P-125 燻製の意外な人気
燻製器の上の穴から煙が出ている。もっと出るのかと思ったけど、それほどでもないようだ。中で誰かがパイプを楽しんでいるような煙だから、これぐらいで丁度良いのかもしれない。
このまま3時間ほど、燻製にしたところで陰干しすれば良いだろう。問題は何に入れるかだな……。
周囲を見渡すと、日干しを作ったザルが見えたけど、あれではねぇ。
「レイナス。箱を作ってくれないか?」
「急だな? で、どんな形の箱だ」
深さが10cmほどの長方形の箱は、1辺の長さが1mはある。短辺は50cmぐらいに作れば、燻製が全部入るんじゃないかな。
「まあ、材料はあるんだよな。待ってな。直ぐに作ってやる」
深く理由を聞くことまなくレイナスが箱作りを始める。この中に入れて一夜置いて再び燻製をすれば良いんじゃないか?
「失敗したな。最初に重さを計っておくべきだった!」
「最初から上手く行くなんて思ってないんだろう? 次にやれば良いさ。だが、秤は結構高いんだぞ」
「そこは考えるさ。上手い方法があるんだ」
竿秤という秤を聞いたことがある。テコの原理を使っているから、重さをかなり正確に測れるんじゃないかな?
分銅の重さがきちんと作れれば問題は無いんだが……。
簡単な絵を描けば、雑貨屋で作ってくれそうな気もする。この世界の秤は天秤だからな。分銅をたくさん用意しなくちゃならないのが面倒だ。
「ちょっと雑貨屋に出掛けてくる。何か頼む物はある?」
「それならタバコだ。もう少しで切らしてしまう」
「2個でいいな。行ってくるよ」
雑貨屋の娘さんに、絵を見せながら、こんなものを作ってくれと頼んでみた。
簡単な絵だから、一々説明するのも大変なんだが、どうにか理解してもらえたようだ。
「そうですねぇ。鍛冶屋さんに頼むのがいいんでしょうけど、木工の部分もあるんですよね。私の方で頼みましょう。1割でいいですか?」
「それで構わないよ。出来高で良いのかな?」
娘さんが頷いてくれたから、後は出来上がるのを待つだけになる。
斡旋料というのかな。2つの職人さんに依頼を出して組み上げる手間が1割なら安いものだ。
店を出る前に、タバコを4包買い込んで番屋に帰る。
番屋の間の俺達の仕事場では、レイナスが燻製箱から上がる煙を見ながら一服を楽しんでいた。
「ほら、依頼品だ」
「ありがとう。これが代金だ。ところで、少し煙が少なくなってきたように思えるんだが」
銅貨を受け取りながら燻製箱の上から上る煙を見る。確かに少なくなったな。最初の燻製はこれで終わりということになる。
レイナスの隣を見ると、木箱がすでに出来上がっていた。
俺も一服を楽しんだ後で取り出してみるか。
「これ、食べられるのか?」
箱に並べた魚の切り身を見たレイナスが、俺に振り返った時に言った言葉がそんな感じだった。
「少し黒くなったのは煙のせいだな。このままでも食べられるんだが、一晩風通しの良い所に保管しときたいな」
「それなら、この仕事場が一番なんだが、誰かに持って行かれてもなぁ。それに虫が着くかもしれないぞ」
「この上に布を乗せておけばいいんじゃないか? 道具を入れとく棚の上ならだれにも分からないだろうし」
良い大人が、宝物を隠す相談をしてると、何となく子供に帰った感じがするな。
俺が読んだ鰹節の作り方は、煮た切り身を燻製にするんだが、燻製時間や余熱を取る時間、どれぐらい水分を抜くかも書かれていたんだろうが思い出せないところが辛いところだ。
最悪は燻製止まりになってしまいそうだが、何度か燻製を繰り返して終点を見極めることになるんだろう。
それを考えると、時計も欲しいところだ。品質を一定にするには色々と道具が必要だ。
「ところで、魚醤は残ってるかな?」
「急に何を言うと思ったら……、確か、残ってたぞ。鍋にはつきものだからな」
「なら、食べてみるか?」
俺の言葉に、レイナスがギョッとした表情をしている。
見た目が悪いからねぇ。食べたらお腹を壊すとでも思ってるんだろうか?
「これを売ろうと思ってるんだから、食べないと分からないだろう?」
「これをか? まあ、物好きはどこにでもいるけどなぁ」
切り身を2本取り分けて、残りを棚の上に置いておく。ハエはこの世界にいるけどあまり見かけないし、最大の天敵ともいえるネコは、レイナス達を仲間と思っているのだろう。この辺りをレイナスの縄張りと思って近寄らないんだよね。
それでもいたずらされないとも限らないと、レイナスが箱の上に板を並べていた。
「何にゃ、それ!」
ファーちゃんが吃驚してザルの中の代物を指差している。
シグちゃんは声も出ないようだ。
「半完成品というところだな。味を見てみようと思って取り分けてきたんだ。魚醤を煮てくれないかな」
燻製した切り身をナイフでお刺身のように切り分けたところで、煮た魚醤を上に掛けた。あまり掛けるとしょっぱいからしょうゆを垂らした感じにしておく。
残った魚醤を、シグちゃんが別の容器に入れたから、次はそのまま使えそうだ。
パン食なんだけど、テーブルにはお刺身に似た切り身が並んでいる。誰も手を付けないのは、やはり見た目が……、ということなんだろうな。
ここは俺が率先して模範を示さねばなるまい。
スプーンに切り身を乗せて、食べてみた。
ワサビが欲しいところだ。噛みしめると柔らかな甘みが口の中に広がる。見た目は、ちょっとだけど味は抜群だ。魚醤は余り掛けない方がいいのかもしれないな。
これなら、酒のつまみに丁度良い。
だけど、俺が作ろうとしているのは、燻製ではなく荒節だ。
まだまだ水分を抜かねばなるまい。
「美味いのか?」
レイナスの言葉に、シグちゃん達も頷いている。俺が笑みを浮かべて食べていることに奇異を感じたのかな?
「美味いことは確かなんだが、目的には程遠いというところだ。これも売り物にはなるんじゃないかな?」
「これがか?」
そんなことを言いながらも、恐る恐るスプーンで小さな切り身を取り上げた。
しばらく眺めていたけど、意を決して口に放り込む。
一口噛んだところで、驚いた表情で俺を見たんだが、どちらかというと睨んでるんだよな。
「なぜ早く作らなかった! これは美味いぞ」
レイナスの言葉にシグちゃんとファーちゃんが顔を見合わせて頷くと切り身にスプーンを伸ばして同じように口に入れる。
今度も表情が激変している。やはり気に入ったのかな?
「これで完成ではないんですか?」
「これだと、そんなに日持ちしないんだ。さらに水分を抜いて固くしなければならない。明日も頑張らないとな」
「半分を番屋にあげたら良いにゃ。いつも頂いてるにゃ」
「そうだな。俺も賛成だ。きっと今夜も酒盛りをしてるぞ!」
そう言って,お皿に半身を取り分けている。
たぶん、驚くんじゃないかな。燻製を作っていないというのも、おもしろい世界だからね。
レイナスが取り分けた皿を持って、ファーちゃんが出掛けて行った。
いつも魚やエビを頂いてるからね。ちょっとしたお返しは俺達に依存はない。
「渡してきたにゃ。最初はだれも食べようとしなかったにゃ」
ファーちゃんの言葉に、俺達が揃って頷くのは予想の通りということなんだろう。そうなると、次は……。
番屋の戸を叩く音がする。
シグちゃんが扉を開けると、ずかずかと入って来たのは予想通りサルマンさんだった。俺達の番屋を自分の家のように勘違いしている気もするけど、ここに俺達の家を持つことができたのもサルマンさんのおかげだからね。
テーブルの片側に毛皮を引いて、サルマンさんに座ってもらう。
俺達も食事が終わったところだから、シグちゃんがワインのカップを配ってくれた。ファーちゃんは寝ている双子の食事を作っているようだ。起きたらお腹を空かせて直ぐに食べるんだろうな。
「まったく、おもしろいものを作ったな。昔、王都の宿で似たようなものを食べたんだが、リュウイの作った方が味が良い。あれを売ることはできるんじゃねぇか?」
「その先を考えてるんですが、あれでも需要があるならそれも良いでしょう。ですが日持ちが心配です。冷やしておけば数日は持つでしょうけど」
「値段は俺が交渉してやろう。村の宿に卸せば酒好きには喜ばれるはずだ」
「なら、残ったのをサルマンさんに渡したらどうなんだ? また最初から作れば良いだろうし、もう1つ道具を作る手もあるぞ」
やはり燻製はあったんだな。とはいっても一般的ではないようだ。
それならレイナスの言う通りかもしれない。売るともなれば少し大きめに作ってもらおうか。荒節は試行錯誤の繰り返しだから、今の道具で対処しよう。
「それなら、小さな小屋を作りますか。何分、小さな道具で作りましたから、それほどの数を出せません」
「俺が作ってやろう。上手く行けばこの村の名物にもなるからな。絹は嫁さん連中が頑張っている。俺達で新たな名物ができれば少しは見直してくれるに違えねぇ」
要するに、男の矜持というやつなんだろう。
それに、絹の生産で村の金回りが良くなったのも確かだ。新たな嗜好を求める裏にはそんな事情もあるんだろう。
いくら美味しいものを作っても、それを買える懐事情があることも確かだ。稼いだお金で楽しく暮らせることが一番なんだろな。その中には美味しいものを食べたいという隠れた欲求もあったんだろうな。
「俺達だけで作ることはできませんよ。できれば協力者をお願いします」
「な~に、漁を引退した連中が手持ち無沙汰で悩んでいる。3人いれば良いだろう。場所は……、俺達の番屋の裏手で良いだろう。魚を運ぶのもわけはねぇし、お前達に教わるにも都合がいい」
テーブルの上を片付けて、簡単な小屋の間取りを考える。
それが終わったところで、燻製用の箱を考えたんだが、かなりの大きさになるな。これだと、中に人が入れるぞ。
「棚を左右に作るのか。それなら途中で魚を入れることもできるぞ。何度か作って、最適な方法を考えるのは俺も賛成だ。何事も急いじゃなんねぇと嫁に言われているからな」
まったく、サルマンさんにはもったいないくらいの嫁さんなんだよな。
きっと、俺達の計画にも色々と手助けしてくれるに違いない。