P-126 サルマンさんが引退するだと!
数日が過ぎると、新しい番屋の裏手に小屋が作られ始めた。
柱と屋根だけの小屋は、周囲をヨシズの様な囲いで覆って壁代わりにするようだ。
燻製作りは春から秋と考えてるんだろうな。冬の漁はタラに似たチリという魚だから、燻製にするより鍋にする方が良いに決まってる。
「どうだ? これぐらいなら問題ねぇんじゃないか」
「後は、燻製器を作ることになるんですが、頼んでくれましたか?」
「ガハハ、心配ねぇ。リュウイが描いた絵を渡してあるからな。チップとか言っていた、木屑は、俺達が酒を飲みながら作るつもりだ」
10畳間はあるんじゃないかな? 燻製器の大きさも中に人が入れるぐらいの大きさになるらしい。
ちょっとしたクローゼットみたいになるのかな?
前面扉の開閉は大扉で行うんだが、各段に開口部を設けてあるから、片面を全部開かないでも中の様子を見ることができるだろう。
煙を出す仕掛けは、長火鉢風に作った炉にチリ鍋用の一番小さな鍋にチップを入れて行う。
一応ダメ元ということで、失敗したら小さなものをを作ることになってるんだけどね。
「どうにか、土台を作ったぞ。ついでにベンチも作ってあるから、のんびり座りながら火の具合を見られるだろう」
「ありがとう。となると棚に乗せる網になるな」
「あれは、棚の寸法を測って注文を出しているよ。左右4段だから8枚で良いんだよな」
レイナスの機転に頷くと、にやりと笑みを浮かべている。
これで一応、準備ができたことになるんだろうな。
とはいえ、隣にも最初の燻製器を置いておく。これはこれで将来の荒節を作るために試験をしておこうと2人で考えているからね。
小屋の梁に竿秤を結わえておいたから、魚の重量も分かるだろう。乾燥の目安は5割を切りたいところだ。
「重さを計るとは言ってたけど、意味があるのか?」
「前回の燻製はたまたま上手く行ったんじゃないかと思ってるんだ。どれぐらい乾燥させればいいのかを、たまに取り出した時に重さを計ってみようと思ってね。一応の目安にはなるだろう?」
「一日煙で燻せば良いと思ってたんだけどなぁ」
それも1つの方法なんだろうな。
時計があれば時間経過が分かるんだけど、そんなものが無いのがこの世界だ。時間経過を線香のようなものや、ロウソクの燃え方で知るぐらいだからね。
朝から晩までと言っても3時間ほどの誤差がありそうだ。
さらに、とはいっても、3日というくらいの時間を考えると、誤差は少なくなるのかもしれないけどね。
「時間を計るのは難しいんだけど、一応、考えはあるんだ」
「線香かロウソクだろう? 教会では線香を使ってるらしいぞ」
説教の時間を線香の燃える時間で知るのだろう。それも1tの方法だけど、せいぜいが15分というところだろう。10時間ほどになるとロウソクになるんだろうが、それだと大きなものになりそうだから出費が問題だ。
それで水時計を考えたんだが、水の出口の大きさに左右されるから、いくつか穴の大きさを変えたものを作ってもらうことにしている。
「王都の工房に期待するさ。銀貨数枚になりそうだけど、それは俺が出すよ」
「ちゃんと言ってくれよ。俺達が頼まれたんだからな」
2人で笑みを浮かべたところで、パイプを取り出す。
一段落したところでの、一服は格別だ。
「これが終われば、また狩りに出られそうだ。ギルドの依頼はたくさんあるとミーメさんが言ってたぞ」
「とはいえ、トーレルさんが誘ってこないところをみると、変わった依頼は無いってことだ。あの6人組も頑張ってるみたいだからな」
切り株の腰掛から立ち上がって、レイナスがお茶をいれている。カップの1つを俺に渡してくれた。
「俺達とは違って、典型的なハンターだとサドミスさんが言ってたよ。安心してみてられるとも言ってたぞ」
互いに笑い声を上げてしまった。
確かに俺達だとそうもいかないだろうな。突拍子もない狩りの仕方で獲物を狩る連中ぐらいに思われているのかもしれない。
「だけど、ハンターで活躍できるのは50歳前というところだろう? 色々と考えておけば老後は安泰だ」
「リュウイならばさらに先までハンターを続けられるだろうけどな。俺は、リュウイの言う通りになる。この仕事が上手く行けば、俺の仕事にしてもらうつもりだ」
子供達を俺に託して、のんびりと老後を送るつもりだな。
そうなると、色々と教えなければならない。
炭焼きや焚き木集め、海の見張りだってやらなくちゃならないだろうな。サルマンさんだって、漁師達の老後を考えているだろうから、今の内から頼んでおいた方が良いのかもしれないぞ。
数日が過ぎたところで、俺のところに水時計が運ばれてきた。
運んできたのはロクスさん達だ。今では黒1つのハンターになって辺境の村々を巡っているらしい。
「しばらくだな。この仕掛けはパラメントがリュウイの名で取ってある。すでにいくつか作られているが、本当にパラメントの代価は王妃様ということで良いんだな?」
「あまり売れるものではないでしょうし、王妃様達には色々と助けて頂いています」
「まったく欲が無い男だ。王都の学府に招きたいとも言っていたが、それはガイエン殿が無理だと話を付けたそうだ」
そんな話を番屋の前に作ってある焚き火を囲んで話してくれた。
一緒にいる3人がロクスさんの仲間なんだろう。新しい番屋から届けて貰った魚を串に刺して焼いているから、皆が待ちきれないような目をして見てるんだよな。
「それで、これを使って何をするんだ?」
「魚を燻してみようと思ってるんですけど、どれぐらい燻すかの目安に使うんです。調理人なら、勘と言うことになるんでしょうけど、俺達はハンターですからね」
ガイエンさん達は俺達をハンターとは思っていないのかな? ロクスが笑い声を上げている。
一緒にやって来たネコ族の男に、レイナスがヌンチャクの使い方を教えているが、今では俺を凌ぐんじゃないかな?
やがてレイナスが俺達の輪に加わった時には、丁度良い具合に魚が焼けていたのも不思議なところだ。
「まったく、ハンターだとは誰も思わないんじゃないか?」
「なるべく楽にハンターをしようと考えてますからねぇ。案外当たってますよ」
たまに、商人が魚を仕入れに俺達の番屋に来るくらいだからなぁ。
そんな話を聞いて、お前達に浜値の売買を頼もうかと、サルマンさんが考えこんでいたんだよな。
だけど、いつもいるわけではないからね。
そんなことで、いよいよ燻製作りの準備が整ってしまった。
後は、作るだけになる。
広葉樹のチップも大きなカゴに2つもサルマンさん達が作ってくれたし、炭だって小さなカゴに溢れている。
「これで魚と、爺さんだけになったな」
「今夜にでも、番屋に行ってみるか。サルマンさん達の都合で始めるのが一番だからね」
ハンター暮らしがもう少しでできそうだ。
あまりサボっていると、いくら持ち家があっても冬越しが辛くなるからね。シグちゃん達の稼ぎもあるんだろうけど、それに期待するようでは男として失格になりそうに思えるんだよな。
「初夏だからなぁ。やはり森に行きたいところだ」
「繭集めが終わってるから、どんな依頼があるかが楽しみだな」
俺にしてもレイナスにしても、あまりジッとしていられるタイプではないようだ。
頭の中では投げ槍を持って、イネガルに近づく俺達の姿が浮かぶんだよな。
夕食が終わったところで、レイナスと共に番屋に向かう。お土産はいつもの酒だけど、これは散々世話になっているから、いつまでも続けようと思っている。
番屋の戸を叩くと、直ぐに奥へと通された。
近くの漁師に、酒を渡したんだがいつものサルマンさんの位置に座っているのは、息子のハリネイさんだ。
目ざとく俺達に気が付いて、傍に来るよう手招きしている・
番屋には漁師の作法があるから、言われるままに空いている席に座ると過ぐに酒のカップが渡された。
「ジラフィンがやって来たようです。その相談をしてたんですよ。前回はリュウイさんに作って頂いた、バリスタという仕掛けで2頭を取ったということですから、期待してるんですけどね」
「そういえば、しばらく使った様子はありませんでしたね。だいじょうぶなんですか?」
俺の心配をよそに、漁師達は機嫌が良い。
どうやら、昼間に試し打ちをしたみたいだ。その威力にハリネイさんも驚いたようだな。
「今回は、他の村からも漁師が来ている。これでライトン式ジラフィン狩りが伝わるぞ」
サルマンさんは機嫌が良い。機嫌が良いから俺達に酒を注いでくれる。
このままでは明日は一日寝込まねばなるまい。早めに退散しないといけないだろうな。
「ところで、例の道具が全て整いました。いつでも始められますよ」
俺の話を聞いてハリネイさんが父親のサルマンさんに顔を向けた。
「出来たのか? これで俺も引退できそうだ。ハリネイがいるから番屋は任せられるだろうし、番屋の後ろにいればハリネイの相談にも乗れるぞ」
「まだ引退するには……」
「な~に、元気なうちだからこそ、引退できるんだ。明日のジラフィン狩りが最後にしたい。後はリュウイ達とのんびり暮らすつもりだ」
ハリネイさんが驚いているけど、俺達だって驚きだ。
漁師のおじさん達はうんうんと頷いているから、そろそろ代替わりと思っていたのかな? それにしても、ジラフィン狩りを〆にするとは、やはりサルマンさんらしいところだ。
「でも、獲物が無いと始められませんよ?」
「直ぐってわけにはいかんだろうな。ジラフィン狩りの翌日は色々とやることがあるから……、10日後で良いんじゃねぇか? 2人も連れて行くぞ」
これはちょっとだな。とりあえずお願いしますと言って帰ろうとしたら、引き留められてしまった。レイナスが妻に頼まれたことがありますからと、俺を残して帰って行く姿を恨めしそうに眺めてしまった。
「昔の漁師暮らしが夢のようですね。少ない漁獲を父さんが憂いていた姿を思い出します」
「だが、今は違う。カゴ漁は年寄りに丁度良いし、若い連中には自分の力を試せる漁だってあるんだ。しかも昔と比べて格段に危険がねえからな」
「ひょっとして、まだまだ私達が知らない漁法も知っているんですか?」
ハリネイさんの言葉に、番屋の全員の目が俺に向いた。
あまり誤魔化すのも問題だろうな。
ここは正直に教えた方が良いのかもしれない。