何度も塗りを重ねていく。
「やってるな。終ったら、これを飲もう。親父からの差し入れだ」
番屋の扉が開くと、イリスさんが酒瓶を片手に下げて囲炉裏の定位置に座る。
夕食はガイエンさん達と取ったのだろう。
「ひょっとして、王都の酒ですか?」
「上等な物を持って来たようだ。昼に来た時には忘れてたようだな。親父も歳を取ったようだ」
ちょっとしたど忘れを、歳のせいだと言われてはガイエンさんも気の毒だな。
とはいえ、娘が可愛いって事だろう。ちゃんとお土産を持ってくるんだから。
そんな事を考えながら作業を終える。
矢の先端には紙の筒を被せてあるから、12本ずつ纏めて紙で包んだ。俺達用に残そうと思っていたけど、全て渡しておいたほうが良いだろう。俺達にはボルト2本の毒矢が残っている。
「イリスさん。これが依頼された品です。届けてくれませんか?」
「ああ、構わんぞ。ついでに風呂に寄って来る。シグ達も出かけるぞ!」
イリスさんは見かけに寄らず世話好きだ。シグちゃんとファーちゃんが急いで仕度をすると3人で出掛けてしまった。
後に残った俺達は、お茶を飲みながらパイプを楽しむ。
「これで銀貨20枚はありがたいな」
「少し、板を買って風を防ぐか? 去年は寒かったからな」
まだ、初夏だから問題はないが、秋になったら作業を始めなければなるまい。
レイナスの高熱の原因だって北風に違いない。だが、その前にフェイズ草の球根を手に入れねばなるまい。
ギルドの依頼が無くとも数個は是非とも確保しておいた方が良さそうだな。